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世界文学の流れをざっくりとつかむ20 [世界文学の流れをざっくりとつかむ]

≪第5章≫ 中世東洋

 3 日本文学の黄金期

 日本は700年代に「古事記」と「万葉集」を生みましたが、宮廷における文学は漢詩が主流でした。中でも白居易は広く受け入れられ、「源氏物語」にも影響を与えました。日本独自の文化が主流となるのは、894年に遣唐使が廃止されてからです。特に仮名文字が作られ、宮廷の女性に使われたことが、のちの黄金期の女流文学の隆盛を実現させました。

 905年頃「古今和歌集」が成立しました。これは最初の勅撰和歌集で、全20巻に約1100首が収められています。選者は、紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑など男性ばかりですが、女流歌人の歌も多く収められています。表記は仮名文字であり、この時期に文学の主流が、男性を中心とする公的な漢詩文から、女性を中心とする私的な和歌へ移っていったことが分かります。また「古今和歌集」は、歌集全体で王朝生活の一大絵巻となるように仕立てられていて、その有機的な構成は、のちの勅撰和歌集の模範となりました。

 900年頃には、現存最古の物語である「竹取物語」も誕生しました。仮名文字を使って書かれた最初の物語です。内容は、かぐや姫の物語として知られていますが、さまざまな民話が取り入れられてできたものと思われます。また、946年頃には、最初の歌物語である「伊勢物語」が誕生しました。125段の短い話の中心に必ず和歌があり、全体として在原業平の一代記の形をとっています。この物語における在原業平像は、「源氏物語」の光源氏像に影響を与えました。

 935年頃に「土佐日記」が書かれました。これは、初めて仮名で記された日記です。当時の日記は主に記録用で、男性が漢字で書いていました。仮名を使うのは主に女性だったため、作者の紀貫之は女性に仮託して書いています。内容は、土佐から京都へ向かう旅日記ですが、任地で亡くした女児への思いなどを、和歌を交えて綴っています。「土佐日記」のスタイルは、のちの女流日記に影響を与えました。974年頃に書かれた「蜻蛉日記」は、初の女流日記文学です。作者は藤原道綱母で、藤原兼家の妻となった人です。不実な夫を持った者のつらい思いを、生々しく描いています。このように、内面を描写した小説的手法に「蜻蛉日記」の特徴があり、「源氏物語」などにも影響を与えました。

 西暦1000年頃、日本文学は最盛期を迎えました。この黄金期を代表するのが、「枕草子」を書いた清少納言と、「源氏物語」を書いた紫式部の、二人の女流作家である点に、世界における日本文学の特異性があります。このような女流作家は、藤原氏の摂関政治が有能な女房を宮中に集め、サロンを開いたことによって登場しました。清少納言は中宮定子の、紫式部は中宮彰子の女房で、それぞれの中宮のサロンで活躍しました。調和や優美さなど、女性の感性がこれほど大切にされた国は、この時期の世界ではほかにありませんでした。西欧のキリスト教世界が東西に分裂して対立していた暗黒の時代に、女性を中心とした王朝文学が花開いていた当時の日本は、注目に値します。

 1001年頃、清少納言の随筆「枕草子」は評判になっていたようです。そこには、中宮定子が健在だった頃の、宮中生活の様子が生き生きと描かれています。その清新な美意識によって、「をかし」の文学と称せられています。約300の短い章段で構成されています。おそらく中宮定子が亡くなった後の不遇な時代に、華やかだった時代を思い出しながらまとめたものと思われます。

 1008年頃、紫式部の「源氏物語」が成立しました。光源氏を主人公に、その人生の栄華と苦悩を描いています。当時から大きな評判を呼び、次々と書き継がれて、全54帖にわたる長大な物語となりました。物語全体から醸し出されるしみじみとした情感や無常観から、「あはれ」の文学と評されます。内容的にもスケール的にも、まさに王朝物語の頂点であり、これ以後の多くの作品に模倣されました。

 1100年代初めに、「大鏡」が成立しました。これは、紀伝体で書かれた歴史物語です。14代にわたる天皇と、20人の藤原氏の大臣などが描かれています。また、1100年代前半には、「今昔物語集」も成立しました。天竺、震旦、本朝の三部に、約1000話を収めた最大の説話集です。特に本朝篇は庶民の様子が生き生きと描かれています。しかし、1100年代後半からから、世の中に戦乱が広がり始めました。

 1100年代終盤には、源平の争乱が起こりました。1192年に源頼朝による鎌倉幕府が成立し、武士中心の世の中へと大きく変わっていきました。しかし、文化は京都が中心でした。1205年頃には、後鳥羽院の命によって藤原定家らを中心に編纂されていた「新古今和歌集」が出来上がりました。

 1200年代半ばに、「平家物語」が成立したようです。琵琶法師による平曲として広まりながら、様々な逸話を付け加えていきました。和漢混交文で語られたため、文字のわからない多くの民衆にも伝わりました。1212年頃、「方丈記」が成立しました。著者は鴨長明で、隠者文学の代表の一つです。その100年以上のちの1331年頃、隠者文学の最高傑作である「徒然草」が成立しました。著者は兼好法師です。王朝文化が衰退していったこの時代の文学の特徴は、いずれも無常観が漂うことです。1300年代中頃に、南北朝の内乱を描いた「太平記」が成立した後は、江戸時代を迎えるまで、見るべき作品はほとんどありません。

 さいごに(逆転に次ぐ逆転のマスク劇)

イオングループの「接客時のマスク禁止」が話題になったのは、昨年12月でした。
その頃は、「マスクをしたままでの接客は相手に失礼」という発想がありました。

ところが、コロナウィルスの流行によって、マスクについての感覚が逆転しました。
「マスクなしでの接客は相手に失礼」という感覚が、あっという間に広まりました。

特に、3月初めの卒業式等では、出席者の全員がマスク着用を求められました。
万一マスクなしで参加してしまうと、多くの咎めるような視線を感じたはずです。

電車で、マスクなしで咳などしようものなら、袋叩きにあいそうな雰囲気でした。
「マスクをしない人は他人のことを考えない人」というような認識がありました。

ところが、最近この傾向が再び変わりつつあります。
きっかけは、様々なところで、マスクが予防にならないと言われ出したことです。

TV番組で、マスク不足の今、健康な人はマスクをしなくていいと言っていました。
マスクを本当に必要な人が、ちゃんと買えるようにしてあげて、とのことです。

私の職場は人との接触が多いのですが、現在マスク着用の人はほとんどいません。
「マスクをしない人は買うのを遠慮している人」という認識ができつつあります。

(しかしその後、政府がアベノマスクの配布に踏み切り、マスクの信頼度がアップ。
マスクを付けずに出歩くことは、再びタブーになりました。)

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