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世界文学の流れをざっくりとつかむ16 [世界文学の流れをざっくりとつかむ]

≪第4章≫ 中世ヨーロッパ

3 中世フランス叙事詩(「ロランの歌」)

 800年にローマ教皇が、カロリング朝のカール大帝を西ローマ帝国の正式な後継者としたことにより、神聖ローマ帝国が誕生しました。この帝国は、フランス・ドイツ・イタリアを含む広範囲の帝国でした。この時から、西ヨーロッパが独自の文明世界としてまとまりました。同時にヨーロッパは、神聖ローマ帝国とローマ教会を中心とする西と、ビザンティン帝国とコンスタンティノープル教会を中心とする東に分裂しました。

 カール大帝は以前から、キリスト教に基づく統治をするために、教会を発展させようとしていました。そのために各地から人材を求め、特に古典研究に力を注ぎ、古代文化を復興しました。この時期、ギリシア・ローマ文化とキリスト教とゲルマン精神が融合し、西ヨーロッパの文化が形成され始めました。この時期の文化の隆盛を、カロリング朝ルネサンスと呼びます。

 カール大帝の没後、大帝国は四分五裂の状態となり、しだいに現在のフランス・ドイツ・イタリアが形成されていきました。10世紀の終わりには、フランスでカペー家がカロリング家から王位を継承しました。11世紀に入ると、農業技術が発展したことから人口が増加し、様々な文学が広まりました。

 音楽が教会の中に閉じ込められ、詩はラテン語でしか作られなかった11世紀に、南フランスの宮廷では、トルバドゥールと呼ばれる吟遊詩人が登場しました。彼らは、カール大帝や十字軍を題材にした武勲詩を歌いました。その代表作が「ロランの歌」です。「ロランの歌」はそれ以前から口承されていましたが、この時期に古フランス語で記されました。「ロラン」とはカール大帝の武将ロランのことで、フランク王国とイスラム帝国との戦いにおけるロランの活躍が描かれています。各地で伝えられていたカール(シャルルマーニュ)伝説も加えられています。

 フランスの武勲詩はスペインにも影響を与えました。スペインの「我がシッドの歌」は、イスラム勢力との戦いを描いた叙事詩で、1200年頃に古スペイン語で書かれました。「シッド」とは、レコンキスタの英雄エル・シッドのことです。この物語は、エル・シッドの伝承に様々な伝説が加わって大きな物語となっています。

 北フランスではトルヴェールと呼ばれる吟遊詩人が活躍し、主にアーサー王伝説を題材にした物語や宮廷愛を歌いました。イギリスから持ち込まれたアーサー王伝説は、フランスでキリスト教的な要素が盛り込まれ、壮大な物語群となりました。15世紀になって、トマス・マロリーによって、イギリスに逆輸入されました。

 次回は、ドイツにおける叙事詩について述べたいと思います。

 さいごに。(先日の女子会)

 娘は先日の女子会で、ほとんど聞き役だったそうです。話題を提供できないので。
 しかし、聞き役に徹していたからこそ、重宝されたのだそうです。

 女子は自分の話を聞いてほしいので、黙って頷いてくれる存在は貴重だと言います。
 なるほど。それならこれからも、うちの娘は女子会に呼んでもらえそうです。

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