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2020年1月発売の気になる文庫本 [来月発売の気になる文庫本]

 2020年1月発売予定の文庫本で、気になるものを独断で紹介します。
 データは、出版社やamazonの、HPやメルマガを、参考にしています。

・1/9 「戦争と平和(1)」 トルストイ (古典新訳文庫)
 → 名作中の名作。私は新潮の工藤訳で読んだ。岩波版と、この望月訳も気になる。

・1/27 「アダムとイブの日記」 マーク・トウェイン (河出文庫)
 → 男と女のすれ違いを描いた、トウェインの本領発揮の小説。少し気になる。


◎ 【2019年に読んだ本のベスト5】

 1位 「風と共に去りぬ 全5冊」 M・ミッチェル作 鴻巣友季子訳 (新潮文庫)
 → 10月から11月にかけて、毎日スカーレットとバトラーに会うのが楽しみでした。
   何年かのち2019年を、「風と共に去りぬ」を読んだ年として思い出すでしょう。

 2位 「ドン・キホーテ 全6冊」 セルバンテス作 牛島信明訳 (岩波文庫)
 → 6月から7月にかけては、「ドン・キホーテ」一色でした。
   迷った末に完訳を読みましたが、抄訳より面白く、読んで本当に良かったです。

 3位 「ドクトル・ジバゴ 全2冊」 パステルナーク作 江川卓訳 (新潮文庫)
 → 上巻を読んでから3年後、ようやく下巻を読みました。これも読んでよかった。
   5月は、ジバゴとラーラの恋一色という感じでした。映画も良かったです。

 4位 「失楽園 全2冊」 ミルトン作 平井正穂訳 (岩波文庫)
 → とっつきにくい作品だと思っていたら、とても読みやすくて面白かったです。
   意外なことにサタンがカッコいい。ある種の(悪魔の)魔力を持った作品です。

 5位 「ティラン・ロ・ブラン 全4冊」 マルトゥレイ作 田澤耕訳 (岩波文庫)
 → 2月から3月にかけては、「ティラン・ロ・ブラン」の世界にはまりました。
   頭の中はいつも中世で、騎士道小説というものを存分に楽しんだと思います。

 と、ベスト5を決めましたが、ほかにも3点ほど印象に残った作品があります。
 ついでながら、6位から8位までを紹介します。

 6位 「冷静と情熱のあいだ 全2冊」 江國香織・辻仁成 (角川文庫)
 → 甘く切ない恋愛小説に、不覚にも、どっぷりとはまってしまいました。

 7位 「失われた時を求めて 全3冊」 プルースト作 鈴木道彦訳 (集英社文庫)
 → ただし抄訳版。無駄が多い作品だと思うが、それでも印象的な小説でした。

 8位 「騎士団長殺し 全4冊」 村上春樹 (新潮文庫)
 → 期待が大きかった割にイマイチだったけど、読んでいるときは楽しかったです。


◎ 2020年の読書テーマ

 2020年の読書のテーマを考えています。次は20世紀文学に入ることになります。
 しかし、読みたい作品が多すぎて、どこから攻めたらいいか・・・


◎ さいごに。(名古屋旅行で)

 名古屋旅行では、娘はジャニーズのコンサートに行くため、4時からドームへ。
 3時間ほどの空き時間に、私は街をぶらつこうと栄に出たのですが・・・

 結局、丸善名古屋本店に入って、そこでほとんどの時間をつぶしてしまいました。
 我々田舎者には、まるごと書店になっているビルというのは、とても珍しいので。
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臨死体験2 [心理・宗教・オカルト]

 「臨死体験(下)」 立花隆 (文春文庫)


 膨大な取材ノートをもとに、臨死体験とは何なのかを追求したノンフィクションです。
 1991年にNHKスペシャルで放送された番組の、取材ノートを元にまとめられました。


臨死体験 下 (文春文庫)

臨死体験 下 (文春文庫)

  • 作者: 立花 隆
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2000/03/10
  • メディア: 文庫



 下巻もまた、非常に多くの事例が紹介されます。上巻同様とても内容が濃いです。
 ムーディ、モンロー、リリーと、臨死体験研究の有名どころの3人が登場します。

 1人目のレイモンド・ムーディは、臨死体験研究のゴッドファーザーです。
 1975年に「かいまみた死後の世界」を出して、臨死体験研究を本格化させました。

 「この世とあの世とは時間的にも空間的にもわかれているのではなく、実はつながっ
 ているのではないか。いやもっといえば、同じ世界なのではないか。同じ世界なのに、
 見え方がちがっているのではないかと思うのです。」(P61)

 「我々はこの世では、実はほとんど何も見ていないに等しい。死によって、人間の認
 識能力はとてつもなく拡大し、これまで見えなかったいろんなものが見えてくる。」

 さすが、臨死体験研究の先駆者です。
 死は、同じ世界における見えない空間への旅立ちなのか? とても考えさせられます。

 2人目のロバート・A・モンローは、かの有名なモンロー研究所を創始した人物です。
 彼独特の所は、たいていの人は訓練しだいで体外離脱ができる、と言っている所です。

 体外への脱出方法が書かれた部分は、この本の圧巻でしょう。
 ヘミ・シンクとかフォーカス10とか、ムー民にお馴染みの用語が、次々と登場します。

 ちなみにヘミ・シンクとは、異なった周波数の音声刺激を、両耳に与える技術です。
 これによって、被検者を覚醒させたり、さまざまな意識状態に導くことができます。

 フォーカス10とは、ヘミ・シンクによってもたらされる、ある特別な意識状態です。
 体は眠っているのに頭は覚醒している状態で、これは体外離脱体験に近い状態です。

 今では多くの人が、簡単に体外離脱できる方法を、ネットで紹介しています。
 ちょっと怖いですね。試してみて帰って来られなくなったら、どうするのでしょう。

 3人目のジョン・C・リリーは、隔離タンクでの感覚遮断の研究をしています。
 光や音や触覚等を遮断したタンクに入り、特別な意識状態を体験するというもの。

 そのとき、宗教的神秘体験と同じ状態、宗教的悟りが得られた状態だと言います。
 やがてリリーは、体外離脱や臨死体験と同じ体験を、何度も積み重ねていきました。

 その臨死体験で、二人のガイドから、時空間も人間も仮の存在だと教えられました。
 次元のない空間で、ガイドたちはこの世界で起こることを制御していて・・・

 さて、この本には、信じられないことばかりが書かれています。
 もし、著者が立花隆でなかったら、一笑に付していたかもしれません。

 ここに書かれていることすべてを信じることはできないけど、非常に興味深いです。
 ぜひ時間があるときに、もう一度じっくりと読み直したいです。

 さいごに。(意外に良かった市政資料館)

 名古屋城から1キロぐらい歩いたところに、名古屋市市政資料館があります。
 もと裁判所ということで、とても立派な洋館でした。中もとてもきれいでした。

 映画のロケも行われるとのこと。今回の旅行で一番写真を撮ったのがここでした。
 ただし地下牢では、ヘンなものが写ったら嫌なので、撮るのを控えました。
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メトロポリス [20世紀ドイツ文学]

 「メトロポリス」 テア・フォン・ハルボウ作 酒寄進一訳 (中公文庫)


 機械が支配するメトロポリスが、労働者の反乱によって崩壊し、再生する物語です。
 1927年にドイツで映像化されました。最初のSF映画として有名です。


新訳メトロポリス (中公文庫)

新訳メトロポリス (中公文庫)

  • 作者: テア・フォン ハルボウ
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2011/02/01
  • メディア: 文庫



 巨大都市メトロポリスは、機械が人々を常に働かせることで成り立っていました。
 そして、一握りの支配階級が人々を支配し、安楽な生活を送っていました。

 ある日フレーダーは、メトロポリスの支配者である父フレーデルセンを訪ねました。
 父の支配体制に疑問を持つ彼は、人を大事にするよう訴えますが、全く通じません。

 「人間が機械に使われ、またたく間に消費してしまうからといって、機械がどん欲だ
 というのは筋違いだ。むしろ人間という資源が不完全である証だ。」(P45)

 フレーダーは父の元を離れ、一労働者として働き、地下墓地の集会に参加しました。
 その集会で、彼は美しいマリアの声を聴きました。彼女は労働者たちの希望でした。

 「頭脳と手には仲立ちをしてくれる人が必要です。
 頭脳と手の仲介者、それは心でなければなりません」(P105)

 フレーダーとマリアはお互いを認め、すぐに恋に落ちました。
 そしてフレーダーは、自分が手(労働者)と頭脳(父)の仲介者だと自覚しました。

 一方、父は計略のため、発明家ロートヴァングにアンドロイドの製作を依頼し・・・
 一方、ロートヴァングもまた違う計略のため、アンドロイドを製作し・・・

 さて、名画「メトロポリス」では、まっキンキンのアンドロイドが印象に残ります。
 私は映画を見ていませんが、あのアンドロイドだけはどこかで見て知っていました。

 特に、アンドロイドがマリアの姿へ変わっていく場面は、あまりにも有名です。
 そして、スターウォーズに出てくるC-3POが、これとそっくりなのです。

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 最初私は、この小説をアンドロイドが暴走する姿を描いた物語だと思っていました。
 実際は、フレーダーが主役です。テーマは、頭脳と手を心が結ぶ、というものです。

 しかも読んでいくうちに、全ての裏には父フレーデルセンがいることに気付きます。
 フレーデルセンが息子のために全てを仕組んだようなことさえ、書いてありました。

 あらすじで読んだ映画とは、だいぶ狙いが違うようで、とても戸惑いました。
 作者ハルボウが書きたかったことは、いったいどういうことだったのでしょうか?

 ちなみに作者ハルボウは、もともと映画化を考えて、この小説を書いたようです。
 映画にしたのは、夫であるラング。当時二人は結婚していました。

 そういえばこの小説は、場面はころころ変わるし展開も早いし、戯曲のようでした。
 登場人物の人間関係(特に父と子)もころころ変わり、よく理解できませんでした。

 そういう意味で、1927年の映画「メトロポリス」を見てみたいと思いました。
 現在、ハルボウの意図を反映した「完全復元版」というのが出ているそうなので。
 

メトロポリス 完全復元版  (Blu-ray Disc)

メトロポリス 完全復元版  (Blu-ray Disc)

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • メディア: Blu-ray



 ところで、訳者の酒寄は、「メトロポリス」に現代的な意味を見出しています。
 確かに、次のような文章を読むと、「今も同じじゃん」と思ってしまいます。

 「メトロポリスの呼び出しに応じて、自分と同じ番号の家から仕事に向かい、
 十時間働いて、死ぬほど疲れて帰宅するだけの人生。」(P66)

 さいごに。(ナゴヤドーム駐車場事情)

 娘をナゴヤドームのコンサートに連れて行きました。
 周辺の駐車場が満車になると困るので、1日2000円の場所を予約して行きました。

 ところが、駐車場は周辺に、意外とたくさんありました。
 朝10時半の時点で、多くの場所で「1日1000円」で呼び込んでいた。ヤラレタ!

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失われた時を求めて5 [20世紀フランス文学]

 「抄訳版 失われた時を求めて」 プルースト作 鈴木道彦編訳 (集英社文庫)


 自分の中に埋もれている「失われた時」を掘りおこし、紡ぎ直した人生の物語です。
 この「抄訳版」は、長大な小説を四分の一ほどに縮約し、三巻でまとめています。


抄訳版 失われた時を求めて 文庫版 全3巻完結セット (集英社文庫)

抄訳版 失われた時を求めて 文庫版 全3巻完結セット (集英社文庫)

  • 作者: マルセル・プルースト
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2012/02/01
  • メディア: 文庫



 第七篇「見出された時」には、ゲルマント邸の敷石に躓く有名な場面があります。
 この場面から、物語はいっきに、本質的な部分に迫っていくような気がしました。

 「けれども、ときとしていっさいが失われたと思われるような瞬間に、私たちを救う
 ことのできる知らせが訪れる。ありとあらゆるドアを叩いてみても、それはどこへも
 通じておらず、入ることのできるたった一つのドアは、百年のあいだ探しても見つか
 らないだろうと思われたのに、それと知らずにたまたまそのドアにぶつかり、それが
 不意に開くのだ。」(下巻P339)

 自動車を避けようとして中庭の敷石で躓いたとき、不意に幸福感に満たされました。
 それは、かつてヴェネツィアのサン・マルコ寺院で体験したものと同じでした。

 何年も前のヴェネツィアでの体験が、まるで現在の瞬間のように感じられたのです。
 これはいったいどういうことか? ここから「私」の哲学的な考察が始まります。

 過去に感じたことを現在にも感じている。自分がいるのは、過去なのか現在なのか?
 「私」は超時間的なもののなかで、味わっているって?

 「実を言うと、そのとき私のなかでこの印象を味わっていた存在は、その印象の持っ
 ている昔と今とに共通のもの、超時間的なもののなかでこれを味わっていたのであり、
 その存在が出現するのは、現在と過去のあいだにあるあのいろいろな同一性の一つに
 よって、その存在が生きることのできる唯一の環境、物の本質を享受できる唯一の場、
 すなわち時間の外に出たときでしかないのだった。」(下巻P349)・・・

 ここだけ読むと、「何のこっちゃ?」という感じです。
 「この印象を味わっていた存在」と「その存在」を、「魂」に読み替えると・・・

 「魂が時空を超えて、過去と現在を同時に味わっている」
 そういうことを、言いたかったのではないでしょうか。

 プルーストは敷石体験から、時空を超えた「魂」の存在を確信したのではないか?
 だからあとの部分に、「死が怖くなくなった」みたいなことが書いてあるのでは?

 そう考えると、プルーストが記憶の呼び覚まされるままに書いた理由も分かります。
 彼は、「魂」が時空を超えてたゆたう様子を、記述するつもりだったのではないか。

 「失われた時を求めて」という作品のイメージが、だんだん変わってきました。
 今度は完訳を読んでみようか。そんな血迷ったことさえ考えてしまいました。

 それにしても、最後の敷石体験まで、どれだけの人がたどり着けるのでしょうか。
 私は「抄訳版」でさえ、なんとかこぎつけた、という感じでした。

 ところで、訳者の解説は、短いながら中身が濃くて、興味深かったです。
 訳者が集英社新書から出している「プルーストを読む」も、読んでみたいです。


プルーストを読む ―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書)

プルーストを読む ―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書)

  • 作者: 鈴木 道彦
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2002/12/17
  • メディア: 新書



 さいごに。(アンリシャルパンティエ)

 「失われた時を求めて」を読み始めてから、マドレーヌが食べたくて仕方がなかった。
 特に、コミックで描かれているマドレーヌ体験の場面は、とてもおいしそうでした。

 先日デパ地下に立ち寄ったとき、アンリシャルパンティエのマドレーヌを買いました。
 ここのマドレーヌは、本当においしいですね。緑茶に浸してもおいしかったです。





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失われた時を求めて4 [20世紀フランス文学]

 「抄訳版 失われた時を求めてⅢ」 プルースト作 鈴木道彦編訳 (集英社文庫)


 自分の中に埋もれている「失われた時」を掘りおこし、紡ぎ直した人生の物語です。
 Ⅲ巻は、「囚われの女」「逃げ去る女」「見出された時」の三篇を収録しています。


抄訳版 失われた時を求めて 3 (集英社文庫)

抄訳版 失われた時を求めて 3 (集英社文庫)

  • 作者: マルセル・プルースト
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2002/12/13
  • メディア: 文庫



 第五篇「囚われの女」では、「私」とアルベルチーヌが一緒に暮らしています。
 アルベルチーヌに同性愛の疑いを持った「私」は、彼女を監視しし始めました。

 やがて疑惑と嫉妬が増し、たびたびアルベルチーヌと言い争うようになりました。
 とうとうアルベルチーヌと別れようと決心した朝、彼女はすでに・・・

 第六篇「逃げる女」では、アルベルチーヌが叔母のもとに身を寄せています。
 「私」が彼女に戻ってほしいと伝えようとした矢先、一通の電報が来て・・・

 アルベルチーヌへの思いが静まってきた頃、「私」は驚くべきことを知りました。
 アルベルチーヌはやはり・・・そして、サン・ルーが結婚したのは、なんと・・・

 第七篇「見出された時」では、第一次世界大戦の前後のことを描いています。
 初恋の女ジルベルトから、二つの散歩道について、興味深い事実を知らされ・・・

 第一次大戦後、「私」は社会と人々が変わってしまったのを目の当たりにしました。
 と同時に、スワン家とゲルマント家が、意外な形でつながっていたことを知り・・・

 さて、プルーストは1922年に死没し、1923年から膨大な未定稿が刊行されました。
 第五篇「囚われの女」、第六編「逃げる女」、第七編「見出された時」がそれです。

 実は、第Ⅱ巻(第四篇まで)を読み終わったとき、読み続けるかどうか迷いました。
 その時、ある読書仲間が、ぜひ「見出された時」まで読むべきだ、と言ったのです。

 そのアドバイスの意味が、全巻(抄訳で)読み通した今、とてもよく分かります。
 「見出された時」を読まない限り、この物語の意味が分からずじまいになります。

 また、「私」が思いつくままに、気ままな書き方をする理由も、ここで分かります。
 やっぱり、最後まで読まなくてはダメなんだなあ・・・

 とはいえ、最後までたどり着くには、眠くなるような部分が多くて大変でした。
 物語に関係ない考察や、第四篇から第六篇の大半は、削ることができるのでは?

 今、ウィキペディアで、当初の予定が次のような三巻構成だったことを知りました。
 第一巻「スワン家のほうへ」第二巻「ゲルマントのほう」第三巻「見出された時」。

 なるほど。もしそのような構成であったら、ずっとすっきりしていたでしょう。
 私は、量的には、600ページぐらいの本1冊でまとめられるのでは、と思いました。

 そういう意味で、原稿用紙1000枚に縮約した「全一冊」版は、とても貴重です。
 編集に角田光代が関わっています。文庫化されたらみんなに勧めることができます。


新潮モダン・クラシックス 失われた時を求めて 全一冊

新潮モダン・クラシックス 失われた時を求めて 全一冊

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/05/29
  • メディア: Kindle版



 ところで、小説全篇を振り返ったとき、もっともっと述べたいことがあります。
 今回伝えきれなかったことを、次回さらに書いていきたいと思います。

 さいごに。(「ネコは宇宙人のスパイ説」の反応)

 「ネコは宇宙人のスパイ」発言をしてから、妻と娘から白い目で見られていました。
 しかし男だけの飲み会で、その説を披露したら、みんな話に乗ってくる乗ってくる!

 さっそくスマホで「超ムーの世界R」を検索する仲間もいて、私は嬉しかったです。
 バカバカしい、という反応は皆無。こういう話は受け止め方に男女差がありますね。

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世界文学の流れをざっくりとつかむ17 [世界文学の流れをざっくりとつかむ]

≪第4章≫ 中世ヨーロッパ

4 中世ドイツ叙事詩(「ニーベルンゲンの歌」)

 中世のヨーロッパでは、吟遊詩人が国をこえて至る所で活躍していました。宮廷や王侯貴族の屋敷では、詩人たちは丁重にもてなされました。朗誦するときは、上流階級はもちろん、一般民衆も集まりました。吟遊詩人は多くの人々に、戦争や騎士道や宮廷愛や妖精の伝承などを語って聞かせ、民衆は遠い昔の遠い国の物語を、ワクワクしながら聞きました。

 吟遊詩人を最も大事にしたのが、ドイツとオーストリアなどのゲルマン諸国だったようです。そのため、この地域には優れた詩人が多く現れました。12世紀から13世紀にかけて、ヴォルフラムは聖杯伝説に基づいた叙事詩など、多くの美しい詩を語りました。その一部が、ワグナーの「タンホイザー」に取り入れられています。またほぼ同じ時期に、ゴットフリートは叙事詩「トリスタン」を書き、これは後世のトリスタン伝説に大きな影響を与えました。

 中世ドイツ最大の叙事詩は、1200年頃に古ドイツ語で書かれた「ニーベルンゲンの歌」です。龍殺しの英雄ジークフリートの死と、その妻クリームヒルトの復讐を描いています。5~6世紀の事件をふまえているので、そのころから長く口承されてきた物語がもとになっているようです。特に中心となるジークフリートの物語は、北欧神話を起源としています。これらをまとめた作者は分かっていませんが、吟遊詩人が関わっているだろうと思われます。

 ところで、「ニーベルンゲンの歌」に類する物語が、アイスランドの「エッダ」や「サガ」などに残されています。アイスランドもまた、イギリスやドイツと同じように、多くのノルウェー人が進出して根を下ろした場所です。海によって隔てられた孤島なので、他の地域よりも純粋なノルウェー人の文化を残しました。

 929年にアイスランド共和国が成立しましたが、彼らはゲルマンの習俗を維持し、独自のアイスランド文学を成立させました。彼らには、「エッダ」というヴァイキング時代の詩群がありました。1220頃にアイスランドの詩人スノッリが、エッダをまとめました。これは「スノッリのエッダ」と呼ばれています。一方、「サガ」という散文群もありました。北欧における様々な出来事を扱っています。後期にはジークフリート伝説などを含むようになりました。

 さて、ついでながらロシアにも眼を向けてみましょう。800年代半ばから1200年代半ばには、キエフ・ロシア文化が発展していました。1000年前後には、口承叙事詩「ブィリーナ」 が成立しています。そして、1187年には「イーゴリ遠征物語」が古ルーシ語で書かれました。散文ですが、ある種のリズムを持つ韻律的散文で書かれています。遊牧民ポロヴェッツ人に対する、実際に会った遠征の物語です。 作者は詳しくは分かっていません。

 このように、中世を通じて、それぞれの民族は、自分たちの叙事詩を持つようになりました。吟遊詩人たちは、自分たちの英雄の活躍を、自分たちの言葉で歌い、それを自分たちの宝としました。さらに、詩人たちは様々な伝承を加えて、大切に育て上げてきたのです。

 さいごに。(猫は・・・)

 先日の「超ムーの世界R」で、「猫は宇宙人のスパイ」という話をしていました。
 なるほど。だから猫は、我々人間の会話に、じっと耳を傾けていることがあるのか。

 娘が「猫を飼いたい」と言った時、「猫は宇宙人のスパイだからダメだ」と言ったら、
 二度とこの話題を持ち出さなくなったけど、私を見る目が冷たくなったような・・・

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臨死体験1 [心理・宗教・オカルト]

 「臨死体験(上)」 立花隆 (文春文庫)


 膨大な取材ノートをもとに、臨死体験とは何なのかを追求したノンフィクションです。
 1991年にNHKスペシャルで放送された番組の、取材ノートを元にまとめられました。


臨死体験 上 (文春文庫)

臨死体験 上 (文春文庫)

  • 作者: 立花 隆
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2000/03/10
  • メディア: 文庫



 三途の川を渡ったり、死んだ肉親に会ったり、そこで予言を与えられたり・・・
 死んだ自分を見たり、他人の思考が読み取れたり、時空を一瞬で跳び超えたり・・・

 臨死体験は現実か? 死後の世界はあるのか? 死後も魂は存在し続けるのか?
 それとも、死の間際に脳が見せた、ただの幻にすぎないのか?

 著者の立花隆は、魂存在説と脳内現象説の間で、揺れ動いているように見えます。
 そこがイマイチだと言う人もいますが、私はその素直な書き方に好感を持ちました。

 立花隆は当然ながら、脳内現象説という科学的なアプローチをしたのだと思います。
 しかし多くの取材を経て、死後の世界を少しずつ信じるようになったのではないか?

 この本には、圧倒的な量の体験談があります。すごい話が次々に出てきます。
 キュブラーロスなど有名どころはもちろんですが、知られていない人の話もすごい。

 中でも印象に残ったのは、第五章から度々登場する「医師キルデ」の報告です。
 キルデは臨死体験をした女性医師で、「死は存在しない」という本を書いています。

 緊急手術の時、気が付くと自分は天井に浮かび、手術を受ける自分を見ていて・・・
 なぜか手術をしている医者の思考が読めたり、自分の内部から声が聞こえたり・・・

 「要するに、臨死体験というのは、この日常世界を成立させている次元とは別の次元
 の世界へ渡るための橋のようなものだといいたいのです」(P183)

 ところが医師キルデの報告で、本当に驚くべきことはここからです。
 体外離脱、死者との交感、自動手記、輪廻転生、さらには、宇宙人との遭遇・・・

 しかも、UFOと出会ってはじめて臨死体験の正しい意義づけができたと言います。
 なんと、臨死体験は意識を拡大して宇宙意識を持つことの、第一歩なのだそうです。

 臨死体験が、ただの臨死体験だけで終わらないのが、この本の深いところです。
 ほかにも、ヨガや瞑想、超能力、その他の超常現象との関連が書かれています。

 さて、この本を読んだのは、今から15年ほど前の2005年ぐらいのときでした。
 今、上巻の500ページほどをパラパラ流し読みしながら、内容の濃さに驚きました。

 いつかじっくりと読み直したい本です。
 すでに本は日焼けで真っ黒なので、新しく買い直したいです。

 さいごに。(ライン)

 私にはラインの友達が10人ほどいます。妻と娘を抜かすと、8人ほどになります。
 1週間ぶりに友人からラインが入りましたが、返事は「オッケー」だけでおしまい。

 しかし、妻も娘も、しょっちゅうやり取りしています。
 そんなに話すことがあるのか? いったいどんなこんなことを話しているのか?

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世界史(上) [哲学・歴史・芸術]

 「世界史(上)」 マクニール著 増田義郎・佐々木昭夫訳 (中公文庫)


 人間の歴史の流れを大きくとらえていて、とても分かりやすい世界史の入門書です。
 世界で40年間読まれ続けてきた名著として、最近大きな話題になりました。


世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

世界史 上 (中公文庫 マ 10-3)

  • 作者: ウィリアム・H. マクニール
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2008/01/25
  • メディア: 文庫



 本書の特徴は、文明の興隆のパターンを意識して解説している点です。
 序文で、本書の基本的な考え方が次のように示されています。

 「いついかなる時代にあっても、世界の諸文化間の均衡は、人間が他にぬきんでて
 魅力的で強力な文明を作りあげるのに成功したとき、その文明の中心から発する力
 によって攪乱される傾向がある、ということだ。」(P36)

 本書では、まずその攪乱の中心を研究し、次にその周囲の反応を考察しています。
 読んでいて「なぜそうなったのか」がよく分かって、とても興味深い内容でした。

 特に私が面白く思ったのは、最初期の文学である神話の誕生を説明した部分です。
 神官たちとの関りから、次のように説明しています。

 神官は天体運動を観察して暦を作り、その知識のおかげで際立った地位を占めた。
 一般人からすると、季節を予言できる神官は、神と特別な関係にあるように見えた。

 神官は神の知識を持ち、神聖な儀式で神をなだめ喜ばせることができると思われた。
 そして神官は、人間や自然について説明するために、神話を作り上げたのだった。

 のちにシュメルの神官は、楔形文字の発明によって、記録を残せるようになった。
 紀元前3000年以降、神話や神々への祈りを、書き残すことができるようになった。

 さて、シュメルが滅びた後も、シュメルの神話は生き続けました。
 それは、インド・ヨーロッパ語族によって形を変えて継承され、広められたようです。

 インド・ヨーロッパ語族の神々と、シュメルの神々には、大雑把な類似が見られます。
 たとえば、この宇宙は神々の気まぐれによって治められている、という世界観など。

 しかしギリシアで、世界は規則的な法則で成り立っているという考え方が生じました。
 最初の哲学者たちは、神々の代わりに自然法則を使って世界を説明しようとしました。

 「ここにこそ、後世のすべてのヨーロッパ思想が、尽きることのない成長の道を歩む
 原点が存在するのである。」と、著者は多少誇らしげに述べています。(P178)

 ところで、著者はこの本の特徴として「きわめて短いこと」という点を挙げています。
 しかし、高校の教科書と比べたとき、十分すぎるボリュームがあると感じました。

 読んでいるときは「ナルホド!」と思うのですが、情報量が多くてどんどん忘れます。
 最後には、「で、結局なんだった?」と考えてしまいました。

 また、読むのにとても時間がかかるため、このまま読み進めるのは困難です。
 下巻も買ってありますが、そのまま永遠に積ん読状態になりそうです。

 さいごに。(プリンターのインク)

 うちでは、ブラザーのプリンターを使っていますが、インクは互換用を使っています。
 互換用インクだと、五分の一ぐらい残っていても、プリンターが止まってしまいます。

 これは無駄のような気がしますが、純正のインクなんてとても使えません。
 純正はセットで5000円ほど。互換用は500円ちょい。メーカーは価格を下げる努力を!

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失われた時を求めて3 [20世紀フランス文学]

 「抄訳版 失われた時を求めてⅡ」 プルースト作 鈴木道彦編訳 (集英社文庫)


 自分の中に埋もれている「失われた時」を掘りおこし、紡ぎ直した人生の物語です。
 Ⅱ巻は、第三篇「ゲルマントの方」と第四篇「ソドムとゴモラ」を収録しています。


抄訳版 失われた時を求めて 2 (集英社文庫)

抄訳版 失われた時を求めて 2 (集英社文庫)

  • 作者: マルセル・プルースト
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2002/12/13
  • メディア: 文庫



 ヴィルパリジ侯爵夫人の紹介で、「私」たちの一家は、パリに引っ越してきました。
 ゲルマント侯爵邸の一角にあるアパルトマンに、移り住むことになったのです。

 こうしてはからずも「私」は、ゲルマント家という大貴族の隣人となりました。
 オペラ座で見かけてからは、「私」はゲルマント侯爵夫人に憧れるようになりました。

 偶然を装って侯爵夫人に会って挨拶したり、迷惑がられてそっけなくされたり・・・
 サン・ルーにとりなしを頼んだり、侯爵夫人と隣席しながら何も話せなかったり・・・

 抄訳版も第Ⅱ巻に入りました。相変わらず遅々として、なかなか物語は進みません。
 この長大な小説は、余程暇な人でないと書けないし、読めないのではないでしょうか。

 「暇を持て余している人が、暇を持て余している人のために書いた小説」ですよ。
 と言いつつ、岩波文庫の完訳版をすでに4巻購入してあります。老後の楽しみです。

 ところで、時々ドキンとする表現に出会います。
 次のような表現から、ゲルマント夫人への憧れがどのようなものかがよく分かります。

 「ゲルマント夫人は、もう坐っていた。名前には侯爵夫人という称号が備わっているた
 めに、現実の夫人の身体も侯爵領をひきずっており、それが周囲に投影されて、サロン
 の真ん中で彼女が腰をおろしているクッションのまわりには、金色の光のさしこむゲル
 マントの森のさわやかな木陰が広がっていた。」(P112)

 さて、この巻の前半では、サロンにおける上流階級の人々の描写が読みどころでした。
 後半は、いよいよ「ソドムとゴモラ」。ある意味、最も面白い場面かもしれません。

 シャルリュス男爵とチョッキ職人のジュビヤンは、初めて会った途端見つめ合い・・・
 直後にジュビヤンは、どのようなポーズをとったか? そして二人はどうしたか?

 シャルリュス男爵が、軍の演奏家のモレルを呼び戻すために使った計略は・・・
 P398からの、ソドミストが道化的に描かれている「偽りの決闘」の場面は、傑作です。

 さて、「まんがで読破」シリーズの「失われた時を求めて」は、現在絶版。惜しい!
 あの途方もなく長い小説を、非常に要領よくまとめています。構成がうまいです。


失われた時を求めて (まんがで読破)

失われた時を求めて (まんがで読破)

  • 作者: プルースト
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2009/05/30
  • メディア: 文庫



 さいごに。(紅白出場よかったね)

 Hey! Say! JUMPが、昨年に続いて今年も紅白出場が決まり、娘は喜んでいます。
 「ヒット曲がないのになぜ出られるの?」と聞いたら、娘に本気で怒られました。

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失われた時を求めて2 [20世紀フランス文学]

 「抄訳版 失われた時を求めてⅠ」プルースト作 鈴木道彦編訳 (集英社文庫)


 自分の中に埋もれている「失われた時」を掘りおこし、紡ぎ直した人生の物語です。
 「抄訳版」のⅠは、「スワン家の方へ」と「花咲く乙女たちのかげに」を収録。


抄訳版 失われた時を求めて 1 (集英社文庫)

抄訳版 失われた時を求めて 1 (集英社文庫)

  • 作者: マルセル・プルースト
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2002/12/13
  • メディア: 文庫



 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」の前半で、初恋の少女ジルベルトが登場します。
 彼女の母はスワン夫人のオデット、もと高級娼婦です。この二人が前半の中心人物。

 「私」はシャンゼリゼでジルベルトと出会い、親しく交際するようになりました。
 しかしなぜか「私」は、彼女の両親スワン夫妻から、良く思われていませんでした。

 ところが突然スワン家に招待されるようになったのは、なぜか?(人生の妙味!)
 幸せな時を過ごしていた「私」が、ジルベルトと離れるようになったのはなぜか?

 後半は、ジルベルトとの関係が終わって2年後、バルベックへ旅立った時期のこと。
 バルベック・グランドホテルで、祖母はヴィルパリジ侯爵夫人と偶然再会しました。

 一見ただの老婦人のように見える侯爵夫人は、実はゲルマント一族の人で・・・
 バルベックで「私」は、美しい少女たちに惹かれ、特にアルベルチーヌとは・・・

 第二篇の前半にはジルベルトが、後半にはアルベルチーヌが、中心にいます。
 小見出しの「花咲く乙女たち」とは、この二人を指しているのでしょうか。

 それにしても、相変わらず非常にスローなテンポで物語が進んでいきます。
 物語はしょっちゅう立ち止まり、「私」はどうでもいいことをあれこれ考察します。

 「私」の恋は少しも発展しないし、発展したかと思うと、突然変な終わり方をする。
 最後にアルベルチーヌが呼び鈴を鳴らす場面は、「そりゃないだろ」と思いました。

 抄訳なのに余分な場面が多いので、時々じれったくなって体がかゆくなりました。
 ところで、抄訳以上にサクッと読む手段を見つけました。フランスコミック版です。


失われた時を求めて フランスコミック版 第1巻 コンブレー

失われた時を求めて フランスコミック版 第1巻 コンブレー

  • 作者: ステファヌ・ウエ
  • 出版社/メーカー: 白夜書房
  • 発売日: 2007/11/20
  • メディア: ハードカバー



失われた時を求めて フランスコミック版 第2巻 花咲く乙女たちのかげに1 海辺への旅

失われた時を求めて フランスコミック版 第2巻 花咲く乙女たちのかげに1 海辺への旅

  • 作者: ステファヌ ウエ
  • 出版社/メーカー: 白夜書房
  • 発売日: 2008/05/23
  • メディア: ハードカバー



 このフランスコミック版が、びっくりするぐらいよくできています。
 絵はオールカラーで美しく、物語の雰囲気がとてもよく伝わってきました。

 例えばグランドホテルの情景は、イラストを見て初めて知ることができました。
 上流階級の泊り客、ホテルマン、地元の人々など、生き生きと描かれています。

 一方、人物はあまりうまく描けていません。(というか、こういうタッチ?)
 女性がちっとも美しくないので、彼女らに恋する「私」に感情移入できません。

 この本は、第二篇までしかなく、現在は絶版。私は図書館で借りて読みました。
 新版がソフトカバーで出ていますが、第一篇しか出ていません。


失われた時を求めて フランスコミック版  スワン家のほうへ

失われた時を求めて フランスコミック版 スワン家のほうへ

  • 作者: マルセル・プルースト
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2016/10/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



 これらコミック版が、第一篇又は第二篇までしか出ていないのも仕方ありません。
 第三篇以降は、「おまけ」という感じで、読み進める人はあまりいないようです。

 第一篇「スワン家の方へ」には、物語のエッセンスが詰まっていると言います。
 「失われた時を求めて」を読む人で、第一篇を読まずにすませる人はいません。

 第一篇を面白いと思ったら、第二篇「花咲く乙女たちのかげに」に読み進めます。
 第二篇は、第一篇から自然な形で続いているので、比較的読みやすいです。

 ところが、第三篇ともなると、誰もが疲れてくるようです。
 私が読んでいるのは抄訳ですが、それでもここまで読み進めるのに苦労しました。

 さいごに。(今年も年賀状は別々に)

 今年も年賀状は、家族3人がみな別々に、思い思いの年賀状を作ります。
 私は相変わらず、娘の写真を使った「親ばか」年賀状です。申しわけない。

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