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20世紀ラテンアメリカ文学のベスト10を選びました [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「世界文学全集 Ⅹ集 20世紀ラテンアメリカ編」


 私のライフワークは、文庫本で自分だけの文学全集をそろえることです。
 その「文学全集」の第Ⅰ集から第Ⅸ集までは、以下のように完成しています。

・ 第Ⅰ集「19世紀フランス編」(20作)・2010年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2010-10-23
・ 第Ⅱ集「19世紀イギリス編」(20作)・2011年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2011-08-04
・ 第Ⅲ集「19世紀ロシア編」(20作)・・2012年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2012-12-22
・ 第Ⅳ集「19世紀ドイツ北欧編」(20作)2013年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2013-11-09
・ 第Ⅴ集「19世紀アメリカ編」(10作)・2014年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2014-08-06-1
・ 第Ⅵ集「18世紀編」(10作)・・・・・2015年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2015-09-25-2
・ 第Ⅶ集「古代編」(20作)・・・・・・・2016年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2016-12-27
・ 第Ⅷ集「中世編」(20作)・・・2017年・2018年
 → https://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2018-12-25
・ 第Ⅸ集「17世紀編」(10作)・・・・・2019年
 → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2019-10-01

 今年2020年は、第Ⅹ集「20世紀ラテンアメリカ編」を決定する年です。
 これまでに読んだ、20世紀ラテンアメリカ文学は、以下のとおりです。

 マシャード・ジ・アシス「ブラス・クーバスの死後の回想」(19世紀だけど)
 ルゴーネス「短編集」
 フアン・ルルファ「ペドロ・パラモ」
 アストゥリアス「グアテマラ伝説集」「大統領閣下」
 カルペンティエール「この世の王国」「失われた足跡」
 ボルヘス「伝奇集」「砂の本」「アレフ」「ブロディ―の報告書」「幻獣辞典」
 オネッティ「はかない人生」
 フエンテス「アウラ・純な魂」「アルテミオ・クルスの死」「老いぼれグリンゴ」
 コルタサル「遊戯の終わり」「秘密の武器」「石蹴り遊び」
 ガルシア・マルケス「百年の孤独」「族長の秋」「予告された殺人の記録」
 バルガス=リョサ「緑の家」「密林の語り部」「楽園への道」
 ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
 マヌエル・プイグ「蜘蛛女のキス」
 イサベル・アジェンデ「精霊たちの家」

 ラテンアメリカ文学の概要については、以下のページを参考にしてください。
 「ラテンアメリカ文学入門」1→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-02-04
              2→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-03-08

 ああ、この第Ⅹ集は、これまでで最も意味のない巻になってしまいそうです!
 というのも、最重要作品「百年の孤独」が、収録できないからです。

 ラテンアメリカ文学と言ったら、ガルシア・マルケス。
 そして、ガルシア・マルケスと言ったら、「百年の孤独」です。

 つまり、「百年の孤独」無くして、ラテンアメリカ文学を語ることはできません。
 なのに、その「百年の孤独」を収録できない。なぜなら文庫本ではないからです。

 私の全集は、「文庫本で」揃えることに意味があり、そのことが絶対条件です。
 新潮社さんが文庫化してくれるのを、今後も根気よく待ち続けるしかありません。

 さて、こういう事情は「百年の孤独」だけではありません。
 ホセ・ドノソの「夜のみだらな鳥」、アストゥリアスの「大統領閣下」・・・

 そしてフエンテスの「テラ・ノストラ」に至っては、読んでさえいません。
 本来なら、これらの作品は、ラテンアメリカ文学を代表する必読本なのですが。

 これらの傑作を収録しないで、何が「文学全集」だ、と自分で言いたくなります。
 私がブログを始めたころは、こういった事態をまったく想定していませんでした。

 というのも、古典的名作は多くの訳で文庫化されているという前提があったので。
 「〇〇」という作品は〇〇文庫の訳がいい、みたいなことを伝えたかったのです。

 新しい作品は著作権の関係で、簡単に文庫本化できないという事情は分かります。
 それにしても、文庫化されない傑作が多すぎるだろう、と思ってしまいます。

 しかし、こういった想定外の事態をも含めて楽しまなくては!
 今回の第Ⅹ集は、とりあえず暫定的に以下10作を選びました。

 1「ルゴーネス短編集」ルゴーネス
  → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-06-07
 2「失われた足跡」カルペンティエール
  → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-05-10
 3「ボルヘス短編集」ボルヘス
  → 「伝奇集」https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-02-07
    「砂の本」https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-02-10
    「アレフ」https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-04-16
    「ブロディ―の報告書」https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-11-05
 4「フエンテス短編集」フエンテス
  → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-06-25
 5「アルテミオ・クルスの死」フエンテス
  → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-06-19
    https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-06-22
 6「コルタサル短編集」コルタサル
  → 「遊戯の終わり」https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-03-20
    「秘密の武器」https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-05-25
 7「族長の秋」ガルシア・マルケス
  → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-03-02
 8「緑の家」バルガス=リョサ
  → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-07-04
    https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-07-07
 9「楽園への道」バルガス=リョサ
  → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-12-05
10「精霊たちの家」イサベル・アジェンデ
  → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-10-03
    https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-10-06

 ルルファの名作「ペドロ・パラモ」は、あまり理解できなかったので外しました。
 「ペドロ・パラモ」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-02-13

 コルタサルの傑作「石蹴り遊び」は、ほとんど理解できなかったので外しました。
 代わりに「フエンテス短編集」を入れました。
 「石蹴り遊び」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-08-10

 プイグの「蜘蛛女のキス」は迷った末にやめて、「楽園への道」を採用しました。
 「楽園への道」は2003年の作品ですが、リョサは20世紀の代表的作家なので。
 「蜘蛛女のキス」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-09-26

 しかし、もし文庫本という制約がないのなら、次のようになるでしょう。
 私が死ぬまでには、このような形で揃えられることを願っています。

 1「大統領閣下」アストゥリアス
 2「失われた足跡」カルペンティエール
 3「ボルヘス短編集」ボルヘス
 4「アルテミオ・クルスの死」フエンテス
 5「コルタサル短編集」コルタサル
 6「百年の孤独」ガルシア・マルケス
 7「緑の家」バルガス=リョサ
 8「夜のみだらな鳥」ホセ・ドノソ
 9「テラ・ノストラ」フエンテス
10「精霊たちの家」イサベル・アジェンデ

 フエンテスの作品を二つ採用したのは、フエンテスに敬意を示したからです。
 彼こそ、ラテンアメリカ文学ブームに火をつけ、それを支えた存在だと思います。

 さいごに。(早めに大掃除)

 例年この時期に年賀状を作っています。
 しかし今年は喪中はがきを既に出したので、年賀状を作る手間がいりません。

 その分少しでも早く、大掃除を始めたいと思います。
 週末に少しずつ進めて、年末にあわただしい思いをしないようにしたいです。

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楽園への道2 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「楽園への道」 パルガス=リョサ作 田村さと子訳 (河出文庫)


 画家ゴーギャンとその祖母フローラの、各々の活動を異なる次元で描いた物語です。
 ふたりの人生がバランスよく交互に描かれているため、とても読みやすかったです。


楽園への道 (河出文庫)

楽園への道 (河出文庫)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/05/08
  • メディア: 文庫



 祖母のフローラと孫のゴーギャン。二人には50年ほどの時間的な隔たりがあります。
 ゴーギャンは、フローラの死の4年後に生まれ、祖母には会ったことがありません。

 しかし二人の性格はとても似ています。
 二人とも頑固で信念を曲げず、不屈の精神を持ち、決めたら迷わず突き進みます。

 そして二人の行動もとても似ています。
 二人とも理想の実現を最優先しました。結果、家族を犠牲にして楽園を求めました。

 二人とも反逆者であり、その分野の先駆者であり、たぶん同性愛者でもありました。
 ゴーギャンのあふれんばかりの性欲は、フローラの性嫌悪の反動のように思えます。

 ゴーギャンはフローラの人生をほとんど知りません。
 それにも関わらず、方向性は違えど、彼女の人生をたどっているように見えました。

 つまり、ゴーギャンの人生の中に、フローラの人生が名残が見られます。
 また、フローラの人生の中に、ゴーギャンの人生の兆しが見られます。

 リョサの、過去と現在が混在している文章を読んでいるうちに、こう思いました。
 過去も現在もない、フローラもゴーギャンもない、二人はひとつの魂なのだと。

 つまり、ゴーギャンはフローラの生まれ変わりとして理解するべきではないか。
 フローラとしての前世と、ゴーギャンとしての今生が、重ねられているのだと。

 そして二人を交互に描く手法は、転生を暗示しているのではないか。
 この作品は、「フローラの生まれ変わりとしてのゴーギャン伝」ではないのか。

 この作品の特徴は、彼らを二人称で呼びかける言葉が、時々挿入されるところです。
 あれは作者リョサの呼びかけだと解釈されていますが、違う解釈はないでしょうか?

 私には、ゴーギャンが死んだあとの魂が、呼びかけているように思えるのです。
 同じ魂が、時に死んだゴーギャンに、時に死んだフローラに呼びかけているのでは?

 そうするとこの小説も、マジック・リアリズムの手法ではないかと思えるのです。
 一見、リアリズムで書かれているようだけど、根本的な部分はマジックだと・・・

 転生ということを念頭に置くと、ゴーギャンの最高傑作「われわれはどこから来たの
 か われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」の意味もまた見えてくるようです。

 ここに描かれた人々は皆、ひとつの魂の変化(へんげ)ではないのか?
 ひとつの魂が、前世、今生、来世と続く姿をえがいているのではないか? 

20131116_108434.jpg

 一度そう考えてしまうと、そのように思えてきてしまいます。
 ああ、ますますゴーギャンのこの大作が見たくなってきました。

 さいごに。(コロナの影響)

 車の1年点検が延期されました。理由は、依頼していた店舗でコロナが出たため。
 これだけ流行していたら、コロナが出てしまうのはやむを得ないことです。

 職場では、鎌倉へ団体で行く出張が、取りやめとなりました。
 まだまだその勢いが収まる気配がありません。早く終息してほしいものです。

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楽園への道1 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「楽園への道」 パルガス=リョサ作 田村さと子訳 (河出文庫)


 画家ゴーギャンとその祖母フローラの、各々の活動を異なる次元で描いた物語です。
 ふたりの人生がバランスよく交互に描かれているため、とても読みやすかったです。


楽園への道 (河出文庫)

楽園への道 (河出文庫)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/05/08
  • メディア: 文庫



 フローラ・トリスタンは、「スカートをはいた扇動者」と言われた女革命家です。
 男中心の社会で女性の権利を訴え、資本家中心の社会で労働者の団結を訴えました。

 男女が平等になり、資本家と労働者が対等になる社会を夢見て、必死に活動します。
 フランス中を駆け回るフローラは、1844年に最後の旅に出ますが・・・

 ポール・ゴーギャンは、ゴッホとともに美術界に大きな革新をもたらした画家です。
 家族も社会的地位も捨てて文明に反旗を翻し、原始の生活や信仰を求めました。

 フローラの旅から約50年後、ゴーギャンもまたタヒチにわたり、芸術を追求します。
 原住民とともに原始的な生活の中で絵筆をとりますが、彼もまた道半ばで・・・

 というように、フローラとゴーギャンの半生が、並列的に交互に描かれています。
 しかし、私はゴーギャンの絵が好きなので、ゴーギャン中心に読んでしまいました。

 彼がタヒチを目指したのは、「芸術が日常と分離していない土地」を夢見たからです。
 作者は、ゴーギャンの心の内を、次のように美しく印象的に描いています。

 「俺は金銭によって堕落してしまったヨーロッパ文明から逃げ出し、純粋な原始の世
 界を探しに行く、その冬空のない土地では、芸術は単なる投機の対象ではなく、神聖
 で活力に満ちた楽しい仕事であり、芸術家は腹がすけばただ手を伸ばして、たわわに
 実った果物を木からもぎとればよいのだ。まるでエデンの園のアダムとイヴのように。
 」(P294)

 また、次のような興味深い言葉もありました。
 この言葉の中に、作者バルガス=リョサの理想も示されているように感じました。

 「西洋美術は原始芸術の中にある生活の総合体から分離することによって衰退してし
 まった。原始芸術では、美術は宗教とは切り離すことはできず、食べることや飾るこ
 と、歌うこと、セックスをすることと同様に、日常生活の一部を形成している。おま
 えは作品の中にこの伝統を復活させたかった。」(P522)

 ゴーギャンがゴッホと、アルルの黄色い家で共同生活を送ったことは有名です。
 まれにゴッホの記憶が描かれますが、それは美術ファンにはたまらない場面です。

 たとえば、ゴッホがゴーギャンの絵の魅力を語る言葉はすばらしい。
 バルガス=リョサの創作だと思いますが、実にうまい表現をしています。

 「絵筆ではなく、ペニスで描かれたものだね。絵画とは芸術であると同時に罪悪な
 のだよ」 「これは人間の血と臓腑から生まれた大作だ。性器から放出される精液の
 ようだ」(P98)

 ついでながら、ゴッホの次の言葉も忘れられません。
 やはりこれも、作者の創作でしょうか?

 「自分の絵が人々に精神的な慰めを与えられたら、と俺は思っているんだよ、ポール。
 キリストの言葉が人々に慰めを与えたようにな。古典絵画では『光輪』は永遠を意味
 していた。その『光輪』とは今、俺が絵の中で色彩の放射と振動とで取り戻そうとし
 ているものなんだ」(P407)

 そしてゴーギャンは、ゴッホに殉教者のような資質を感じて・・・
 のちにゴーギャンは、ゴッホのひまわりの絵に『光輪』を見て・・・

 やがてゴーギャンは最高傑作を完成させます。
 「われわれはどこから来たのかわれわれは何者かわれわれはどこへ行くのか」です。

 この絵の真ん中に描かれている、男性のような女性のような人物は・・・
 この絵を完成したあと、ゴーギャンは急に創作意欲を失って・・・

20131116_108434.jpg

 この大作が、2009年に東京国立近代美術館の「ゴーギャン展」に来たのです。
 しかし私は行かなかった! ゴーギャンのマイブームは、そのあとだったのです。

 さて、「楽園への道」は、ゴーギャンファンにとって、読んでおきたい作品です。
 ただし最初は、フローラの物語が邪魔で、読み飛ばしたくなりました。

 どうせならゴーギャンの物語を単独で作品にしてほしかった、と思っていました。
 しかし今なら、フローラの物語が置かれた意味も分かる気がします。

 次回は、私が(勝手に)考えた、この作品の真の意味について書いていきます。
 ゴーギャンは、実はフローラの・・・

 さいごに。(コロナ、三たび)

 またもコロナが流行してきました。第三波は、これまでの最大の波となっています。
 出席を予定していた3つの忘年会は、軒並み中止となりました。

 それでも、私たちはまだいい。我慢すればよいのだから。ウェブ飲み会もあるし。
 飲食店で働いている方や、医療機関で働いている方のことが気にかかります。

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ブロディ―の報告書 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「ブロディ―の報告書」 J・L・ボルヘス作 鼓直訳 (岩波文庫)


 タイトル作ほか「マルコ福音書」など、七十歳のボルヘスの晩年を飾る短編集です。
 バロック的なスタイルを捨てて、新しい境地を開いた作品集です。


ブロディーの報告書 (岩波文庫)

ブロディーの報告書 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2012/05/17
  • メディア: 文庫



 冒頭の「じゃま者」はひどい話です。無法者であるニルセン兄弟の絆の物語です。
 自分の女が「じゃま」になると、兄のクリスチャンはいったいどうしたか?

 「ロセンド・フアレスの物語」は、中で最も気に入った作品です。
 人一倍度胸のあるロセンドが、怖くもない相手との決闘に、なぜ応じなかったのか?

 「人間、その身に何かが起こっても、長い年月がたってからでないとその意味がわか
 らない。あの晩わたしが経験したことも、原因は、遠いむかしにあった。」(P44)

 「めぐりあい」は印象的な作品です。この物語の主役は、ナイフです。
 「闘ったのは人間ではなく、ナイフだった。」 めぐりあったのもまた・・・

 「フアン・ムラーニャ」も、私のお気に入りの作品です。 
 債権者を殺し、自分たちを助けてくれたのは誰だったのか? 故人のフアンなのか?

 「マルコ福音書」は、作者がこの本の中で、最高の出来ばえと言っている作品です。
 ただし、私にはよく分かりませんでした。結末は、どういうこと?

 「グアヤキル」も、よく分からない作品でした。
 どうして最後、「わたし」はツィマーマンに栄誉を譲らなければならなかったのか?

 大臣の秘書から連絡があった時点で、もうこの結末は決まっていたのでしょうか?
 「マルコ福音書」と「グアヤキル」は、読後にもやもやが残りました。

 タイトル作である「ブロディーの報告書」は、この中で最も面白い作品でした。
 宣教師ブロディ―が、退化した種族ヤフー族について報告した文章です。

 「詩人の言葉がみんなの心を捕らえた場合は、みんなははなはだしい畏怖に駆ら
 れて、黙って詩人のそばをはなれる。詩人に精霊がのり移ったと感じるのだ。(
 中略)彼はもはや人間ではなくて、神であり、誰でも彼を殺すことが許される。
 ・・・」(P159)

 さて、「老夫人」という作品の中に、印象的でちょっと面白い文章がありました。
 ボルヘスの、「夢」についての考え方が分かる文章です。

 「周知のとおり、睡眠はわれわれの行動のなかでももっとも神秘的なものだ。われ
 われはそれに人生の三分の一を捧げ、しかもそれを理解できないでいる。ある者た
 ちにとっては、それは意識の消滅にすぎないが、別の者たちにとっては、同時に過
 去と現在と未来とが見渡される、より複雑な状態であり、さらに別の者たちにとっ
 ては、中断することのない一連の夢である。」(P89)

 さいごに。(父の得意技)

 私が小さいとき、父が「いいものあげるよ」と言っても、近寄ってはいけなかった。
 近づこうものなら、父はくるりとお尻を向けて、ブッとおならをくれたものです。

 その後15年ほどしたとき、父はまったく同じことを私の甥っ子たちにしていました。
 さらにその15年後、今度は私が自分の娘に同じことをして、顰蹙を買っていました。

 もう少したつと、今度は甥っ子たちが・・・?
 こうやって、わが家の得意技は受け継がれていくのでしょうか。

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幻獣辞典 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「幻獣辞典」 ボルヘス作 柳瀬尚紀訳 (河出文庫)


 神話から近代小説まで、古今東西の書物に登場する幻の生物を、集大成しています。
 1957年に初版が出て、1969年に完全版が出ました。全120の幻獣を紹介しています。


幻獣辞典 (河出文庫)

幻獣辞典 (河出文庫)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2015/05/08
  • メディア: 文庫



 キマイラ、スフィンクス、セイレーンなど、ギリシア神話でおなじみのものから、
 ポオ、カフカ、ルイス・キャロルの小説中の存在まで、幅広く集められています。

 どの幻獣も個性的で面白く、ボルヘスの蘊蓄が、知的好奇心を満たしてくれます。
 「誰しも知るように、むだで横道にそれた知識には一種のけだるい喜びがある。」
 (P9「序」より)

 私はこの本に「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で出会いました。
 主人公が「幻獣辞典」で、一角獣について調べていたので、気になっていました。

 「一角獣」については、乙女の手で捕らえられるという点が面白かったです。
 一角獣は、情欲ゆえに我が狂暴さを忘れ、乙女の膝に頭を乗せたところを・・・

 私にとって最も興味深かったのは、「鏡の動物誌」です。
 かつて、鏡の世界と人間の世界は共存し、自由に行き来していたと言います。

 あるとき鏡の人々が地上に侵入し・・・黄帝は彼らを鏡の中に閉じ込めて・・・
 現在彼らは単なる奴隷的な反射像だが・・・いつか黄帝の魔力が解けると・・・

 「ア・バオ・ア・クゥー」の記述もまた、なかなか興味深かったです。
 それは、勝利の塔の螺旋階段に住み、誰かが階段を登り始めると目覚めて・・・

 訪問者が一段一段登るにつれて、その生き物の色合いは強烈になり・・・
 最上段においてそれは完全な姿になるが、人はそれを見ることができず・・・

 中には、「スクォンク(溶ける涙体)」というかわいらしい生き物もいます。
 スクォンクは始終涙を流して泣いていて、涙に全身が溶けてしまうことが・・・

 「足萎えのウーフニック」もまた、かわいらしいです。
 もし自分が足萎えのウーフニックだと悟ると、その者は死んで他の者が・・・

 また中には、わけのわからない項目もあります。例えば「過去を称える者たち」。
 「過去は絶対で、過去は現在を所有したこともなく」・・・どこが、幻獣?

 興味深いのは、「球体の動物」。プラトンが「法律」の中で、こう述べました。
 「惑星その他の星も生きている」と。つまり、星もまた幻獣、ということです。

 「ファスティトカロン」の項では、聖霊が作った二冊の本について書かれています。
 ひとつは聖書。もうひとつは世界全体。教訓は生き物の内に閉じ込められて・・・

 突然、意外な文章に出会って、驚くこともあります。
 デカルトは言ったという、猿は実はじゃべれるのだが、沈黙の方が好きなので・・・

 さて、ボルヘスはほかに、「怪奇譚集」を出しています。少し気になります。
 また、後期短編集「ブロディ―の報告書」も、読んでみたいです。


ボルヘス怪奇譚集 (河出文庫)

ボルヘス怪奇譚集 (河出文庫)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2018/04/06
  • メディア: 文庫



ブロディーの報告書 (岩波文庫)

ブロディーの報告書 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2012/05/17
  • メディア: 文庫



 さいごに。(家族で見る日本選手権)

 これまで陸上の日本選手権の中継があっても、見るのは私ひとりでした。
 最近は家族で見ています。娘が昨年陸上を始めて、興味を持つようになったので。

 100mはやはり桐生が強かったです。200mは飯塚。400Hは、やはり安部でした。
 やっぱり、家族で見た方が、ずっと楽しいですね。とても盛り上がります。

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精霊たちの家2 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「精霊たちの家 下」 イサベル・アジェンデ作 木村榮一訳 (河出文庫)


 クラーラ、ブランカ、アルバと続く、デル・バージェ家の三代にわたる年代記です。
 マルケスの「百年の孤独」と並び称せられる、ラテンアメリカ文学の名作です。


精霊たちの家 下 (河出文庫)

精霊たちの家 下 (河出文庫)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/07/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



 エステーバンは共和国の国会議員となり、社会的な地位を確立していきました。
 ところが、クラーラの死とともに、トゥルエバ家の運命は少しずつ傾きました。

 「クラーラが亡くなったとたんに、角の邸宅から花をはじめあちこちを渡り歩いて
 いる友人たちや陽気な精霊が姿を消し、凋落の時代がはじまった。」(P127)・・・

 物語の中心にはいつもクラーラがいたのに、途中で死んでしまったので驚きました。
 しかも、精霊たちが去ってしまいます。「精霊の家」なのに!

 物語の中心は、娘のブランカへ、そして孫のアルバへと続きます。
 そして、エステーバンが見届ける中、時代はどんどん変わっていき・・・

 さて、下巻の後半、11章「目覚め」辺りから、雰囲気ががらりと変わりました。
 政治や革命の話が多くなり、雰囲気が急に殺伐としてくるのです。

 実は私は、この物語は、10章までで終わっても良かった、と思っています。
 エステーバンがクラーラを思いながら、二度と目覚めぬ眠りにつくことにして。

 しかしアジェンデは、その後の政治的混乱をこそ、描きたかったのでしょう。
 自分の目で見て体験したことを、作品の中で訴えたかったに違いありません。

 それを作品として書くことで、自分の半生の意味をかみしめていたのではないか。
 そういう意味で、エピローグにおけるアルバの思考は、ちょっと興味深いです。

 「犬小屋(墓穴のように密閉された独房)の中でふと、自分は今、それぞれの断片
 が収まるべきところに収まるはずのジグソーパズルを組み立てているのだと考えた。
 完成するまでは不可解なものに思えたが、その一方で、もしできあがれば、それぞ
 れの断片が意味を持ち、全体としては調和のとれたものになるはずだという確信が
 あった。」(P369)

 人生には、あとから振り返ってみて、初めてその意味に気づくことがあります。
 アジェンデもまた、辛かった体験の中に、意味を見出そうとしたのではないか。

 そして物語を紡ぎながら、パズルのピースの意味を、見い出したに違いありません。
 それを見出してくれるものこそが、真実の「精霊」だったのではないでしょうか。

 53歳の私は最近、突然天啓のように、昔の出来事の意味を理解することがあります。
 人生のパズルが完成に向かうのを感じながら、歳をとっていくんですね。

 さいごに。(県大会20位)

 中学生の県大会の走高跳で、娘は1m30を1回でクリアし、20位に入りました。
 記録なしになるかもしれないと恐れていましたが、記録を残せて良かったです。

 1年前と記録は変わっていませんが、跳び方はだいぶ上手になってきました。
 1m35以上、体が上がっているようでした。反る練習をすれば記録が伸びそうです。

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精霊たちの家1 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「精霊たちの家 上」 イサベル・アジェンデ作 木村榮一訳 (河出文庫)


 クラーラ、ブランカ、アルバと続く、デル・バージェ家の三代にわたる年代記です。
 マルケスの「百年の孤独」と並び称せられる、ラテンアメリカ文学の名作です。


精霊たちの家 上 (河出文庫)

精霊たちの家 上 (河出文庫)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/07/06
  • メディア: 文庫



 デル・バージェ家の末娘クラーラには、生まれつき超能力が備わっていました。
 精霊たちを呼び出して会話をしたり、未来に起こることを予知したりしました。

 あるとき彼女が言いました。「今度はまちがえてべつの人が死ぬことになるわ」と。
 その後、人魚のように美しい姉のローサが、父の身代わりとなって死んだのです。

 クラーラは、二度と口をきくまいとして、沈黙の中に閉じこもり・・・
 その間彼女は、大気や水や大地の精と一緒に、空想の世界に生き・・・

 「そこでは、物体はそれ自身に生命が備わり、亡霊はテーブルについて人間と会話
 し、過去と未来はひとつに溶け合い、今現在の現実は乱雑に鏡を並べた万華鏡のよ
 うに変幻きわまりないもので、なにが起ころうとも少しも不思議ではなかった。」
 (P142)

 一方、ローサの婚約者だったエステーバンは、農場の経営に乗り出して成功し・・・
 9年間の沈黙を破って、クラーラが言った言葉は・・・そしてエステーバンは・・・

 面白くて、先が気になって、どんどん読み進められます。
 物語前半の推進力になっているのが、クラーラの周りで起こる不思議な出来事です。

 驚くべきことに、クラーラにはモデルがいて、それが作者の祖母なのだそうです。
 作者の祖母は、屋敷に霊術師を集めて、手を触れずに銀のベルを動かしたとか。

 ちなみに作者の叔父は、1970年にチリ大統領となったサルバドール・アジェンデ。
 しかし、1973年のクーデターによって、政権を軍部に奪われてしまい・・・

 激動の時代を体験したアジェンデは、悪魔払いのつもりで物語を書いたそうです。
 確かに、故国チリの100年の歴史の中に、アジェンデの怨念を見た気がしました。

 さて、「精霊の家」は、当時「百年の孤独」の再来などと言われました。
 しかも、「百年の孤独」よりも面白くて、また、それ以上によく売れました。

 そのため、難解な小説が読めない人のための手軽な娯楽だと言われたりもします。
 中にはこの小説を、ラテンアメリカ文学の邪道のように言う人もいるようです。

 しかし私は「精霊の家」こそ文学の正道をいくものだと、声を大にして言いたい!
 つまり、この作品によって、ラテンアメリカ文学は、本流に還ったのです。

 文学作品で最も根本的で大事な点は、分かりやすくて面白いことだと思います。
 「精霊の家」は、そのような基本路線を大切にした、文学の本来あるべき姿です。

 むしろ、ほかのヘンに小難しい小説群こそ、ひとりよがりで邪道な作品ですよ。
 特に、読んで意味の分からない小説には、文学的な価値があるとは思えません。

 現在、上巻を読み終わったところです。
 下巻では、時代が変わり、さまざまな波乱があるようです。楽しみです。

 さいごに。(本日は県大会)

 娘は1m30が跳べるようになって、陸上教室が嫌でなくなってきたのだそうです。
 レベル的にはまだまだですが、これまで本当によくがんばってきました。

 本日の県大会は、選手1人につき保護者が1人の観戦が。可能になりました。
 私はこっそり見に行って、心の中で応援したいと思っています。

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蜘蛛女のキス [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「蜘蛛女のキス」 マヌエル・プイグ作 野谷文昭訳 (集英社文庫)


 同じ監房にいるゲイの男と社会主義活動家の、信頼関係と悲劇を描いた小説です。
 ほとんどが2人の対話で書かれています。映画やミュージカルにもなりました。


蜘蛛女のキス (集英社文庫)

蜘蛛女のキス (集英社文庫)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2011/05/20
  • メディア: 文庫



 冒頭、男女の会話で始まります。女が話しているのは、映画のストーリーです。
 2人は、恋人同士なのだろうか? 場所は男の部屋だろうか?

 しかし、どこか違和感がある、と考えていると、いきなり不意を打たれました。
 女だと思っていたが、ゲイだった・・・そして、場所は監房の中だった・・・

 未成年者への性的誘惑で懲役を食らったモリーナは、オネエ言葉で話し続けます。
 やがて彼の思いやりは、社会主義活動家のヴァレンティンに通じていきます。

 ところが、モリーナがヴァレンティンの気を引くのには、ある目的があって・・・
 しかし、モリーナのヴァレンティンへの思いは、純粋なものになっていて・・・

 この小説の感動は、なんといってもモリーナの切ない思いにあります。
 そして、あの悲劇的な結末! 涙なしには読めません。

 この小説は、「ラテンアメリカ十大小説」で、9番目に取り上げられています。
 そして木村榮一は、次のように述べています。

 モリーナを警察は手先に使い、活動家は連絡係として利用し、死なせてしまった。
 ただモリーナだけが、純粋にヴァレンティンへの愛のためだけに生きた、と。

 ところがそれを台無しにしてしまうシーンがあります。監房の中の男同士の・・・
 このシーンのおかげで、所長の次の言葉が、私の頭に焼き付いてしまいました。

 「モリーナのような人間がどういう行動に出るかを予想するのは困難です、
 結局のところは変態ですから。」(P378)

 一方、ヴァレンティンはかっこいいです。彼もまた切ない。
 モリーナに、「男らしさとは何か」と聞かれて、こう答えています。

 「妥協しないこと、人にも、体制にも、金にも。まだ足りない、それは・・・
 自分のそばにいる人間に劣等感を持たせないこと、自分と一緒にいる人間に居
 心地の悪さを感じさせないことだ」(P103)

 この小説はベストセラーとなりましたが、映画もまた話題になりました。
 1985年にアメリカとブラジルで合作され映画は、数々の賞を受賞しました。


蜘蛛女のキス <HDニューマスター・スペシャルエディション> Blu-ray(特典なし)

蜘蛛女のキス <HDニューマスター・スペシャルエディション> Blu-ray(特典なし)

  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • 発売日: 2019/11/06
  • メディア: Blu-ray



 さいごに。(半沢直樹、明日最終回)

 「半沢直樹」が、明日最終回となります。政府との戦いは、いったいどうなる?
 特に「3人まとめて1000倍返し」をどのように達成するか、とても気になります。

 余談ですが、箕部幹事長のモデルは、一般に小沢一郎氏だと言われています。
 しかし私には、箕部幹事長の顔が、二階幹事長と重なって見えちゃうのですが・・・

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夜のみだらな鳥2 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「夜のみだらな鳥」 ホセ・ドノソ作 鼓直訳 (集英社版 世界の文学)


 修道院に逃れてきたウンベルトが語る、狂気と妄想を余すところなく描いた作品です。
 世界の奇書とも呼ばれるこの傑作が、文庫化されていません。単行本も絶版状態です。


夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))

夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1984/07/01
  • メディア: 単行本



 後半に入ってさらに、目をそむけたくなるようなおぞましい出来事が語られます。
 それが怖いもの見たさの心理をあおるのか、逆に本から目が離せなくなりました。

 ボーイが誕生する辺りから、おどろおどろしさの度合いはどんどん増していきます。
 そして、ウンベルトが病に倒れたとき、彼はいったい何をされたか?・・・

 後半に入って、語り手ウンベルトの話は、加速度的に混乱していきます。
 頭の中に他人が入り込んでいるため、彼の言葉は色んな人の思考を反映しています。

 「そのうち教えてあげるわ。そうね、あんたがいま見ているものの裏っかわで起きて
 る、もっともっとややこしいことよ。時間やいろんな物の影も、そこではみんな歪ん
 でしまうのよ。」(P234)

 どうやら、ウンベルトの頭の中では、時間や空間が歪んでしまっているらしいです。
 いろいろと矛盾することが、当たり前のように書かれているため、面くらいます。

 最初、ウンベルトは教員の子とされていたが、のちに、イリスの子になっています。
 しかもそのイリスを孕ませたのも、どうやらウンベルトのようなのです。

 正直に言って、私にはほとんど理解できませんでした。
 理解できないものは、楽しむこともできないし、味わうこともできません。

 確かにこの作品は「世界の奇書」かもしれません。
 実際、読んでいる間は、魔術にかけられたみたいにのめりこみました。

 ところが、読み終わってみると、カタルシスはなく、もやもやだけが残りました。
 これは優れた文学でしょうか?

 人を煙に巻くようなことばかり述べられていて、真実がいっこうに分かりません。
 物語と関係のないたわごとばかりが、無意味に書かれているように思えました。

 もう少し無駄な部分を省いて、物語を整理したなら、分量は半分になるでしょう。
 そしたらもっと普遍的な作品となり、今頃は文庫として残っていたのではないか?

 さて、これで私はラテンアメリカ文学五人衆の代表作を、ほぼ読み終わりました。
 そこで、20世紀ラテンアメリカ文学の取り組みについて、思うところがあります。

 その多くに、読者を南米の密林に招いて迷子にさせるようなところがありました。
 わざと分かりにくく語って人を混乱させ、その混乱を味わわせるという手法です。

 これは、文学が行き詰ったときに、苦し紛れに編み出された手法だと思います。
 最初こそ斬新さが目を引きますが、そのうち飽きられ、振り返られなくなります。

 こうした手法(遊び?)は、決して文学の本流を行くものではありません。
 その証拠に、一時世界を席巻した作品も、多くはブーム後に廃れてしまいました。

 そういう意味で、ラテンアメリカ文学ブームは、あだ花だったと思っています。 
 もちろん例外として、「百年の孤独」のような絶対的な名作もありますが。

 と、また勝手なことを書いてしまいました。南米文学ファンの方々、ご容赦を。
 次は、「蜘蛛女のキス」や「精霊の家」などを読んでいきたいと思っています。

 さいごに。(聴覚低下)

 人間ドックでの聴力検査が、二年連続でひっかかりました。
 ヘッドホンをしても、なかなか検査が始まらないので、変だと思ったら・・・

 聞こえてなかったんですね。検査はちゃんと始まっていたのです。
 耳鼻科に行く時間はないので、家で耳に効くツボのマッサージをしています。

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夜のみだらな鳥1 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「夜のみだらな鳥」 ホセ・ドノソ作 鼓直訳 (集英社版 世界の文学)


 修道院に逃れてきたウンベルトが語る狂気と妄想を、余すところなく描いた作品です。
 作者はラテンアメリカ文学ブーム五人衆の最後のひとりで、本書はその代表作です。

 不思議なことにこの傑作が、いまだに文庫化されていません。いったい、どうして?
 しかも単行本はいずれも絶版。私は「集英社版 世界の文学」を中古で買いました。


夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))

夜のみだらな鳥 (ラテンアメリカの文学 (11))

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1984/07/01
  • メディア: 単行本



 話はあちこち飛ぶし、語り手は少しヘンだし、まさにラテンアメリカ文学的作品です。
 木村榮一の「ラテンアメリカ十大小説」によると、筒井康隆はこう述べたそうです。

 「ここはまさに善悪や美醜や聖俗を越えた文学的カーニバルの異空間だ」と。
 この言葉をぴったりだと評したあと、木村榮一はさらにこう続けています。

 「この狂気と妄想の世界に一歩踏み込んだ読者は、戦慄を覚えつつも魔術にかけられた
 ように読み進み、読後に一種表現しがたいカタルシスを覚えることでしょう。」

 私もまた、気持ち悪うーと思いながらも、魔物にとり憑かれたように読み耽りました。
 たとえば作品は冒頭から、次のような不気味なエピソードで始まります。

 当時、月夜には、黄色い雌犬のあとを追って、恐ろしい首が空を飛ぶのが見られた。
 その顔は地主の娘の顔そっくりであり、不吉な鳥チョンチョンの声で歌っている・・・ 

 娘の乳母は魔女だと噂された。犬に変身していた乳母を、作男たちは捕らえて殺した。
 その魔女は娘の九つの穴をふさいで、ある化け物を造り出そうとしていたらしい・・・

 インブンチェという化け物は、どのようなものか?
 その娘が委ねられた修道院こそ、語り手のムディートがいる場所であり・・・

 さて、この物語は、ムディートという唖の男によって語られ(?)ています。
 ムディートは、かつてウンベルトと言い、ドン・ヘロニモの秘書だったようです。

 ヘロニモの妻イネスにもまた、ペータ・ポンセという魔女がついていて・・・
 イネスを身ごもらせるために、ペータ・ポンセはどのようなことをしたのか?

 そして、ヘロニモとイネスの間に誕生したボーイは、どのような子だったか?
 さらに、ヘロニモは我が子ボーイのために、どのようなことを企てたのか?

 小さい活字で、上下二段組みなので、ようやく半分ほどまでしか読めていません。
 それなのに、全く飽きません。ますますこの不気味な本に、のめり込んでいます。

 さいごに。(いくらでも寝てしまう)

 最近仕事がたいへんで、とても疲れます。夜は眠くて眠くて起きていられません。
 本を読みながら、うとうとしてしまうので、22時には寝てしまいます。

 「4時に起きて本を読もう」と思って寝るのですが、目が覚めるのはいつも6時。
 読書時間よりも睡眠時間を優先してしまう自分に、精神的な衰えを感じてしまう。

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