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失われた時を求めて1 [20世紀フランス文学]

 「抄訳版 失われた時を求めてⅠ」 プルースト作 鈴木道彦編訳 (集英社文庫)


 自分の中に埋もれている「失われた時」を掘りおこし、紡ぎ直した人生の物語です。
 日本語訳にして原稿用紙1万枚の長大な小説で、20世紀文学の傑作とされています。


抄訳版 失われた時を求めて 1 (集英社文庫)

抄訳版 失われた時を求めて 1 (集英社文庫)

  • 作者: マルセル・プルースト
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2002/12/13
  • メディア: 文庫



 「長いあいだ、私は夜早く床に就くのだった。ときには、蝋燭を消すとたちまち目が
 ふさがり、『ああ、眠るんだな』と考える暇さえないこともあった。」(P17)

 という有名な書き出しで始まるこの小説は、夢うつつの状態でどんどん話が進みます。
 「私」がどんな人物なのかさえ分からないまま、不意にその記憶の中へ潜り込みます。

 最初に現れるのは、「私」が幼いころ過ごしたコンブレーでの生活です。
 母、父、祖父母、大叔父と大叔母、そしてスワンとその娘ジルベルト・・・

 さて、私は本を読むのが遅い方で、小説(「風と共に去りぬ」等)は時速50ページ。
 しかし、「失われた時を求めて」は咀嚼しないといけないので、時速30ページほど。

 特に最初の100ページぐらいは、語り口調に馴染めなくて、かなり手こずりました。
 現在と過去、パリとコンブレ―を行き来するうちに、私は何度か迷子になりました。

 たとえば「私」は、紅茶に浸したマドレーヌを口にした瞬間、過去を思い出します。
 たちまち「私」は、コンブレ―の日曜日の朝の、レオニ叔母の家に引き戻されます。

 「過去は知性の領域外の、知性の手の届かないところで、たとえば予想もしなかった
 品物のなかに(この品物の与える感覚のなかに)ひそんでいるのだ。」(P74)

 (このマドレーヌ体験の箇所は、無意識的記憶を呼び起こす場面として有名です。
 しかし私は、マドレーヌを紅茶に浸して食べるのかと、変な所で感心しました。)

 物語が少し見えてきたのが、コンブレ―の二つの散歩道が出てくる場面からです。
 その一本は、スワン家の方へ、もう一本は、ゲルマントの方へ向かっています。

 スワン家は、成金的なユダヤ人の家系で、その家のジルベルトに「私」は恋します。
 ゲルマント家は、中世から続く伝説の貴族で、ゲルマント侯爵夫人はその象徴です。

 散歩道の二つの方向は対称的で、物語において重要な象徴的意味を持っています。
 私はまだⅠ巻の半ばまでしか読んでいないので、詳しいことは分かりませんが。

 ところで、この物語をなんとか読み続けられているのは、「抄訳版」だからです。
 また、一章ごとにその章の内容が簡潔に書かれているので、理解しやすいです。

 なお、現在「失われた時を求めて 全一冊」という、優れた抄訳版も出ています。
 なんと1冊の単行本でまとめられています。文庫化されたら絶対に買いたいです。


失われた時を求めて 全一冊 (新潮モダン・クラシックス)

失われた時を求めて 全一冊 (新潮モダン・クラシックス)

  • 作者: マルセル プルースト
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/05/29
  • メディア: 単行本



 さいごに。(紅葉に癒される)

 先日見に行った紅葉は、とても情緒がありました。
 紅葉の照り映える様子を見ると、とても心が癒されてきます。

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