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「失われた時を求めて」への招待 [20世紀フランス文学]

 「『失われた時を求めて』への招待」 吉川一義 (岩波新書)


 「失われた時を求めて」の核心部分を、多方面から易しく解き明かした入門書です。
 著者はプルースト研究の第一人者で、岩波文庫「失われた時を求めて」の訳者です。


『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書 新赤版 1884)

『失われた時を求めて』への招待 (岩波新書 新赤版 1884)

  • 作者: 吉川 一義
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2021/06/22
  • メディア: 新書



 第1章 プルーストの生涯と作品
 第2章 作中の「私」とプルースト ——一人称小説の狙い
 第3章 精神を描くプルースト ——回想、印象、比喩
 第4章 スワンと「私」の恋愛心理
 第5章 無数の自我、記憶、時間
 第6章 「私」が遍歴する社交界
 第7章 「私」とドレフュス事件および第一次世界大戦
 第8章 「私」とユダヤ・同性愛
 第9章 サドマゾヒズムから文学創造へ
 第10章 「私」の文学創造への道

 以上の10章で構成されています。第1章、第2章、第3章、第5章が良かったです。
 中でも私にとって特に面白かったのは、第2章における「語り手の私」の考察です。

 「語り手の『私』は、最晩年の老人といった具体的肉体をもつ存在ではなく、むしろ
 あらゆる言説が生じるところに発生する語る声として、抽象的な発話の現在として、
 『失われた時を求めて』の至るところに偏在すると考えるべきだろう。」(P44)

 つまり「語り手の私」は、その場面その場面で時間を超越して現れると言います。
 これは、私の頭の中にある、「時間を越えて浮遊する魂」のイメージと重なります。

 物語の冒頭で語られる朦朧とした意識は、死の前に体から抜け出る魂を暗示します。
 そのことについて私は、「失われた時を求めて1」で以下のように考察しました。

 ・・・私はこの朦朧状態は、時空をさ迷う「魂」を暗示していると思っています。
 永遠の眠りに就く直前に、体から抜け出た「魂」が、人生を回想しているのだ・・・

 そして、この「魂=語り手の私」は、最後の最後に小説を書こうと覚悟を決めます。
 ところが、おそらくその直後に、寿命が来てしまうのではないのでしょうか。

 「失われた時を求めて」という小説の終りは、「浮遊する魂」の消滅を意味します。
 ということで、私は「失われた時を求めて」は、書かれなかったと思っています。

 繰り返します。「失われた時を求めて」は書かれなかった。これが物語のオチです。
 いけませんね、著書の紹介よりも、私の勝手な夢想ばかりを書いてしまいました。

 ところで、巻末の「失われた時を求めて」年表と、プルースト略年譜はすばらしい。
 前者が左のページ、後者が右のページにあり、簡単に対照することができます。

 特に前者は、ぐじゃぐじゃになっていた頭の中を整理するのに大変役立ちました。
 たとえば、ジルベルトと会ったのが12歳頃、アルベルチーヌと会ったのは18歳頃。

 と、これまであやふやだった年齢が、だいたいイメージできるようになりました。
 右ページのプルースト略年譜を対照しながら読むと、さらに興味深かったです。

 余談ですが、本書でもっとも印象に残っていた部分は、ジッドの日記の引用です。
 ジッドは、前日のプルーストとの対話について、次のように記したのだそうです。

 「プルーストは自分のユラニスム(少年愛・男色)を否定したり隠したりするどころ
 か、それを表に出した。いや、それを鼻にかけていた、と言いたいほどだ。女は精神
 的にしか愛したことはなく、セックスは男としかしたことはないと言う」(P175)

 さて吉川一義には、ほかにも「絵画で読む『失われた時を求めて』」もあります。
 こちらは中公新書で、物語に登場する主要な絵画の多くをカラーで載せています。

 たとえば、カルパッチョの「聖女ウルスラ伝」など、見慣れない絵画があって良い。
 そこで語られる「祖母=母」という仮説(?)も、実に面白かったです。


カラー版 絵画で読む『失われた時を求めて』 (中公新書 2716)

カラー版 絵画で読む『失われた時を求めて』 (中公新書 2716)

  • 作者: 吉川 一義
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2022/09/20
  • メディア: 新書



 さいごに。(リレーラン、雨天中止)

 日曜日に、出場予定だったリレーラン大会が、天候大荒れのため中止になりました。
 それでも我々は駅前に集まって、「お疲れさん会」をやりました。久々に飲んだ!

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失われた時を求めて14 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて7」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 第三篇「ゲルマントのほう」は、1920年から21年にかけて刊行されました。
 前回は岩波文庫版の第7巻の前半を紹介しました。今回はその後半を紹介します。


失われた時を求めて(7)――ゲルマントのほうIII (岩波文庫)

失われた時を求めて(7)――ゲルマントのほうIII (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2014/06/18
  • メディア: 文庫



 「私」は、憧れだったゲルマント公爵邸の晩餐に、とうとうやってきました。
 公爵邸のサロンは、フォーブール・サン=ジェルマン第一の地位を保っていました。

 特に公爵夫人(オリヤーヌ)は社交界の花形で、その言動は注目の的でした。
 ロシア大公に「トルストイを暗殺させるお考えですね」と言ったことさえあります。

 「私」は晩餐会の間、さまざまなおしゃべりを耳にして、幻滅を味わっていました。
 くだらない話題しか出ないのは、私が参加しているからではないのか、と考えます。

 このあと「私」はシュルリュス邸を訪問しましたが、なぜか男爵は不機嫌でした。
 「私はあなたを買いかぶっていた。われわれの関係もこれで終わりだ」と言います。

 以前男爵の届けてくれた本の装丁には、忘れなぐさの飾りがついていたそうです。
 そして、それは「私をお忘れなく」というメッセージであり、告白であったのです。

 「私はあなたのために、口に出すことこそ控えはしたが、それこそ誰もが垂涎の的と
 するような厚遇を授けようと考えていた。そんなことも知らずに拒絶する道を選んだ
 のは、あなたの勝手です。」(P470)

 わめき散らす男爵に対して怒った「私」は、彼のシルクハットを踏みつけて壊し・・・
 男爵は「私」との関係は終わりだと言いながら、なぜかいつまでも引き留めて・・・

 第7巻「ゲルマントのほうⅢ」の半分以上がゲルマント公爵邸の晩餐会の場面です。
 P163からP448の約300ページほどが占められているのです。わずか数時間のために。

 しかし、えんえんと続くこの場面は、ただただ退屈なだけです。
 おそらく、晩餐会の長く退屈な時間を、読者にも味わわせようとしたのでしょう。

 むしろ面白いのは、それが終わってから立ち寄ったシュルリュス邸訪問の場面です。
 やっぱりシュルリュス男爵ですよ。この男の謎めいた変人ぶりは魅力的です。

 わめきながら「私」を非難するかと思えば、「あなたを愛するがゆえ」と言ったり、 
 ふたりの仲は終わりだと言っておきながら、「泊まっていくように」と言ったり。

 この矛盾する言動の裏には、男爵が高慢でしかも〇〇であるという事実があります。
 小説でそれが充分暗示されているのに、「私」がまるで気づかない点が面白いです。

 この場面では、「私」という存在感の無い男が、珍しく思い切った行動に出ます。
 なんと、わいわいわめく男爵の、シルクハットを踏みつけて壊してしまうのです。

 意志薄弱で頼りない「私」が、これほど大胆な行動に出たことはありませんでした。
 そういう意味で、実に興味深い場面です。

 さて、シャルリュス男爵の本領発揮は、次の「ソドムとゴモラ」でしょう。
 しかしその前に、この巻の末尾で語られる、スワンの凋落した姿に注目です。

 ゲルマント侯爵夫人がスワンに言います。「一緒にイタリアにいきませんか」と。
 10か月も前のことなのに、スワンは行けそうにないと答えます。その理由は・・・

 「その何ヵ月も前に死んでいるからです。」スワンは死の病におかされています。
 やがて訪れるスワンの死を暗示して、「ゲルマントのほう」は終わるのです。

 さいごに。(おいしかったラーメン)

 先日、県内にある某ラーメン店に行きました。めちゃおいしかったです。
 チャーシューめんを食べましたが、チャーシューの量が半端なくてたいへんでした。

ラーメン.png

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失われた時を求めて13 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて7」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 第三篇「ゲルマントのほう」は、1920年から21年にかけて刊行されました。
 岩波文庫版の第7巻には、「ゲルマントのほう」の後半が収められています。


失われた時を求めて(7)――ゲルマントのほうIII (岩波文庫)

失われた時を求めて(7)――ゲルマントのほうIII (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2014/06/18
  • メディア: 文庫



 祖母の死から数か月後、「私」のパリの住居にアルベルチーヌが不意に訪れました。
 バルベックの頃より豊満で大人びていました。それ以来彼女は時々訪ねてきました。

 そして、バルベックでは許してくれなかったキスを、あっさり許してくれたのです。
 その後関係を持つようになりますが、「私」はもう彼女を愛していなかったのです。

 ある日母から、ゲルマント公爵夫人を追い回すのはやめるように、と言われました。
 そこで「私」は、公爵夫人を待ち伏せするのをやめて、夫人をすっかり諦めました。

 ところが、ヴィルパリジ侯爵夫人の晩餐会で、公爵夫人から声をかけてきたのです。
 「どうして一度も私に会いに来てくださらないの?」と。まるで夢のようでした。

 「美しい夜の沈黙にも似た孤独の静寂(しじま)のなかで、われわれが空の無限のか
 なたでおのが軌道をたどる社交界の大貴婦人を想い描いているとき、そんな虚空から、
 金星やカシオペア座では知られているはずもない自分の名を刻んだ隕石よろしく、晩
 餐への招待とか意地の悪い陰口とかが落ちてくると、こちらは仰天して小躍りしたり
 不愉快になったりせざるをえないのだ。」(P88)

 ゲルマント公爵夫人が「私」を晩餐に招待したのは、サン=ルーの親友だからです。
 一方、「私」がシャルリュス男爵と面識があると言うと、夫人はとても驚きました。

 というのも、男爵は「私」と一度も会ったことがないように振舞っていたからです。
 公爵夫人は言います。「あの人、ときどきちょっと頭が変じゃありませんこと?」

 そこで「私」は、シャルリュス男爵にブロックを紹介したときを思い出しました。
 男爵はブロックを見ると一瞬驚いて、その後なぜか彼にむかって激怒したのでした。

 その後サン=ルーから、男爵が自分に話があると言っていたことを聞きました。
 そこで、ゲルマント公爵夫人の晩餐会に出たあと、男爵を訪問することにして・・・

 なぜシャルリュス男爵は、「私」のことを知らないと言っていたのか?
 なぜシャルリュス男爵は、ブロックにたいして激怒して見せたのか?

 ここでも、シャルリュス男爵の謎めいた行動が、物語を面白くしています。
 いったい、シャルリュス男爵は「私」にどんな話があるというのでしょうか?

 さて、この巻の前半では、サン=ルーとの友情が印象的に描かれていました。
 彼との再会は、今まで忘れていたドンシエールでの時間を、思い出させました。

 「われわれは自分の人生を十全に活用することがなく、夏のたそがれや冬の早く訪れ
 る夜のなかにいくばくかの安らぎや楽しみを含むかに見えたそんな時間を、未完のま
 ま放置している。だがそんな時間は、完全に失われたわけではない。新たな楽しい時
 間がそれなりの調べを奏でるとき、その瞬間も同じくか細い筋を引いて消えてゆくの
 だが、以前の時間はこのあらたな瞬間のもとに駆けつけ、オーケストラの奏でる豊饒
 な音楽の基礎、堅固な支えとなってくれるのだ。かくして失われた時は、たまにしか
 見出されなくとも存在し続けている典型的な幸福のなかに伸び広がっている。」(P125)
 
 それにしても分かりづらいです。表現が凝りすぎています。
 かつてはこういう文章が苦痛でしたが、今ではこういう文章こそが楽しみです。

 さて、この部分を端的に言えば、こういうことになるでしょうか。
 以前の幸福な時間は失われたように見えるが、ふとした瞬間に見出されるのだ、と。

 サン=ルーとの食事のあと、いよいよゲルマント公爵邸での晩餐会となります。
 「私」はようやく憧れの舞台に上がります。いったいどのような展開になるのか?

 さいごに。(スナック菓子禁止)

 今年は陸上競技で結果を出したいので、スナック菓子をやめることにしました。
 しかし、そう宣言した矢先、無意識にお菓子を食べていました。習慣って恐ろしい。

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20世紀フランス文学のベスト20を選びました [20世紀フランス文学]

 私のライフワークは、文庫本で自分だけの文学全集をそろえることです。
 その「文学全集」の第Ⅰ集から第Ⅻ集までは、以下のように完成しています。

・ 第Ⅰ集「19世紀フランス編」(20作)・2010年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2010-10-23
・ 第Ⅱ集「19世紀イギリス編」(20作)・2011年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2011-08-04
・ 第Ⅲ集「19世紀ロシア編」(20作)・・2012年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2012-12-22
・ 第Ⅳ集「19世紀ドイツ北欧編」(20作)2013年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2013-11-09
・ 第Ⅴ集「19世紀アメリカ編」(10作)・2014年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2014-08-06-1
・ 第Ⅵ集「18世紀編」(10作)・・・・・2015年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2015-09-25-2
・ 第Ⅶ集「古代編」(20作)・・・・・・・2016年
 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2016-12-27
・ 第Ⅷ集「中世編」(20作)・・・2017年・2018年
 → https://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2018-12-25
・ 第Ⅸ集「17世紀編」(10作)・・・・・2019年
 → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2019-10-01
・ 第Ⅹ集「20世紀ラテンアメリカ編」(10作)2020年
 → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-12-11
・ 第Ⅺ集「20世紀アメリカ編」(40作)2021年
 → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2021-12-28
・ 第Ⅻ集「20世紀イギリス文学編」(20作)2022年
 →https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2022-12-26

 さて、今年2023年は、第ⅩⅢ集「20世紀フランス文学編」を決定する年です。
 20世紀フランス文学で紹介した作品は以下のとおり。( )内は刊行年です。

 ポール・ゴーギャン    「ノア・ノア」(1901)
 アンドレ・ジッド     「背徳者」(1902)
              「狭き門」(1909)
              「法王庁の抜け穴」(1914)
              「田園交響楽」(1919)
              「贋金つくり」(1925)
 ロマン・ロラン      「ベートーヴェンの生涯」(1903)
              「ミケランジェロの生涯」(1906)
              「ジャン・クリストフ」(1904~12)
 アンリ・ド・レニエ    「生きている過去」(1905)
 モーリス・ルブラン    「怪盗紳士ルパン」(1905~1907)
              「奇岩城」(1909)
              「813」「続813」(1910)
              「カリオストロ伯爵夫人」(1924)
 モーリス・メーテルリンク 「青い鳥」(1908)
 ガストン・ルルー     「黄色い部屋の秘密」(1908)
              「オペラ座の怪人」(1910)
 アナトール・フランス   「神々は渇く」(1912)
 アラン=フルニエ     「グラン・モーヌ」(1913)
 マルセル・プルースト   「失われた時を求めて 抄訳版」(1913~27)
              「同 7巻まで」
 コレット         「シェリ」(1920)
              「青い麦」(1922)
              「シェリの最後」(1926)
 マルタン・デュ・ガール  「チボー家の人々」(1922~40)
 シドニー=G・コレット  「青い麦」(1922)
 レーモン・ラディゲ    「肉体の悪魔」(1923)
              「ドルジェル伯の舞踏会」(1924)
 ジャン・コクトー     「山師トマ」(1923)
              「怖るべき子供たち」(1929)
 フランソワ・モーリヤック 「テレーズ・デスケルウ」(1927)
 ジョゼフ・ケッセル    「昼顔」(1929)
 アンドレ・マルロー    「王道」(1930)
 ジュール・シュペルヴィエル「海に住む少女」(1931)
 ジャン・ジロドゥ     「オンディーヌ」(1939)
 アルベール・カミュ    「異邦人」(1942)
              「カリギュラ」(1944)
              「ペスト」(1969)
 A・ド・サン=テグジュペリ「夜間飛行」(1931)
              「星の王子さま」(1943)
 J・P・サルトル     「自由への道」(1945)
 マルグリット・デュラス  「太平洋の防波堤」(1950)
              「モデラート・カンタービレ」(1958)
              「愛人(ラ・マン)」(1984)
 ジャン・アヌイ      「ひばり」(1952)
 ロブ=グリエ       「消しゴム」(1953)
 フランソワーズ・サガン  「悲しみよ こんにちは」(1954)
              「ボルジア家の黄金の血」(1977)
 ミラン・クンデラ     「存在の耐えられない軽さ」(1984)
              「別れのワルツ」(1986)

 この中から20作を選びました。
 「20世紀フランス編」のラインナップは次の通りです。

 ① ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」(1904~12)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-02-20
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-02-24
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-02-27
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-03-14
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-03-18
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-04-17
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-04-30
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-05-21
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-06-02
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-06-05
 ② アンドレ・ジッド「狭き門」(1909)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-10-09
 ③ モーリス・ルブラン「奇岩城」(1909)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2011-01-04
 ④ ガストン・ルルー「オペラ座の怪人」(1910)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-01-26
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-01-29
 ⑤ アナトール・フランス「神々は渇く」(1912)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/archive/c2301219652-1
 ⑥ マルセル・プルースト「失われた時を求めて」(1913~27)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-07-15
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-07-15
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-07-23
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-07-26
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-07-31
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-08-03
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-08-30
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-09-17
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-11-14
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-11-17
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-11-29
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-12-02
 ⑦ コレット「青い麦」(1922)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2010-06-16
 ⑧ マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」(1922~40)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-10-02
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-10-05
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-010-08
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-10-11
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-10-14
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-10-17
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-10-27
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-12-05
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-12-08
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-12-15
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-12-18
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-12-22
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-12-25
 ⑨ レーモン・ラディゲ「肉体の悪魔」(1923)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2010-06-19-1
 ⑩ ジャン・コクトー「山師トマ」 
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2015-05-02
 ⑪ フランソワ・モーリヤック「テレーズ・デスケルウ」(1927)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2014-09-05-1
 ⑫ アンドレ・マルロー「王道」(1930)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-09-26
 ⑬ アルベール・カミュ「異邦人」(1942)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2010-07-07
 ⑭ アルベール・カミュ「ペスト」(1969)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2018-07-21
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2018-07-24
 ⑮ サン・テグジュペリ「星の王子さま」(1943)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2015-05-05-1
 ⑯ J・P・サルトル「自由への道」(1945)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-06-08
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2023-06-14
 ⑰ マルグリット・デュラス「太平洋の防波堤」(1950)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2017-03-18
 ⑱ ロブ・グリエ「消しゴム」(1953)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2017-02-01
 ⑲ フランソワーズ・サガン「悲しみよ こんにちは」(1954)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2010-06-19
 ⑳ ミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」(1984)
   → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2017-10-11

 上のリンクで分かるとおり、20世紀の前半を象徴するのは次の三人です。
 ロマン・ロランとプルーストとマルタン・デュ・ガール。

 実際2023年は、彼らの作品ばかりに費やされていたような気がします。
 それから後半、忘れてならないのがカミュでしょうか。

 さて、補足です。まず、ジッドについて。
 代表作の「贋金つくり」を外したのは、訳が古くて理解しにくかったからです。

 A・フランスは、19世紀で「シルヴェストル・ボナールの罪」を採用していました。
 世紀をまたぐ作家として、20世紀でも採用しましたが、もしかしたら反則だったか?
 → https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2015-10-24

 アンドレ・マルローは「王道」を採りましたが、代表作は「人間の条件」でしょう。
 「人間の条件」は絶版で手に入りません。古典新訳文庫での新訳化を期待します。

 ほか、本当は全集に入れたかった作品に、アンリ・ド・レニエの「生きている過去」、
 ガストン・ルルーの「黄色い部屋の秘密」、コレットの「シェリ」などがあります。

 ジャン・ジュネの「泥棒日記」や「花のノートルダム」は読んでないので外しました。
 なお、プルーストはまだ最後まで読んでいませんが、これを外すことはできません。

 2024年も「失われた時を求めて」を読み続けていきます。
 来年は、「これまで読み忘れていた本を読む年」にしようかと考えています。

 さいごに(クリスマスケーキ)

 今年は久々に、妻と娘がホールケーキを作りました。
 三分の一ずつに切って、その日のうちに食べきりました。

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チボー家の人々13 [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々13」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の青年たちが成長してい10年を、世界情勢を交じえながら描いた大河小説です。
 今回紹介するのは白水Uブックスの第13巻で、第八部「エピローグⅡ」最終巻です。


チボー家の人々 13 エピローグ (白水Uブックス 50)

チボー家の人々 13 エピローグ (白水Uブックス 50)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/01/01
  • メディア: 新書



 アントワーヌは、メーゾン・ラフィット訪問のあと、フィリップ博士を訪ねました。
 帰りがけに、アントワーヌは博士の眼差しから、自分が助からないことを悟ります。

 1918年7月、アントワーヌは残り少ない命を思い、日記に考えをつづり始めました。
 国際連盟への期待、平和への願い、人生の意味、そしてジャン・ポールに残す言葉。

 「チボー家の血! ジャン・ポールの血! かつてのりっぱな自分の血、われら一家
 の血、それはいま、ジャン・ポールの血管の中を、えらいいきおいで駆けめぐってい
 る!」(P67)

 アントワーヌは、ポールの母ジェンニーに対して、どのような提案をしたのか?
 また、ジェンニーはその提案に対して、どのように答えたのか?・・・

 第一次大戦が一段落し、アントワーヌは医師としての最終手段を使って終わります。
 最後、チボー家の人々の血が、ジャン・ポールに受け継がれることが暗示されます。

 ところで、この巻で印象に残るのは、アントワーヌとフィリップ博士の語らいです。
 恩師である博士は、アントワーヌを診察しながら、含蓄ある言葉を投げかけます。

 「ぼくらは、これで人類もいよいよおとなの域に達して、これからは、知恵、節度、
 寛容の支配する時代に進んでいくものと信じていた・・・知識と理性とが、いよいよ
 人類社会の進歩を導くような時代になるものと信じていた・・・そういうぼくらが、
 後世史家の目から見て、人間について、また文明にたいする人間の能力について、甘
 い夢をきずいていたおめでたい人間、何も知らなかった人間としてしか映らないと誰
 に言えよう?」(P33)

 巻末の解説には、博士が「老賢人」の役割を持つと説明されていました。なるほど!
 この場面はエピローグの要だそうです。作者の言いたいことがここにありそうです。

 アントワーヌは、フィリップ博士の言葉に、大きな影響を受けています。
 彼の日記には、たとえば次のようなことも書かれています。

 「四年にわたる戦争。その結果は、殺しあい、山なす廃墟以外に何もなかった。いか
 にたくましい征服熱にとりつかれたものでも、戦争が、人間にとって、またすべての
 国々にとって、償うべからざる災禍である事実をいやでも認めずにはいられまい。」
 (P77)

 そして、未来のないアントワーヌの人生観は、しだいに諦観に傾いていきます。
 それはまた、永遠に続く宇宙の運命に参加している、という気持ちでもあります。

 「何百万何千万という人間がこの地殻の上に生みだされ、それがほんの一瞬蠢動した
 と見るまでに、やがて解体し、姿を消し、ほかの何百万何千万に取ってかわられる。
 しかも、そうやって取ってかわったものも、あすになれば解体する。そうしたつかの
 間の出現、それにはなんの〈意味〉もないのだ。人生には意味がない。」(P192)

 アントワーヌの日記は、死を目前にした者の思索の深まりを味わえる点で貴重です。
 しかし、最後にたどりついた境地がこれでは、あまりにも寂しすぎると思います。

 私としては、こんなふうに言ってほしかったです。
 「おれは死ぬけど滅びない。おれはジャン・ポールの中で永遠に生き続ける。」と。

 さて、これでようやく「チボー家の人々」全13巻が終わりました。
 長かったけど、プルーストに比べたら格段に読みやすかったです。

 さいごに。(失われた時を求めて)

 今年もあと1週間を切りました。「失われた時を求めて」の読破は絶望的です。
 プルーストは、来年2024年に持ち越すことにします。少しずつ読み進めます。

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チボー家の人々12 [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々12」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の青年たちが成長してい10年を、世界情勢を交じえながら描いた大河小説です。
 今回紹介するのは白水Uブックスの第12巻で、第八部「エピローグⅠ」です。


チボー家の人々 12 エピローグ (白水Uブックス 49)

チボー家の人々 12 エピローグ (白水Uブックス 49)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/01/01
  • メディア: 新書



 ジャックが死んでから4年後の1918年、アントワーヌはガス中毒療養所にいました。
 毒ガスにやられた唯一の軍医となった彼は、症状の詳細なメモをつけていました。

 療養所で、親戚のヴェーズ老嬢が死んだことを知り、葬儀のためパリに帰りました。
 アントワーヌは老嬢の埋葬を終えると、翌日メーゾン・ラフィットを訪れました。

 そこは、彼らの若き日の「美しい季節」の舞台ですが、変わり果てていました。
 別荘は病院に改造されて、今ではフォンタナン夫人が采配をふるっているのです。

 ジーゼルとニコルはその病院で働き、ジェンニーはジャックの遺児を育てています。
 片足を失ったダニエルは腑抜けのようになり、ジャックの遺児の世話をしています。

 アントワーヌは、ジーゼルと話し、ジェンニーと話し、ダニエルと話し・・・
 そしてアントワーヌは、久しぶりに穏やかで温かい時間を過ごして・・・

 「一九一四年夏」が出たとき、多くの人がこの小説は完結したのだと考えました。
 というのも、最後にジャックが死んでしまうからでしょう。

 解説によると、作者は慌てて「エピローグ」が続くことを知らせようとしました。
 「エピローグ」はアントワーヌの巻であり、真の主人公は彼なのだと言うのです。

 確かにこの長大な小説は、アントワーヌに始まってアントワーヌに終わっています。
 舞台は変わらず第一次世界大戦下ですが、物語はまたホームドラマに戻りました。

 もうひとり、この巻を象徴するのが、ジャックの遺児であるジャン・ポールです。
 そしてようやくここで、「チボー家の人々」というタイトルの意味が分かりました。

 私は最初、それはジャックとアントワーヌだけを指しているのだと思っていました。
 それなのに、なぜダニエルなどフォンタナン家を描くのかと、疑問に思ったのです。

 ジャン・ポールを含んで「チボー家の人々」だと理解したとき、疑問が解けました。
 フォンタナン家は、この子の母ジェンニーの家だからなのですね。(今さら!)

 つまりこの小説は、チボー家とフォンタナン家の血がひとつに交わる物語なのです。
 ある意味で、フォンタナン家の人々もまた「チボー家の人々(一員)」なのです。

 さて、次回はいよいよ最終回です。
 どのような終わり方をするのでしょうか。やはりアントワーヌは死ぬのでしょうか。

 さいごに。(奈良に行こう)

 娘が修学旅行で奈良に行きながら、東大寺も興福寺も見なかったと言うのです。
 ではいったい何をしていたのか? 奈良公園で鹿とずっとたわむれていたとのこと。

 怒れました。そこで、2月のどこかで「追修学旅行」を家族で行うことにしました。
 今度は、東大寺や興福寺しか見ないという、寺と仏像巡りをしたいと思っています。

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チボー家の人々11 [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々11」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の青年たちが成長してい10年を、世界情勢を交じえながら描いた大河小説です。
 今回紹介するのは白水Uブックスの第11巻で、第七部「一九一四年」の最終巻です。


チボー家の人々 11 1914年夏 (白水Uブックス 48)

チボー家の人々 11 1914年夏 (白水Uブックス 48)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/01/01
  • メディア: 新書



 8月2日、パリで総動員令が発令され、ジャックはスイスに赴く決意をしました。
 ジュネーブの同志と活動するつもりです。ジェンニーも一緒に行くと言いました。

 ふたりは出発する前、ジェンニーの家で一夜を過ごし、初めて関係を持ちました。
 そして、まさにその夜、フォンタナン夫人はオーストリアから帰ってきたのです。

 翌日ジャックは、アントワーヌが軍医として連隊へ行くのを、見送りに行きました。
 ふたりとも、これが最後になるのではないか、という不吉な予感を持っていました。

 そのときジェンニーは、母フォンタナン夫人に、スイス行きを止められていました。
 ジェンニーは、ジャックとの待ち合わせ場所に行きますが、出発はしませんでした。

 総動員令発令後、パリは戦争ムード一色で、多くの社会主義者が転向していました。
 戦争反対を唱えていた人々が戦争に参加し、反戦運動は崩壊したように見えました。

 そういう状況下で、ミトエルクは銃殺されるためにオーストリアに帰国したのです。
 ジャックもまた、自分に何ができるのか、命を懸けて何をなすべきかを考えて・・・

 ジャックがしようとしたことは・・・私には、まるで夢物語のように思えました。
 というか、ジャックはそれを信じていません。自ら破滅に向かっているようなのです。

 「おれには、戦争をせきとめることなぞできやしまい・・・誰も助けることなんかで
 きやしまい。助かるのはおれだけなんだ・・・だが、おれだけは、なすべきことをや
 ってのけ、自分自身を助けるのだ!(中略)そして、死の中へ逃げ込むこと」(P232)

 そして、メネストレルもまた、ジャックの計画を信じていないようなのです。
 ではなぜ、ジャックの計画に参加するのか? そして、フライト中に取った行動は?

 いろんな謎を残しながらも、物語はいっきにクライマックスに向かっていきます。
 ところが、その結末はあまりにもあっけないのです。いったい、どうして?

 もし彼らが成功してしまうと、歴史的事実から逸脱してしまうからでしょうか。
 もしくは、作者の伝えたいことは、アジビラに充分に書かれているからでしょうか。

 「フランスにおいてもドイツにおいても、国家は、少数者のみを代表し、投機業者一
 派の代理公使にすぎない。それら一派にとっては、金銭だけが力であり、しかも、彼
 らは今日、銀行、大会社、運輸、新聞、軍備、計画、あらゆるものを掌握している!
 彼らこそは、大多数の犠牲において特定の人々の利益をはかろうとする封建的社会組
 織の絶対君主だ!」(P203)

 国家が少数の資本家に掌握されているという見方は、現代にも通じるものではないか。
 そして、こういう記述にこそ、ノーベル文学賞受賞の理由があるような気がします。

 世界大戦が、アントワーヌとジャックとダニエルとジェンニーを、離ればなれに・・・
 次の第12巻「エピローグⅠ」では、彼らのその後がどのように語られるのでしょうか。 

 さいごに。(エクシブ)

 縁があって、会員制の高級リゾートホテル「エクシブ」に泊まりました。
 ゴージャスでした。温泉が良かったです。私は4回入りました。

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チボー家の人々10 [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々10」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の青年たちが成長してい10年を、世界情勢を交じえながら描いた大河小説です。
 今回紹介するのは白水Uブックスの10巻で、第七部「一九一四年」の「Ⅲ」です。


チボー家の人々 10 1914年夏 (白水Uブックス 47)

チボー家の人々 10 1914年夏 (白水Uブックス 47)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/01/01
  • メディア: 新書



 ベルリンに赴いたジャックは、トラウテンバッハという男から指令を受けました。
 そして彼は、駅である文書を受け取り、メネストレルのもとに急いで運びました。

 実はその文書は、オーストリアのシュトルバッハ大佐から盗み出されたものでした。
 そして、もし表ざたにすれば、世界の情勢を一変させる力のあるものだったのです。

 その文書は、ドイツとオーストリアがあらかじめ共謀していたことの証拠でした。
 この証拠は反戦運動の強力な武器であり、戦争を止める可能性を持つものでした。

 ところが、文書を手にしたメネストレルは、これを隠しておくことに決めたのです。
 彼は考えます。「戦争を防止するべきか? 戦争こそ革命の切り札だというのに。」

 インターナショナルの会合では戦争反対が叫ばれ、平和が実現するように見えました。
 しかし、時代の流れはじっくりと確実に、世界大戦へ向かっていくのでした。

 外交官のリュメルは言います。「おそろしい歯車だ、ひとりでに動き出した。」と。
 「ぼくらは、ブレーキがきかない列車が奈落に向かって転落しているようだ。」と。

 「誰も彼もが、ついきのうまで、ぜったいそんなことはしないと言いきっていたこと
 をやっている・・・まるで、責任ある連中が、みんなおどらされてでも―何にだろう
 —高いところから、ずっと遠くから、何か目に見えない力によっておどらされてでも
 いるようなんだ・・・」(P112)

 戦争が迫る中、ジャックはジェンニーを伴って会合に出て、大衆を前に演説し・・・
 アントワーヌはバタンクールの誠実さに接し、アンヌとの関係をやめようと・・・

 この巻の前半はスパイ小説さながらです。物語は俄然面白くなってきました。
 歴史を変えたかもしれないジャック! その可能性を握りつぶしたメネストレル!

 さて、本巻前半を印象付けるのは、革命家仲間のリーダーであるメネストレルです。
 革命を成就するため平和さえも犠牲にする彼を、パタースンは次のように評します。

 「なんでもやってのけられる人間なんだ! 何ひとつ信じない、何ひとつ―自分自身
 をさえ信じられないといった絶望感から。そうだ、彼自身無なんだから」(P78)

 そしてメネストレルは、文書の隠匿を決意した時点で、何かが崩れてしまいました。
 愛人のアルフレダがパタースンに奪われてしまうのは、彼の崩壊を象徴しています。

 そして、P80からのイミシンな場面。メネストレルは何をしようとしていたのか?
 目次の小見出しを見るまで、私には分かりませんでした。まさか、自〇未〇とは!

 この巻のクライマックスは、インターナショナルでのジャックの演説でしょうか。
 「国民は全能の武器を持っている。それは、ストライキだ! ゼネストだ!」

 愛するジェンニーの前で、ジャックは群衆を熱狂させ、拍手喝さいを浴びました。
 ただし、ジャックは自分で自分の言葉を信じていないような気がしてなりません。

 さて、一方アントワーヌは、バタンクールの訪問がひとつの大きな転機となります。
 バタンクールの誠実さに触れて、その妻アンヌとの不倫をやめようと決心します。

 「人生は、こんなものであるべきではない・・・おれのような人間、おれのような生
 活、おれのやっているような行為、そうしたものからこそ、世の中の混乱、虚偽、不
 正、精神的苦悩が生まれてくるのだ・・・」

 そういう思いは、アンヌとの仲も終わりだと考えた瞬間、魔法のように消えました。
 私には、アントワーヌが生きざまを変えたこの場面が、とても心に染み入りました。

 もうひとつの印象的な場面が、ジャックとアントワーヌの動員についての会話です。
 このような描写があるからこそ、ノーベル文学賞を受賞したのだと思います。

 「召集に応じて動員される者は、すべて国家の政策に賛成するもので、その結果戦争
 までも承認する者なんです。(中略)政府から命令されたというだけで、そうした人
 殺しにひと役買うことが承知できるでしょうか?」(P201)

 「もし今夜にも、大多数によって選ばれた政府によって―たといそれがおれの投票に
 反したものであったにせよだ―動員令が発せられたとなった場合(中略)すべての人
 々にとってぜんぜん同一な義務を回避したりする権利は持てないと思うんだ!」(P208)

 全体の利益は平和にあって戦争にはない、だから動員には応じないのだ、と言う弟。
 危機において動員に応じないのは個人の利益の重視だ、と言う兄。どちらが正しい?

 さいごに。(熱海の紅葉)

 先日、日本一遅いとも言われる熱海の紅葉を見てきました。
 さすがに散り際でしたが、充分に美しく、楽しむことができました。

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チボー家の人々9 [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々9」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の青年たちが成長してい10年を、世界情勢を交じえながら描いた大河小説です。
 第7部「一九一四年夏」は、白水Uブックスの8巻~11巻に4分冊で収録しています。


チボー家の人々 9 1914年夏 (白水Uブックス 46)

チボー家の人々 9 1914年夏 (白水Uブックス 46)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/03/01
  • メディア: 新書



 オーストリアはセルビアに、最後通牒をつきつけました。期限はわずか48時間です。
 しかも内容は屈辱的で受け入れがたく、もとより宣戦布告が仕組まれていたのです。

 オーストリアは、ロシアからの期限延長の求めを拒絶し、侵略の意志を示しました。
 しかもドイツは、オーストリア支持をはっきりと打ち出し、他国を牽制しています。

 ロシアがセルビアを救出に動けば、ドイツはオーストリアに味方をするでしょう。
 すると露仏同盟上、フランスは三国同盟を敵に回して参戦しなくてはなりません。

 目の前に突然、全面戦争の危機が現れました。ヨーロッパ中が目を覚ましました。
 ジャックはしかし、社会主義勢力の反乱による戦争回避の可能性を信じています。

 「現在ヨーロッパには危険がさらに重大さを加えてきたばあい、各国政府を戦争の
 誘惑からふせぐため、熱心な、固い決意を持った一千万ないし一千二百万のインタ
 ーナショナリストがいるのです・・・」(P218)

 しかし、時代の流れは徐々に世界大戦に傾いていき・・・
 ジャックは革命家として活動しながらも、ジェンニーとの愛を育み・・・

 第7部「一九一四年夏」から雰囲気が変わって、スリリングな展開になりました。
 第6部まではメロドラマでした。第7部からは第一次大戦を描いた歴史小説です。

 ジャックは革命家仲間から、アントワーヌは外交官から世界情勢を知らされます。
 このように、戦争勃発の過程を多角的に描いた点が、高く評価されたのでしょうか。

 ところで、外交官リュメルの見方が面白い。そしてもっとも真実に近いようです。
 彼はこの状況を、ポーカーゲームであり、威嚇し続けたものが勝つと言います。

 「おどろくべきことは、そうしたまことしやかな見せかけにもかかわらず、事実は
 おそらくばくちのようなものにすぎないという一事なんだ! いまヨーロッパに行
 われているのは、おそらくとほうもない大がかりなポーカー勝負だ。めいめい相手
 をおどして、それで自分が勝とうとしている・・・」(P229)

 そして、世界はずるずると大戦に向かって引きずられていくのでした。
 それを必死に阻止しようとするのが、われらがジャックです。ジャックがんばれ!

 ただ、私的にとても残念だったのが、ジャックとジェンニーの恋です。
 駅での追っかけっこは、「なんじゃ?」と思いました。これではごっこ遊びですよ。

 「誰ひとり、ぼくが愛するようにしてきみを愛した人はないんだ・・・」
 こんな恥ずかしい言葉をしゃあしゃあと吐いてしまうとは。少し軽々しくはないか。

 もしかしたらジャックは、空想家にありがちなロマンチストなのかもしれません。
 ジャックもジェンニーも、今は熱に浮かされているだけなのではないでしょうか。

 一方で、ジャックにとっての本当の理解者は、やはりダニエルのような気がします。
 さらに、ダニエルが本当に愛したのは女たちではなく、ジャックのように思えます。 

 ダニエルは心からジャックのことを心配し気遣っていますが、そこには愛が・・・
 ダニエルがジャックにキスしてしまう場面が、強烈に印象に残ってしまい・・・

 さいごに。(娘の修学旅行)

 昨日まで、娘は3泊4日で修学旅行でした。その間、妻とふたりきりの生活でした。
 とても静かな時間でした。1年後、もし娘が県外に出てしまったらと考えると・・・

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チボー家の人々8 [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々8」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の青年たちが成長してい10年を、世界情勢を交じえながら描いた大河小説です。
 第7部「一九一四年夏」は1936年刊行。翌1937年にノーベル文学賞を受賞しました。


チボー家の人々 8 1914年夏 1 (白水Uブックス 45)

チボー家の人々 8 1914年夏 1 (白水Uブックス 45)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/01/01
  • メディア: 新書



 この巻では、第一次世界大戦の勃発する、1914年の6月から7月が描かれています。
 ジャックはジュネーブで作家として活動しながら、革命家たちと交流をしています。

 6月28日、サラエヴォでオーストリア=ハンガリー皇太子の暗殺の報が届きました。
 この暗殺事件がきっかけとなり、ヨーロッパは世界大戦の危機に見舞われました。

 7月にジャックは本部の命でパリに赴いた際、久々にアントワーヌを訪れました。
 アントワーヌは戦争の危機など気づかずに、小児病理学の研究に没頭していました。

 ジャックは、そんな兄との間に「越ゆべからざるみぞがある!」と痛感しました。
 そこで必死で訴えます。「今度こそヨーロッパ全部が一路戦争に突進するのだ」と。

 「こうした危険をまえにしながら、何もできない、背をかがめて自分の小さな仕事を
 つづけ、ただいたずらに悲劇の到来を待つというのか! 言語道断だ!」(P233)

 しかし、自分の仕事を第一とするアントワーヌには、ジャックの言葉が響きません。
 兄には弟が、仕事もしないであちこち動き回り、喚き散らしているだけに見えます。

 「ねえ兄さん、唯一の悪というのは、人間が人間を搾取するというところにあるんだ。
 そうした搾取が、もはやぜったい不可能であるような社会を打ち立てなければならな
 いんだ。」(P259)という弟の言葉も、兄には空論に聞こえて・・・

 というように、この巻での読みどころは、兄弟でのかみ合わない会話の場面です。
 若いころの私なら、おそらくジャックに共感し、兄のふがいなさを嘆いたでしょう。

 しかし、56歳の私はむしろ、自分自身を大切にするアントワーヌに共感しました。
 大事なのは、目の前にいる患者であり、彼らは今日も明日も自分を待っている・・・

 アントワーヌは、ただの平和主義者ではなく、小さいながらも信念を持っています。
 それでも彼は、心のどこかで自分の生き方を疑います。この部分が心に響きました。

 「おれの職業的生活、それがほんとの人生全部といえるだろうか? このおれ自身の
 一生でさえありうるのだろうか?・・・そのへんどうもおぼつかない・・・ドクトル
 ・チボーというもののかげに、ほかの何者かがいることがはっきり感じられる。つま
 りこのおれ自身なのだ・・・ところが、その何者かが押しころされている・・・ずい
 ぶんまえから・・・おそらくおれが第一回の試験をパスしたときから・・・その日、
 ぱたりとねずみ取りの口がしまったんだ!」(P236)・・・

 「ドクトル・チボー」の陰に隠れて、本当の「おれ自身」がいるのではないか?
 医者になって以来、自分は「ねずみ取り」の中に閉じ込められているのではないか?

 そうしている間にも、戦争の影はどんどん忍び寄ります。
 そして戦争は、彼らの人生をどのように変えてしまうのでしょうか?

 さて、この巻の終盤で、ダニエルの父ジェロームはホテルで自殺をはかりました。
 そこでまた、ジェロームの愛すべきクズ男ぶりが見られます。ジェローム最高!

 ジェロームはオーストリアで、自分をフォンタナン伯爵と呼ばせて・・・
 某会社の会長として受け取ったかなりの金額で、乱痴気騒ぎをやって・・・

 「嘘でかためたその陽気さ! そうだ、彼はまるで原素の中にでもいるかのように、
 そうした嘘の中に生きていた。おもしろずくの、平気の閉座の、そして、なんとし
 てもなおせなかった嘘・・・」(P317)

 こういうどうしようもないクズ野郎は、物語においてとても貴重な存在です。
 亡くなってしまうのは、あまりにも惜しいです。

 さいごに。(間に合わない!)

 今年の読書のテーマは、「20世紀フランス文学」ですが、あと1か月を切りました。
 ところが、「失われた時を求めて」も「チボー家の人々」もまだ半分ほどなのです。

 間に合いません。しかしせめて「チボー家の人々」だけでも最後まで読みたいです。
 「失われた時を求めて」読破の覚悟が決まるまで、時間がかかったのが失敗だった!

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