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2019年9月発売の気になる文庫本 [来月発売の気になる文庫本]

 2019年9月発売予定の文庫本で、気になるものを独断で紹介します。
 データは、出版社やamazonの、HPやメルマガを、参考にしています。


・9/6  「逆説の世界史 古代エジプトと中華帝国の興廃」井沢元彦(小学館文庫)
  → 「逆説の日本史」に次ぐ、著者第二のライフワークの第一弾。気になる。

・9/11 「サイラス・マーナー」ジョージ・エリオット(光文社古典新訳文庫)
  → これまでの定番は岩波文庫版で1947年初訳のもの。新訳歓迎。気になる。


◎ おまけ1(「サラムボー」が出るらしい)

 岩波文庫のメールニュースによると、10月に「サラムボー」が出るようです。
 「サラムボー」は「ボヴァリー夫人」の次の書かれた、フローベールの長編。

 現在なかなか手に入れることができない作品で、古本市場でも高値です。
 こういう本をしっかり出してくれるところが、岩波さんの素敵なところですね。


◎ おまけ2(本の要約サイト)

 本の要約サイトの「Flier」の会員(無料)になりました。
 会員になると、25冊ほどの指定された本の要約を、無料で読むことができます。

 しかも執筆者は、各分野の専門家なので、とても信頼できる要約になっています。
 実際に読んでみましたが、本当に分かりやすくまとめられていました。

 さて、無料の25冊のリストが、なかなか充実しているのです。
 「7つの習慣」「人を動かす」「利己的な遺伝子」「夜と霧」など話題作ばかり。

 「これからの『正義』の話をしよう」や、「ホモ・デウス」など、最近の本も。
 ただし「ホモ・デウス」は上巻のみ。シルバー会員になって下巻も読まなくては。

 シルバー会員は、有料の要約を月に5冊まで読むことができます。月にわずか500円。
 ゴールド会員は、無制限に要約を読むことができます。月に2000円かかりますが。
 本の要約サイト「flier」→ https://www.flierinc.com/


◎ おまけ3(「TSUTAYA DISCAS」)

 「TSUTAYA DISCAS」に入会してみました。ツタヤの宅配レンタルです。
 DVDやCDの旧作が借り放題(新作は8点まで)で、一か月2000円ほどです。

 はっきり言って私の場合、DVDについては、借りたい作品が全くありません。
 あったとしても、近くのTSUTAYAに行った方が早いので、メリット無しです。

 ところが、CDがすごい! すでに廃盤の洋楽CDもちゃんと借りられるのです。
 たとえば、アメリカの「風のマジック」(アマゾンの中古で7000円超)など。

 洋楽ファンにとっては、たまらないサービスです。1か月2000円は高くない。
 常時借りたいアルバムが20枚以上あるので、しばらくは洋楽三昧です。


◎ さいごに。(ギャグ・ハラだと言われました)

 「パパ、つまらないギャグばかり言わないで」と、先日娘に言われました。
 「ギャグ・ハラスメントだよ。」とママさんにも言われました。

 自分では、ママさんや娘を楽しませているつもりなのですが。
 「そこを勘違いしてるよ」と、また言われました。そうだったのか・・・

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歯車(芥川龍之介) [日本の近代文学]

 「或阿呆の一生 侏儒の言葉」 芥川龍之介 (角川文庫)


 タイトル作など、最晩年の昭和2年に書かれた作品と遺稿を、18作収録しています。
 以前は天野喜孝の妖艶なカバーでしたが、現在はお洒落なデザインになっています。


或阿呆の一生・侏儒の言葉 (角川文庫)

或阿呆の一生・侏儒の言葉 (角川文庫)

  • 作者: 芥川 龍之介
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1969/09
  • メディア: 文庫




或阿呆の一生・侏儒の言葉 (角川文庫)

或阿呆の一生・侏儒の言葉 (角川文庫)

  • 作者: 芥川 龍之介
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/11/22
  • メディア: 文庫



 昭和2年7月、芥川は致死量の睡眠薬を飲んで自殺しました。まだ35歳でした。
 原因は「将来に対する唯ぼんやりした不安」だと、旧友に書き残していました。

 その年の1月、義兄が放火と保険金詐欺の疑惑を受け、鉄道自殺していました。
 義兄の借金を引き受け、その家族の面倒も見て、当時芥川は疲れ切っていました。

 それだけではありません。胃潰瘍、腸カタル、不眠症、神経衰弱等、健康上の不安。
 ぎくしゃくした家族関係。孤独感。若き頃の秀しげ子との過ちに対する後悔・・・

 女流文学者の秀しげ子は、既に人妻で子供もいました。だから姦通罪になります。
 彼女は芥川の弟子ともデキていて、一説ではその方が芥川にはこたえたようです。

 (「侏儒の言葉」の中に、次のような興味深い文章があります。
 「わたしは第三者と一人の女を共有することに不平を持たない。しかしそれは第三者
 と全然見ず知らずの間がらであるか、あるいはごく疎遠の間がらであるか、どちらか
 であることを条件としている。」)

 芥川の自殺については、調べれば調べるほど色々と出てきて、分からなくなります。
 が、私は思います。要するに書けなくなったのだと。小説家にとっては命取りです。

 創作を始めてから10年と少し。しかし作品はだいぶ前からマンネリ化していました。
 新しい作品にチャレンジもしましたが、周囲からの批評は厳しいものばかりでした。

 だから、最晩年を扱ったこの本には、作品らしい作品は、あまりありません。
 タイトルの「或阿呆の一生」も「侏儒の言葉」も、作品というにはねえ・・・

 「或阿呆の一生」は、自分の一生を少しずつ、モザイク状に組み上げたものです。
 芥川の心の葛藤を、細切れに綴っていますが、作品というより日記帳に近いです。

 「侏儒の言葉」は、芥川の箴言集(しんげんしゅう)です。
 ちょっと気の利いた言葉が集められていますが、作品というより雑記帳に近いです。

 しかし、つまらないわけではありません。芥川の本心が垣間見られるからです。
 芥川のことなら何でも知りたいマニアックなファンには、たまらないでしょう。

 漱石の死のことや、狂った実母のことや、秀しげ子との不倫を匂わせている場面や、
 姉の夫の自殺のことや、芥川の自殺未遂のことや、青酸カリが出てくる場面や・・・

 特に「或阿呆の一生」には、「ぼんやりした不安」が尽くしてあると言います。
 芥川の死について考える時、「阿呆」と「或旧友へ送る手記」は、外せません。

 さて、この本の中で、奇跡的な美しさで輝いているのが、私の好きな「歯車」です。
 芥川が悩まされていた不気味な幻想が、絶妙に盛り込まれた短編小説です。

 「僕」は結婚披露宴に行く途中で、偶然レインコートを着た幽霊の話を聞きました。
 その後季節外れのレインコートを着た男が、「僕」の前に現れて不意に消えました。

 歩いているうちに、「絶えずまわっている半透明の歯車」が突然見え始めました。
 その夜、突然姉の娘から電話があり・・・姉の夫はレインコートを着たまま・・・

 その後も、時々現れる「半透明の歯車」。
 あの歯車は、いったい何なのか? あの歯車は、何を象徴しているのか?

 私は、書けなくなった芥川の打開策の一つが、この「歯車」にあると考えています。
 まとわりつく不気味な幻想を書き連ね、ホフマンのような作品を書いていれば!

 蛇足ですが、打開策のもう一つは、秀しげ子との関係を長編を書くというものです。
 芥川よ、勝手なことを述べてすまない。でも、死んでは何にもならないじゃないか。

 ところで、本所界隈をスケッチした「本所両国」は、私にとって思い出深い小品。
 別段どうってことない文章ですが、所々に出てくる芥川の思い出話がたまらない。

 まだ20代の頃これを読んで、芥川が子供の頃遊んだという回向院に赴きました。
 鼠小僧の墓を見たり、芥川がよく倒して遊んだという石塔を探したりしたものです。

 ということで、最晩年のこの本は、マニアックな魅力に溢れた本になっています。
 芥川の死と切り離せない作品集であり、ある意味、芥川の集大成でもあります。

 芥川の死については非常に興味を持っていたので、今回は長くなってしまいました。
 最後に「侏儒の言葉」から、人生に関する箴言を二つ。

 「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わな
 ければ危険である。」

 「人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかしとにかく
 一部を成している。」

 さいごに。(siri に感動)

 アイフォンに siri という人工知能が入っているということを、今さら知りました。
 「何でも聞いてみて」と娘が言うので、「siri、面白いこと言って」と言うと・・・

 「私の言うことは支離滅裂です。siri だけに。」という答え。私は感動しました!
 「siri、賢いね」と言うと、「恐れ入ります。喜んでもらえて嬉しいです」とのこと。

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藪の中(芥川龍之介) [日本の近代文学]

 「藪の中 将軍」 芥川龍之介 (角川文庫)

 タイトル作など、大正10年に発表された短編を中心に、17編を収録しています。
 角川文庫は天野喜孝の妖艶なカバーで出ていましたが、現在は絶版のようです。


藪の中・将軍 (角川文庫)

藪の中・将軍 (角川文庫)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2000/09/15
  • メディア: Kindle版



 「藪の中」は、王朝物の最後の傑作であり、真相が分からないことで有名です。
 一人の殺人事件について、当事者三人の証言が、まったく食い違っています。

 盗人は自分が殺したと言い、女は自分が殺したと言い、男の霊は自分で死んだと・・・
 藪の中で行われた殺人事件の真相は、調べれば調べるほど藪の奥深くへと・・・

 若いころに読んだ時には混乱して、「いったい真実は何なんだ?」と思いました。
 しかしそれこそ芥川の狙い。彼は、混沌とした結末こそ真実に近いと言いたいらしい。

 「将軍」は、いくつかのスケッチを通して、乃木将軍を身近に描いた作品です。
 しかし本当に書きたかったのは、次のような明治的考えに対する違和感だったのでは?

 「死は陛下の御為にしても、所詮はのろうべき怪物だった。戦争は、 — 彼はほとんど
 戦争は、罪悪という気さえしなかった。(中略)戦争は陛下の御為の御奉公にほかな
 らなかった。」(P190)

 「秋山図」は、「藪の中」同様ミステリーっぽい作品で、興味がそそられる佳作です。
 50年ぶりに見た秋山図は、昔見た秋山図と同じものだったのか? それとも・・・

 また、平中説話を題材にした「好色」、平家物語で知られる「俊寛」なども良いです。
 どちらも伝承をうまくアレンジして、芥川一流の味付けがされています。

 本の前半には「アグニの神」「奇遇」「妙な話」などオカルト的作品が目立ちます。
 中でも「奇妙な再会」が、とても印象に残りました。あの白い犬は何だったのか?

 大正10年というと芥川はまだ30歳前で、海外視察員として中国に派遣された頃です。
 オカルト的作品は、中国の志怪小説の影響でしょうか。

 芥川は帰国後、心身の健康を崩したので、この時期の作品は少なめです。
 この苦しい時期があったからこそ、晩年の「歯車」「河童」が生まれるのです。

 さいごに。(今年は家族イベント無し)

 娘が小学生の頃は、毎年夏休みには、泊りがけで旅行に行っていました。
 テントに泊まったり、バンガローに泊まったりして、自然の中で過ごしました。

 中学生で陸上部に入ると、なかなか都合がつかなくて、今年は旅行に行けません。
 せめてお盆にはどこかに行こうと思っていましたが、台風が来ちゃったし。

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ブリタニキュス ベレニス [17世紀文学]

 「ブリタニキュス ベレニス」 ラシーヌ作 渡辺守章訳 (岩波文庫)


 皇帝ネロと皇帝ティチュスの時代を描いた、ローマ帝国モノの悲劇二編です。
 「アンドロマック」ほど知られていませんが、ラシーヌの代表作の一つです。

 2008年に岩波文庫から出た直後に買い、ようやく読みました。現在は絶版です。
 「フェードル アンドロマック」同様、渡辺訳は分かりやすかったです。
 「アンドロマック」→ https://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2010-02-23


ブリタニキュス ベレニス (岩波文庫)

ブリタニキュス ベレニス (岩波文庫)

  • 作者: ラシーヌ
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2008/02/15
  • メディア: 文庫



 「ブリタニキュス」は1669年に上演されましたが、評判は芳しくなかったそうです。
 「ブリタニキュス」はクラウディウス帝の子。皇帝ネロの義理の弟に当たります。

 ネロン(=ネロ)が皇帝の座に着けたのは、母アグリピーヌのおかげです。
 それがよく分かっているからこそ、実の母アグリピーヌが疎ましくなってきました。

 その心につけこみ、ネロンを悪の道に走らせるのが、ナルシスという悪人です。
 ナルシスはブリタニキュスの後見をしていながら、ネロンのために彼を裏切り・・・

 「ブリタニキュス」は、ブリタニキュスとその恋人ジュニーの悲劇を描いています。
 しかし主役はどう見ても皇帝ネロです。ネロと母アグリピーヌの確執がテーマです。

 誰でも大人になるため、親から一歩踏み出すときが来ます。人生の変化のときです。
 ネロンにもそのときが来ました。そのとき彼を導いたのが、運悪くナルシスだった。

 その結果、3年間の善政もむなしく、ネロンは暴君の道を歩み始めるのです。
 最後はアグリピーヌも暗殺されることが暗示され、不気味な雰囲気で幕が下ります。

 「だが、わたしの死が、お前には何の役にも立たぬようにしてやろう。
 死ぬ時にこのわたしが、お前を無事安穏にしておくなどとは思わぬがよい。」

 実に後味が悪い。我々はこののちのネロの暴虐を知っているので、なおさらです。
 ラシーヌは、暴君ネロンが誕生する瞬間を描きたかったのかもしれません。

 さて、もう一方の「ベレニス」は、翌1670年に上演され、それなりに成功しました。
 「ベレニス」はパレスティナの女王です。ローマ皇帝ティチュスに愛されました。

 ティチュスとベレニスの婚礼が近づく中、皇帝の友アンティオキュスが悩んでいます。
 彼もベレニスを愛していたのです。彼は思いを断ち切り、ローマを離れようとします。

 ところが、ローマには、異国の女王を妃にしてはいけないという掟があったのです。
 皇帝はベレニスと別れるために、友であるアンティオキュスを彼女の元に遣わし・・・

 皇帝がアンティオキュスの恋心を知らないため、三人の関係はややこしくなります。
 主役はベレニスではなくて、皇帝ティチュスとその友アンティオキュスでしょう。

 ところで「ベレニス」の登場人物は良い子ちゃんばかりで、やや面白みに欠けます。
 私的には「ブリタニキュス」の方が面白かった。ネロンの個性が強烈だったので。

 この本も、「フェードル アンドロマック」と同じで、訳注がやたらと多いです。
 本文が二編で300ページ足らずなのに、訳注は250ページあります。読まないって!

 訳注をバッサリ切って、500円くらいで出ていたら、もっと読まれたのではないか。
 文庫本には専門的な訳注はいらない、というように割り切ってほしいと思います。

 さいごに。(シゲが出てるから)

 普段あまりドラマを見ないママさんが、最近NHKの夜のドラマを見ています。
 わけを聞いたら、「シゲが出ているから」とのこと。(シゲ=重岡くん)

 ママさんは、ジャニーズ・ウェストの重岡君のファンなのです。
 ドラマに出てくる重岡君が、いまいちチャライ役なので不満があるようです。

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呪われた腕 [19世紀イギリス文学]

 「呪われた腕 ハーディ傑作選」 トマス・ハーディ作 河野一郎訳 (新潮文庫)


 19世紀イギリスを代表する文豪の、愛と結婚を巡る短編を8編収録しています。
 長い間絶版でしたが、村上柴田翻訳堂の1冊として、2016年に復刊されました。


呪われた腕: ハーディ傑作選 (新潮文庫)

呪われた腕: ハーディ傑作選 (新潮文庫)

  • 作者: トマス ハーディ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/04/28
  • メディア: 文庫



 タイトル作「呪われた腕」は、腕にできた痣をめぐる、ホラーっぽい物語です。
 物語は、農場主に新妻がやってきて、ローダが妻の座を譲る所から始まります。

 ローダはある夜、夢に現れた誰かの腕を、必死でつかんで振り払いました。
 翌日出会った新しい妻の腕には、くっきりとローダの指の跡が残っていたのです。

 彼女の腕は、日に日に醜くしなびていきますが、原因が全く分かりません。
 とうとう新しい妻は、呪われた腕をまじない師に見てもらうことにしましたが・・・

 まじない師が教えた腕を直す方法は? それを実践した結果は?
 オカルト風に展開し、悲劇的な結末がいきなりボンっとやってきて驚かされます。

 ハーディのどの作品も、ショーペンハウアーの厭世思想が大きく影響しています。
 結末はすべて破滅的で悲劇的で、やりきれない気持ちになります。

 ショーペンハウエルによると、「宇宙を支配するものは無自覚で盲目の内在意識で
 あり、これに反抗するものは自ら滅びざるを得ない」のだそうです。(あとがき)

 そのことを念頭に置くと、「妻ゆえに」も「わが子ゆえに」も「憂鬱な軽騎兵」
 も「アリシアの日記」も、「無自覚で盲目の内在意識」に反してしまった話です。

 いずれもどこかで人生の歯車が狂って、主人公たちは自滅の道を進んでいきます。
 彼らは、もっと自分の心の中の叫びを、大切にするべきだったのでしょうか。

 中でも最も痛々しいのが、「アリシアの日記」の「シャルル」です。
 恋を捨てて名誉を重んじるとか言って、しかし、あのような結末では・・・

 違う意味で興味深かったのは、「幻想を追う女」です。前半は実に面白かった!
 まだ見ぬ詩人に勝手に恋してしまったエラ。しかし詩人は決して姿を現さない。

 その詩人もエラと同じように、下宿のおかみが名乗っているのではないか?
 いつ詩人(=おかみ)の正体が明かされるのかとワクワクして読みましたが・・・

 少し拍子抜けでした。ミステリー風の前半を、もっと生かせなかったでしょうか。
 それに、最後のオチ(?)はひどすぎませんか。子供がかわいそうですよ!

 さて、ハーディの長編といえば、「テス」と「日陰者ジュード」でしょう。
 どちらもすでに、このブログで紹介しました。参考にしてください。

 「テス」→ https://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2011-03-13
 「日陰者ジュード」→ https://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2011-05-03

 さいごに。(カレーバイキング)

 先日、家族でカレーバイキングに行きました。イエローカレーがおいしかった。
 が、一番おいしかったのは、本格マンゴージュース! 3杯飲んでしまいました。

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世界文学の流れをざっくりとつかむ13(第3章ー2) [世界文学の流れをざっくりとつかむ]

≪第3章≫ 中国とインド

2 古代中国の文学(儒教と文学)

 中国の歴史も古く、紀元前7000年頃には黄河文明が始まっていました。殷の時代には、占いのために甲骨に甲骨文字が刻まれ、そこから漢字が生まれました。漢字は、紀元前1300年頃に文字として完成したようです。やがて、宗教儀式の詩句や日常の労働歌が「詩」としてまとめられ、これが中国の韻文学の出発点となりました。また、伝説死上の聖天子や歴代の王の事績が「書」としてまとめられ、これが中国の散文学の出発点となりました。

 紀元前500年頃、ギリシアでソクラテスが活躍していたのとほぼ同じ時期に、中国では孔子が教えを説いていました。孔子の死後、その言行録を弟子たちが「論語」としてまとめました。ここに、儒教という中国人の精神的支柱が確立しました。このとき彼らは、「詩」を「詩経」として、「書」を「書経」として、儒教における重要な経典の中に取り込んだのです。こうして、「詩」や「書」などの文学は、大切な学問として位置づけられました。文学が実学として重視されるという中国独特の特徴は、このときを起源としています。また、この時期には「老子」「荘子」「韓非子」なども相次いで書かれ、中国の民族精神に大きな影響を与え続けました。

 前202年に漢が成立し、7代目の武帝の頃にその国力は最盛期を迎えました。武帝は、儒教を国家公認の学問としました。「高い徳の者が天下を治める」という思想が、中央集権を目指す武帝にとって都合が良かったからです。儒教が国教になると、特に五経の筆頭であった「詩経」は、官吏にとって大事な教養となっただけでなく、官吏は自ら詩を作ることも求められるようになりました。教養人にとって詩は、たいへん身近なものとなっていきました。一方「書経」から続く伝統は、司馬遷に正史の第一である「史記」を書かせたのです。

 武帝の時代、前91年に司馬遷は「史記」130巻を完成させました。「史記」は中国における最初の歴史書で、こののち中国の史書の模範となりました。それは、太古から武帝までの通史で、人物を中心とした本紀と列伝から成る紀伝体で書かれていました。この書物の特徴は、「天道是か非か」(この世に行われるべき正しい道はあるのかないのか)という思想で貫かれている点です。つまり、歴史を書くにあたって、著者の明確な観点が設定されているのです。司馬遷は、将軍李陵を弁護して宮刑に処せられましたが、そのようなことを行った国家に対して疑問を持っていました。「史記」を完成させるために恥を忍んで生き続け、「天道是か非か」を問い続けた司馬遷の批判精神が、「史記」を他の史書にない特別なものとしています。

 「史記」はのちに続く正史の大きな流れを作りました。後漢の班固と班昭は後82年に「漢書」100巻を著しました。前漢の歴史書で、記録重視の内容でしたが、「史記」と並んで高く評価されています。晋の陳寿は280年以降に「三国志」を著しました。後漢末から三国時代の歴史書で、魏呉蜀の争いを描く正史です。こののちにも史書は、王朝が変わるたびに書き継がれ、清の時代には二十四史が定められました。

 実学が重視される中国では、虚構の物語は蔑視されていました。しかし、東晋(317~420)に入る頃、ようやく小説が現れました。小説とは、巷で語られる小話のことを言い、上流階級からは蔑まれていましたが、民衆からの人気を博していました。この時期「捜神記(そうじんき)」が干宝(かんぽう)によって書かれました。志怪小説といって、奇怪な物語を集めたもので、仏教の影響が見られます。志怪小説はのちに伝奇小説へと引き継がれて洗練されていき、唐代の「遊仙窟」へとつながっていきます。

 さて、次回からは中世文学について書いていきたいと思います。

 さいごに。(「マツコの知らない世界」で「ムー」登場)

 前回の「マツコの知らない世界」で、オカルト雑誌「ムー」が紹介されました。
 ゲストは、「ムーを読み続けて人生を学んだ」という、漫画家の石原誠です。

 これがとても面白かった。「ムー」を取り上げてくれたマツコさんに感謝します。
 ところで、N国党首の「マツコをぶっ壊す」発言は笑止千万。(小学生か?)

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ツァラトゥストラ2 [哲学・歴史・芸術]

 「ツァラトゥストラ(下)」 ニーチェ作 丘沢静也訳 (光文社古典新訳文庫)


 「超人」「永劫回帰」などニーチェの後期思想を述べた、小説的形態の哲学書です。
 上巻には第1部と第2部が、この下巻には第3部と第4部が収録されています。


ツァラトゥストラ〈下〉 (光文社古典新訳文庫)

ツァラトゥストラ〈下〉 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者: フリードリヒ ニーチェ
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2011/01/12
  • メディア: 文庫



 第3部に入ると、いよいよ永劫回帰の思想が徐々に語られます。
 しかし、その内容がよく分からない。何度読んでもよく分からない。

 「みんな、すでに存在していたにちがいないんじゃないか? そしてまた、戻ってく
 るにちがいないんじゃないか? 向こう側に、もうひとつ道が見えるが、その恐ろし
 い道を走って、―くり返し永遠に戻ってくるにちがいないんじゃないか?」(P25)

 「なにもかもが行って、なにもかもが戻ってくる。存在は輪のように永遠に回る。何
 もかもが死に、何もかもが花をまた咲かせる。存在は年のように永遠にくり返す。」
 (P157)

 「すべてのものごとが永遠に回帰する。ぼくらもいっしょに回帰する。ぼくらは無限
 回、存在していた。すべてのものごともぼくらといっしょに存在していた。」(P163)

 これでは、具体的なイメージが湧きません。言葉足らずで、説明不足です。
 もしかしたら、仏教などでおなじみの輪廻転生のイメージでいいのでしょうか?

 詳しく知るためには、「この人を見よ」など他の著作を読まなくてはならないらしい。
 要するにこれは不完全(?)であって、当時の読者が困惑したのも無理ないです。

 最後の「ツァラトゥストラの歌」も、意味が分からないです。
 おそらくこの言葉の中に、「ツァラトゥストラ」のテーマが潜んでいるはずですが。

 おお、人間よ! 気をつけろ!
 深い真夜中が何を語っているか?
 「私は眠っていた。眠っていた。― 
 深い夢から私は目覚めた。―
 この世界は深い。 
 昼が考えたよりも深い。―
 喜びのほうが―深い悩みよりも深い。 
 嘆きが言う。『消えろ!』と。
 だがすべての喜びが永遠をほしがっている。―
 ― 深い、深い永遠をほしがっている!」 

 意味がありそうで無さそうな歌です。
 私にはこういう思わせぶりな歌よりも、次のような単純な言葉が印象に残りました。

 「豚にとっては、すべてが豚だ!」(ツァラトゥストラの言葉)
 「この世は、巨大な糞なのです」(ある夢想家の言葉)

 私は「ツァラトゥストラ」を、小説として気軽に読み始めて失敗しました。
 この作品は小説っぽい哲学書です。それなりの心構えをもって読む必要があります。

 さいごに。(健康診断)

 毎年8月に人間ドックをおこなっています。
 今年も腎機能に低下が見られるという診断でした。酒を飲んでいないのになぜ?

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ゴドーを待ちながら [20世紀イギリス文学]

 「ゴドーを待ちながら」 ベケット作 安堂信也・高橋康也訳 (白水Uブックス)


 二人の浮浪者がゴトーという人物を待ちながら、ただ時間をつぶすだけの戯曲です。
 1953年の初演と同時に賛否両論が巻き起こりました。不条理演劇の代表作です。

 ハヤカワ演劇文庫に入ったら購入しようと思っていましたが、なかなか入りません。
 白水Uブックスは新書です。1200円と比較的手ごろなので購入して読んでみました。


ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

  • 作者: サミュエル ベケット
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2013/06/18
  • メディア: 新書



 夕暮れどき田舎道の木の下で、浮浪者のエストラゴンとウラジーミルが出会いました。
 二人はゴドーを待つ間、たわいもないおしゃべりをして過ごしますが・・・

 ゴドーとは何者か? 気になりますが、ゴドーはいつまでたっても現れません。
 それどころかエストラゴンもウラジーミルも、ゴトーが何者か知らないようなのです。

 「もう行こう。」
 「だめだよ。」
 「なぜさ?」
 「ゴドーを待つんだ。」

 こうしてただただ無駄な時間が過ぎていき、最後までゴドーは現れないのです。
 そこが、「不条理演劇の最高傑作」と言われるゆえんです。

 さて、「ゴドー」は「ゴッド」のもじりだろうという有力な説があります。
 「神の死のあとの時代に神もどきを待ち続ける現代人」という寓意があるのだとか。

 ならば、木の前で待っているうちに、首を吊りたくなるという場面もイミシンです。
 首吊りして死んで初めて彼らはゴドー(神?)に会える、ということでしょうか。

 逆に言うと、我々は生きている以上、ゴドーに会えないということなのでしょうか。
 「ツァラトゥストラ」同様、「神は死んだ」というメッセージが聞こえてきます。

 「そうだ、この広大なる混沌の中で明らかなことはただ一つ、すなわち、われわれは
 ゴドーの来るのを待っているということだ。」(P158)

 しかし、ゴドーは本当にゴッドなのでしょうか。本当はいったい何者なのでしょうか。
 ところが、ゴドーが何者なのかは、ベケット自身も知らなかったとも言われています。

 「ゴドーは誰か」と聞かれた時、ベケットは次のように答えたのだそうです。
 「知っていたら作品の中に書いたでしょう」(解題より)

 「それより、あした首をつろう。(間)ゴドーが来れば別だが。」
 「もし来たら?」
 「わたしたちは救われる。」(P195)

 やっぱりゴドーは、神か救世主を象徴しているのでしょうか。
 いや、意味がありそうで、実は何の意味もない、ということも充分考えられます。

 さいごに。(アイスの御褒美)

 先日娘は、陸上教室に参加するため、11キロ離れた競技場まで自転車で往復しました。
 1時間以上かかって競技場に到着したら、すでに暑さと疲労でフラフラだったと言う。

 しかしそれから3時間以上の練習に耐え、また1時間以上かけて帰ってきました。
 その日は特別に、サーティワンに娘を連れて行って、アイスを食べさせました。

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ツァラトゥストラ1 [哲学・歴史・芸術]

 「ツァラトゥストラ(上)」 ニーチェ作 丘沢静也訳 (光文社古典新訳文庫)


 「超人」「永劫回帰」などニーチェの後期思想を述べた、小説的形態の哲学書です。
 ニーチェの主著のひとつであり、「神は死んだ」という言葉はとても有名です。


ツァラトゥストラ(上) (光文社古典新訳文庫)

ツァラトゥストラ(上) (光文社古典新訳文庫)

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2010/11/20
  • メディア: Kindle版



 10年間隠者として過ごしていたツァラトゥストラが、山を下りる決心をしました。
 時に彼は40歳。最初の町に着くと、市場に集まる人々に向かい演説を始めました。

 「超人というものを教えてあげよう。人間は、克服されるべき存在なのだ。
 君たちは人間を克服するために、何をしてきた?」・・・・

 さて、このあいだまで「ドン・キホーテ」を読んでいたので、ツァラトゥストラと
 ドン・キホーテが重なって見えてしまいました。ある意味どちらも道化的存在です。

 ドン・キホーテは、旅の先々で、もっともらしいたわごとを吐き散らしていました。
 ツァラトゥストラは、山を下りて、人を煙に巻くようなことばかりを言っています。

 「超人とは、この地上の意味のことだ。君たちの意志は、つぎのように言うべきだ。
 超人よ、この地上であれ、と!」

 「ほら、超人のことを教えてあげよう。超人とは、この海のことだ。この海に君たち
 は、大いなる軽蔑を沈めることができる。」

 「ほら、超人のことを教えてあげよう。超人とは、この稲妻のことだ。超人とは、こ
 の狂気のことだ!」

 ・・・で、超人って、いったい何なの?
 冒頭の前口上からこんな具合なので、わずか30ページで投げ出してしまいました。

 本書を読むと元気が出ると聞いていましたが、逆にげんなりしてしまいましたよ。
 酔っぱらったおっさんに、訳の分からない言葉を次々と投げつけられているみたいで。

 しかし、ある人が、「理解しようと思わなくていい」とアドバイスしてくれました。
 理解しようとせず、時々一人でツッコミながら読んでいくと、面白いのだそうです。

 「君たちの善人がもっている多くの点に、俺は吐き気がする。俺が望むのは、君たち
 の善人が狂気を持つことによって、破滅することなのだ。」(はあ?)

 「そんなことを説いている君たちが、人生をやめてみたらどうだ! 生きることが、
 悩むことにほかならないなら、生きることをやめてみたらどうだ!」(わお!)

 「もしも神が存在するのなら、俺は自分が神でないことに、どうやって耐えられよう
 か! だから神なんて存在しないのだ。」(何言ってんの?)

 「人間はどんどん戦争をして、もっと不平等になるべきだ。俺にそう言わせるのは、
 俺の大きな愛である!」(あはは・・・アホか!)

 ともかく上巻の最後までたどりつきました。
 だんだん頭の奥がシビレてくるのを感じます。下巻もちょっと楽しみです。

 さいごに。(夏休みも早起き)

 娘の部活は、夏休みは暑いので、朝7時半から練習を始めて、11時前に終わります。
 そのため、夏休みの間も、朝は5時台に起きて、家を6時台に出ていきます。

 夏休みだからといって、寝坊をすることができません。夜更かしもできません。
 生活習慣が乱れないので、とてもいいことだと思います。

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ドン・キホーテ6 [17世紀文学]

 「ドン・キホーテ(後篇三)」 セルバンテス作 牛島信明訳 (岩波文庫)


 自分を偉大な騎士だと妄想するドン・キホーテと、従者サンチョの物語の最終巻です。
 岩波文庫版の「後篇三」には、第50章から最終の第74章までが収められています。

 「ドン・キホーテ」は、ここまで5回にわたり紹介してきました。
 以下の記事も、参考にしてください。

 前篇一 → https://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2010-01-13
 前篇二 → https://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2019-06-02
 前篇三 → https://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2019-06-08
 後篇一 → https://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2019-07-02
 後篇二 → https://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2019-07-20


ドン・キホーテ〈後篇3〉 (岩波文庫)

ドン・キホーテ〈後篇3〉 (岩波文庫)

  • 作者: セルバンテス
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2001/03/16
  • メディア: 文庫



 ドン・キホーテは侯爵夫妻に歓待され、サンチョは領主として島に赴きました。
 一方で、侯爵夫妻は憂さ晴らしに、さらに二人を愚弄しようと企んでいました。

 ドン・キホーテは、今の安楽な生活が、自分の理想像から離れていると感じました。
 もう一度遍歴の騎士として出立しようとしたとき、老女が救いを求めて来て・・・

 サンチョ・パンサは、意外にも島をうまく治め、偉大な領主と讃えられていました。
 しかし突然、敵の軍隊が押し寄せて来たため、急いで武装したのですが・・・

 「サンチョは裸で生まれて、今も裸、損もしなけりゃ得もしねえってね。わしは一
 文なしでこの島を治めにきて、一文なしでこの島を出ていく」(P76)

 最終巻に至って、サンチョの言葉はますます冴えまくっています。
 領主としての苦い体験によって、サンチョの言葉には深みも加わりました。

 「蟻が高望みをして羽を生やし、空を飛んだばっかりに雨燕やほかの鳥に食われた
 というが、わしはわしの体に生えた蟻の羽を、この馬小屋に置いていくよ。そいで、
 もういっぺん地べたにしっかりと足をつけて歩くつもりさね。」(P78)

 さて、ドン・キホーテは最後の最後に、急に正気に返って死んでいきます。
 あまりにも唐突なので、狂気を演じていただけなのではないかと疑ってしまいます。

 「人を愚弄する者たちも愚弄される者たちと同じく狂気にとらわれている」(P352)
 というより、彼らを愚弄する公爵夫妻の執拗さの方が、よほど気違いじみています。

 ドン・キホーテは狂気を演じることで、夫妻の狂気を気づかせようとしたのでは?
 ドン・キホーテは愚弄されることで、逆に侯爵夫妻を愚弄していたのではないか?

 この本が書かれてからすでに400年以上がたちました。
 しかしドン・キホーテは、今でも多くの問いを、我々に投げかけています。

 さいごに。(infobar xv 不具合)

 ブラウザでインターネットをしていると、急につながらなくなります。
 エラーメッセージが出ますが、訳のわからない記号なので、全く解決しません。

 しかし、しばらく放っておくと、またつながるようになります。どうして?
 エラーメッセージと解決策を、ぜひ日本語で表示してほしいです。

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