自省録 [古代文学]
「自省録」 マルクス・アウレーリウス著 神谷恵美子訳 (岩波文庫)
五賢帝最後の皇帝が、多忙な政務の傍らで、日々思索したことを綴った日記です。
古代ギリシャ語で書かれています。著者は、2世紀の後半のローマ皇帝です。
初訳はなんと昭和23年(敗戦の3年後!)で、昭和33年に岩波文庫入りしました。
2007年に改版され、今年2024年に「100分de名著」で放映され注目を浴びました。
「プラトーンは哲学者の手に政治をゆだねることをもって理想としたが、この理想が
歴史上ただ一回実現した例がある。それがマルクス・アウレーリウスの場合であった。
大ローマ帝国の皇帝という地位にあって多端な公務を忠実に果たしながら彼の心はつ
ねに内に向かって沈潜し、哲学的思索を生命として生きていた。」(訳者序)
第16代ローマ皇帝マルクス・アウレーリウスは、ストア派の哲学者でもありました。
それゆえ、忙しい政務の合間に「運命をいかに克服していくか」を考え続けました。
「自省録」には、皇帝の日常の苦悩や思索が書かれていて、たいへん興味深いです。
1900年も前の、しかもローマの皇帝が、現代の我々と同じ悩みを抱えていました。
特に、私たち人間の生命のはかなさについて述べた部分が多くて、共感しました。
永遠の時間の流れの中において、人生はなんとあっけなく過ぎていくのだろう・・・
「なんとすべてのものはすみやかに消え失せてしまうことだろう。その体自体は宇宙
の中に、それに関する記憶は永遠の中に。」(P30)
「肉体に関するすべては流れであり、霊魂に関するすべては夢であり煙である。人生
は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却にすぎない。」(P33)
「時というものはいわばすべて生起するものより成る河であり奔流である。あるもの
の姿が見えるかと思うとたちまち運び去られ、他のものが通って行くかと思うとそれ
もまた持ち去られてしまう。」(P66)
「このほんのわずかの時間を自然に従って歩み、安らかに旅路を終えるがよい。あた
かもよく熟れたオリーヴの実が、自分を産んだ地を讃めたたえ、自分をみのらせた樹
に感謝をささげながら落ちていくように。」(P68)
「葡萄の樹はひとたび自分の実を結んでしまえば、それ以上なんら求むるところはな
い。(中略)人間も誰かによくしてやったら、(それから利益をえようとせず)別の
行動に移るのである。あたかも葡萄の樹が、時が来れば新たに房をつけるように。」
(P74)
「すべての存在は絶え間なく流れる河のようであって、(中略)常なるものはほとん
どない。我々のすぐそばには過去の無限と未来の深淵とが口をあけており、その中に
すべてのものが消え去って行く。」(P85)
というように、名文の宝庫です。まとめれば、彼の主張はこうなるでしょうか。
「人生は短くはかないが、その運命を受け入れて、真面目に真剣に生きよう。」
さて、2006年には、講談社学術文庫から「自省録」の新訳(鈴木照雄訳)が出ました。
南川高志の解説書「マルクス・アウレリウス『自省録』のローマ帝国」も出ています。
「100分de名著」で「自省録」を解説したのが、「嫌われる勇気」の岸見一郎でした。
岸見一郎による「マルクス・アウレリウス『自省録』を読む」も、読んでみたいです。
さいごに。(ずっとこの人がキライだった4)
私は今、臆面もない手のひら返しで、ずっとキライだった立花孝志を応援しています。
兵庫県知事選では、NHKだけでなく全てのオールドメディアをぶっ壊す勢いでした。
また彼は、稲村支持を表明した市長22名の選挙に、刺客を立てるとも言っています。
本当でしょうか? いずれにしても、政治に関心を向けさせた彼の功績は大きいです。
五賢帝最後の皇帝が、多忙な政務の傍らで、日々思索したことを綴った日記です。
古代ギリシャ語で書かれています。著者は、2世紀の後半のローマ皇帝です。
初訳はなんと昭和23年(敗戦の3年後!)で、昭和33年に岩波文庫入りしました。
2007年に改版され、今年2024年に「100分de名著」で放映され注目を浴びました。
「プラトーンは哲学者の手に政治をゆだねることをもって理想としたが、この理想が
歴史上ただ一回実現した例がある。それがマルクス・アウレーリウスの場合であった。
大ローマ帝国の皇帝という地位にあって多端な公務を忠実に果たしながら彼の心はつ
ねに内に向かって沈潜し、哲学的思索を生命として生きていた。」(訳者序)
第16代ローマ皇帝マルクス・アウレーリウスは、ストア派の哲学者でもありました。
それゆえ、忙しい政務の合間に「運命をいかに克服していくか」を考え続けました。
「自省録」には、皇帝の日常の苦悩や思索が書かれていて、たいへん興味深いです。
1900年も前の、しかもローマの皇帝が、現代の我々と同じ悩みを抱えていました。
特に、私たち人間の生命のはかなさについて述べた部分が多くて、共感しました。
永遠の時間の流れの中において、人生はなんとあっけなく過ぎていくのだろう・・・
「なんとすべてのものはすみやかに消え失せてしまうことだろう。その体自体は宇宙
の中に、それに関する記憶は永遠の中に。」(P30)
「肉体に関するすべては流れであり、霊魂に関するすべては夢であり煙である。人生
は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却にすぎない。」(P33)
「時というものはいわばすべて生起するものより成る河であり奔流である。あるもの
の姿が見えるかと思うとたちまち運び去られ、他のものが通って行くかと思うとそれ
もまた持ち去られてしまう。」(P66)
「このほんのわずかの時間を自然に従って歩み、安らかに旅路を終えるがよい。あた
かもよく熟れたオリーヴの実が、自分を産んだ地を讃めたたえ、自分をみのらせた樹
に感謝をささげながら落ちていくように。」(P68)
「葡萄の樹はひとたび自分の実を結んでしまえば、それ以上なんら求むるところはな
い。(中略)人間も誰かによくしてやったら、(それから利益をえようとせず)別の
行動に移るのである。あたかも葡萄の樹が、時が来れば新たに房をつけるように。」
(P74)
「すべての存在は絶え間なく流れる河のようであって、(中略)常なるものはほとん
どない。我々のすぐそばには過去の無限と未来の深淵とが口をあけており、その中に
すべてのものが消え去って行く。」(P85)
というように、名文の宝庫です。まとめれば、彼の主張はこうなるでしょうか。
「人生は短くはかないが、その運命を受け入れて、真面目に真剣に生きよう。」
さて、2006年には、講談社学術文庫から「自省録」の新訳(鈴木照雄訳)が出ました。
南川高志の解説書「マルクス・アウレリウス『自省録』のローマ帝国」も出ています。
マルクス・アウレリウス 『自省録』のローマ帝国 (岩波新書 新赤版 1954)
- 作者: 南川 高志
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2022/12/21
- メディア: 新書
「100分de名著」で「自省録」を解説したのが、「嫌われる勇気」の岸見一郎でした。
岸見一郎による「マルクス・アウレリウス『自省録』を読む」も、読んでみたいです。
さいごに。(ずっとこの人がキライだった4)
私は今、臆面もない手のひら返しで、ずっとキライだった立花孝志を応援しています。
兵庫県知事選では、NHKだけでなく全てのオールドメディアをぶっ壊す勢いでした。
また彼は、稲村支持を表明した市長22名の選挙に、刺客を立てるとも言っています。
本当でしょうか? いずれにしても、政治に関心を向けさせた彼の功績は大きいです。
本稿とは関係のない話題で申し訳ないのですが、百年の孤独が文庫化されましたね。そのお陰で、第三次?四次?ラテンアメリカ文学ブームが来ており、翻訳が盛んになり、文庫化も進んでおります。
そこで、もし今気がおありなら、暫定で終わってしまった、ラテンアメリカ文学文庫全集を再構成されてはいかがでしょうか、と思い投稿させていただきました。ご検討の程よろしくお願いします。
by 通りすがり (2024-12-03 02:34)