少将滋幹の母 [日本の現代文学]
「少将滋幹の母」 谷崎潤一郎 (新潮文庫)
妻を奪われた老大納言国経の執着と、その子滋幹の母への思慕を描いた物語です。
平安朝の時代小説で、「今昔物語」などさまざまな説話を材料に描かれています。
色好みの平中(平定文)は、左大臣藤原時平の屋敷の侍従に惚れ込んでいました。
そのため平中は時平邸を時々訪れて、二人は趣味の話や女の話に花を咲かせました。
あるとき時平は、自分の伯父である大納言国経の妻について、平中に尋ねました。
国経は80に近い老齢、妻は20ぐらいの絶世の美女。そして平中と関係がありました。
時平は、国経にさまざまな贈り物をして相手を感動させ、とうとうその妻を・・・
国経の妻への消えない執着心、そして息子滋幹の母への思慕の念・・・
タイトルは「少将滋幹の母」なので、最初は女の話かと思っていたけど違いました。
男たちの物語です。これは、少将滋幹の母を取り巻く男たちの物語です。
前半は、時平と平中の物語です。さまざまなエピソードをまじえながら展開します。
時平のやり方は実にしたたか。強引に奪うのではなく、相手に献上させてしまう!
後半は、国経と息子滋幹の物語です。二人のそれぞれの思いが描かれています。
ある月の夜、老いた父は一人でどこに出かけたが・・・滋幹はそこで何を見たか?
特に「不浄観」について書かれている部分が、印象に残りました。
父の前にあったのは腐った女の遺体で、内臓が流れ出し蛆がうごめいていて・・・
「不浄観」については、P137から20ページほどにわたり、詳しく描かれています。
おそらく谷崎自身も、とても興味を持っていたであろうと思います。
そして、母と別れて40年後、滋幹は父の跡を追った日と同じような月夜に・・・
このラストはすばらしいです。「お母さま」の一言に、すべて集約されています。
さて、この小説を大学時代に初めて読んだときは、平中に感情移入していました。
50を超えた今は、滋幹に共感していました。母を慕うところが可哀そうで・・・
ところで、死体の腐る過程を描いた「九相図」は、不浄観のためのものだと言う。
これまで気味の悪い絵だと思っていたけど、意外な意味があることを知りました。
さいごに。(ただ走るだけでしょ?)
冬の体育の授業は持久走で、各自のペースでただひたすら走るのだそうです。
ただ走っているだけで楽しそうだなと思ったら、「そこが大変なんだ」とのこと。
私が中学生だったときは、持久走の授業は完全な息抜きでした。
走るのが苦手な娘にとっては、ただ走るだけで苦痛のようです。陸上部なのに!
妻を奪われた老大納言国経の執着と、その子滋幹の母への思慕を描いた物語です。
平安朝の時代小説で、「今昔物語」などさまざまな説話を材料に描かれています。
色好みの平中(平定文)は、左大臣藤原時平の屋敷の侍従に惚れ込んでいました。
そのため平中は時平邸を時々訪れて、二人は趣味の話や女の話に花を咲かせました。
あるとき時平は、自分の伯父である大納言国経の妻について、平中に尋ねました。
国経は80に近い老齢、妻は20ぐらいの絶世の美女。そして平中と関係がありました。
時平は、国経にさまざまな贈り物をして相手を感動させ、とうとうその妻を・・・
国経の妻への消えない執着心、そして息子滋幹の母への思慕の念・・・
タイトルは「少将滋幹の母」なので、最初は女の話かと思っていたけど違いました。
男たちの物語です。これは、少将滋幹の母を取り巻く男たちの物語です。
前半は、時平と平中の物語です。さまざまなエピソードをまじえながら展開します。
時平のやり方は実にしたたか。強引に奪うのではなく、相手に献上させてしまう!
後半は、国経と息子滋幹の物語です。二人のそれぞれの思いが描かれています。
ある月の夜、老いた父は一人でどこに出かけたが・・・滋幹はそこで何を見たか?
特に「不浄観」について書かれている部分が、印象に残りました。
父の前にあったのは腐った女の遺体で、内臓が流れ出し蛆がうごめいていて・・・
「不浄観」については、P137から20ページほどにわたり、詳しく描かれています。
おそらく谷崎自身も、とても興味を持っていたであろうと思います。
そして、母と別れて40年後、滋幹は父の跡を追った日と同じような月夜に・・・
このラストはすばらしいです。「お母さま」の一言に、すべて集約されています。
さて、この小説を大学時代に初めて読んだときは、平中に感情移入していました。
50を超えた今は、滋幹に共感していました。母を慕うところが可哀そうで・・・
ところで、死体の腐る過程を描いた「九相図」は、不浄観のためのものだと言う。
これまで気味の悪い絵だと思っていたけど、意外な意味があることを知りました。
さいごに。(ただ走るだけでしょ?)
冬の体育の授業は持久走で、各自のペースでただひたすら走るのだそうです。
ただ走っているだけで楽しそうだなと思ったら、「そこが大変なんだ」とのこと。
私が中学生だったときは、持久走の授業は完全な息抜きでした。
走るのが苦手な娘にとっては、ただ走るだけで苦痛のようです。陸上部なのに!
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