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世界文学の流れをざっくりとつかむ27 [世界文学の流れをざっくりとつかむ]

≪第六章≫ ルネサンス期から十七世紀の文学

 7 中国文学の大衆化の時代

 13世紀後半、元が中国を支配すると、これまでの伝統的な政治機構は崩され、儒教的な教養を身に付けてきた士大夫階級は政権から遠ざけられました。これによって、中国文学は転換点を迎えました。これまで文学の中心だった漢詩は廃れていきました。そして、政権から離れた文人たちの中から、娯楽性の高い元曲や小説を書き始める者が出たのです。

 1368年に明が建国し、元を北へ追いやり、再び漢民族国家が誕生しました。初代の洪武帝は貧民の出であり、劣等感を持っていたため文人を弾圧しました。洪武帝はその一方で、全国に国立学校を作り、国民の識字率を上げたため、大衆文化が生まれました。「三国志演義」「水滸伝」「金瓶梅」「西遊記」など、俗に四大奇書と言われる小説が成立したのは明の時代です。これらはいずれも分かりやすい口語で書かれました。

 明代の初頭(14世紀後半)に、羅貫中の「三国志演義」が成立しました。これは、魏呉蜀三国時代を舞台にした通俗歴史小説で、蜀と魏を善悪二つに単純化し、分かりやすく描いてあります。同じく明代初頭には、施耐庵の「水滸伝」が成立しました。これは、梁山泊に集った英雄たちの物語です。「三国志演義」も「水滸伝」も、講談をもとに編集され、大衆受けするよう波乱万丈の物語となっています。

 明代末期(16世紀から17世紀前半)に、笑笑生の「金瓶梅(きんぺいばい)」が成立しました。富豪で好色な西門慶を主人公にした官能小説ですが、当時の社会風俗がリアルに描かれていて興味深い作品です。また、講談をもとにせず、一人の作者が全体の構成を考えている点で画期的でした。同じく明代末期には、呉承恩の「西遊記」が成立しました。三蔵法師が孫悟空とともに天竺を目指す荒唐無稽な冒険物語です。1620年頃には、「封神演義」が成立しました。殷朝を舞台にした荒唐無稽な物語です。文学的価値は高くないものの、大衆には広く読まれました。

 1636年に、満州族が清を建国しました。明の後を継ぐ正当な王朝として、1912年まで中国とモンゴルを支配しました。明の時代から引き続いて、小説が流行しました。1680年頃に、蒲松齢「聊斎志異」が成立しました。これは、怪異小説の集大成です。その後、1700年代に入ると、貴公子賈宝玉と女二人の三角関係を描いた、曹雪芹の「紅楼夢」が登場します。これは、上流階級の生活を細かく写しながら、登場人物たちの心理を克明に描いています。また同時期に、科挙に振り回される人々を生き生きと描いた、呉敬梓の「儒林外史」も成立しました。

 次回は、日本文学の大衆化の時代について述べたいと思います。

 さいごに。(娘の不満)

 地方版TV番組の雑誌で、娘の好きなジャニーズが表紙になっています。
 それなのに、その番組は、うちの地方では放送されないのです。

 それなら地方版の表紙にしないでほしい、と娘は言います。そのとおりです。
 しかも、それに代わる地方番組がくだらない内容なので、やりきれないと言う。

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