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失楽園 ミルトン 2 [17世紀文学]

 「失楽園 下」 ミルトン作 平井正穂訳 (岩波文庫)


 「旧約聖書」の創世記をもとに、堕天使の逆襲と人間の楽園追放を描いた叙事詩です。
 ミルトンは17世紀の清教徒革命時に政務を執り、不遇の晩年にこの傑作を残しました。


失楽園 下 (岩波文庫 赤 206-3)

失楽園 下 (岩波文庫 赤 206-3)

  • 作者: ミルトン
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1981/02/16
  • メディア: 文庫



 神はアダムに言いました。「この園の実はどれを食べてもいい。ただ一つを除いては。
 それこそ、善と悪の知識をもたらす樹。これを食べたら、死ぬことになるのだ。」と。

 ところがサタンは、エデンの園に忍び込み、眠っていた蛇の体内に入り込んで・・・
 蛇は、一人でいるイーブに、人の言葉で、知恵の木の実を食べるように勧めて・・・

 イーブは不思議に思いました。「蛇は知恵の実を食べたのに、死なないではないか。
 それどころか、人の言葉で話し始めたではないか。これは、どういうことか?」・・・

 下巻に入ると、「聖書」の創世記に書かれた内容が語られます。
 そのクライマックスは、サタンによる誘惑と、アダムとイーブの楽園追放の場面です。

 この物語を読んで、私は思いました。「最大の黒幕は、神ではないか?」と。
 思わせぶりなことを言っておいて、知恵の実を食べるなと禁じるのは、どうしてか?

 本当に食べさせたくなかったら、知恵の木などそこに置かなければよいではないか。
 楽園追放は、神によって仕組まれた、巧妙な罠だったのではないか。

 視点を変えると、楽園追放は、人類が神の束縛から免れ、自立する物語でもあります。
 永遠の生命と引き換えに、知識を手に入れたアダムとイーブは、自由を求めて旅立つ!

 現在人類は、この地球を飛び立ち、いよいよ宇宙の探査に乗り出そうとしています。
 我々の科学の飛躍的進歩は、アダムとイーブが知恵の実を食べたおかげではないのか。
 
 このような解釈をも許してしまうところに、「失楽園」という作品の深さがあります。
 また、危険な魅力が潜んでいることに、改めて気付かされました。

 もしかしたらミルトンは、時々やけくそになって「失楽園」を書いたのではないか?
 晩年の不遇に対する怒りを、神に投げつける気持ちが、まったくなかっただろうか?

 バニヤンの「天路歴程」が、一貫して「良い子」の物語で、面白みに欠けたのに対し、
 ミルトンの「失楽園」は、基本的に「不良」の物語で、そこに大きな魅力があります。

 さいごに。(ありえない、15分30秒)

 先日の駅伝で、3キロ走るのに15分30秒かかりました。1キロ5分10秒のペースです。
 以前は、1キロ4分30秒のペースで、10キロ以上を普通に走っていたものですが・・・

 その頃はフルマラソンに出ていたので、10キロなんて短くて、走った気がしなかった。
 しかし、今ではわずか3キロが、長くて長くて。何度も止まりそうになってしまった!

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