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新版 日本国紀 [哲学・歴史・芸術]

 「新版 日本国紀(上)」 百田尚樹 (幻冬舎文庫)


 縄文時代から現代までを一本の糸でつないだ、「私たち自身の壮大な物語」です。
 2018年刊行。発売前からアマゾンでベストセラーとなるなど、話題となりました。


[新版]日本国紀〈上〉 (幻冬舎文庫)

[新版]日本国紀〈上〉 (幻冬舎文庫)

  • 作者: 百田 尚樹
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2021/11/17
  • メディア: 文庫



 「日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はありません。」(序にかえて)
 冒頭の一文が本書を象徴しています。日本は素晴らしい、と思える日本通史です。

 神話における天孫の子孫が万世一系とされました。これが日本の最大の特徴です。
 大和政権が成立した四世紀から現代まで、皇統が続いている国はほかにありません。

 さらに、現在の天皇までずっと男系の子孫で、男親をたどれば神武天皇に至ります。
 遺伝子学的に言えば、男子のみに伝えられるY染色体が、受け継がれているのです。

 この日本の歴史を、縄文時代から現代に至るまで、一本でつないだのが本書です。
 読み進むうちに、「日本人らしさ」というものが、浮かび上がって見えてきます。

 恵まれた自然の中で暮らした縄文人は、万物に霊魂が宿るという考えを持ちました。
 弥生時代には「自然界のあらゆるものに神が宿る」という信仰文化が強まりました。

 稲の収穫は天候に大きく左右されるので、収穫時には神に感謝を捧げて祝いました。
 この伝統が、自然に感謝して生きる日本人の姿勢につながっている、と思うのです。

 さて、本書で描かれている中で、私が大好きなエピソードは、仁徳天皇の国見です。
 見渡すと人家に煙が見られないので、天皇は人民が貧しくて炊げないと考えました。

 そこで、三年間課税をすべてやめたので、人民は富んでかまどの煙が溢れました。
 しかし、宮殿は崩れたままです。皇后がつい不満を述べると、天皇は言いました。

 「人民が根本である。人民が貧しいのは、自分が貧しいのと同じである。人民が富
 んだならば、自分自身が富んだことになるのだ」(P85)

 そして仁徳天皇は、ぼろぼろの宮殿で我慢し、さらに三年の間、税を免除しました。
 6年後、ようやく宮殿の修理を始めたら、人民は争ってそれに参加したと言います。

 「人民には増税、自分たちは脱税」の、現在の為政者たちと、いかに違うことか。
 これは「日本書紀」のエピソードですが、こういう話こそ教科書に載せてほしい。

 そのほか、特に印象に残っているのは、著者による「百済の日本植民地」仮説です。
 百済を日本の植民地と考えると、朝鮮に3万人近い兵を送った理由が見えてきます。

 ところが、韓国では国のメンツを保つために、それを認めようとしません。
 百済で日本の影響を受けた前方後円墳が発見されると、壊してしまうのだとか・・・

 また、本書には多くのコラムがあって、興味深いエピソードが語られています。
 たとえば、自身を犠牲にし、日本の危機を伝えた大伴部博麻(おおともべのはかま)。

 白村江の戦いで捕虜となった博麻は、唐が日本侵略を企てていることを知りました。
 そこで、自分を奴隷として売り、その金を遣唐使四人の帰国資金とし、伝令させ・・・

 本書「日本国紀」の作者は百田尚樹、その編集者はジャーナリストの有本香です。
 ふたりの出した「『日本国紀』の副読本」(産経新聞出版)も、実に興味深いです。


「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史 (産経セレクト S 13)

「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史 (産経セレクト S 13)

  • 作者: 百田尚樹、有本香
  • 出版社/メーカー: 産経新聞出版
  • 発売日: 2018/12/28
  • メディア: 新書



 本来、日本史の教科書は、日本のすばらしさを教えるものでなくてはなりません。
 そのような熱い思いが伝わってくる対談です。

 ついでながら、このふたりが昨年2023年9月に日本保守党を立ち上げました。
 百田尚樹が代表、有本香が事務総長です。現在猛烈な勢いで党員を増やしています。

 さいごに。(悪夢の民主党政権ふたたび?)

 衆院補選では、立憲共産党が全勝しました。
 自民党にうんざりした人々の票を集めたのでしょう。

 しかし我々は民主党政権にもうんざりです。あの時代はひどかった。悪夢でした。
 ぜひ、日本保守党に未来を託したい。百田さんと有本さん、がんばってください。

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涼宮ハルヒの消失 [日本の現代文学]

 「涼宮ハルヒの消失」 谷川流 (角川スニーカー文庫)


 涼宮ハルヒのSOS団のキョンが、何者かに改変された世界を修復する物語です。
 2003年から角川スニーカー文庫で刊行。「消失」はシリーズ第4弾の人気作です。


涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2004/07/30
  • メディア: 文庫



 12月17日、SOS団はいつものように集まって、クリスマスの企画を練りました。
 ところが翌18日、学校から涼宮ハルヒの姿が、なぜか忽然と消えていたのです。

 級友は誰もハルヒのことを知りません。代わりに消失したはずの朝倉がいるのです。
 SOS団もありません。主人公のキョンは慌ててかつての仲間を探しに行きます。

 ところが、朝比奈みくるはキョンのことを知らず、古泉は学校にいませんでした。
 長門は文芸部の無口で気弱な女子で、キョンに文芸部への入部届を渡すのでした。

 キョンはヒントを求めて、SOS団の部室(ここでは文芸部の部室)を探しました。
 そして見つけたのです。「プログラム起動条件・鍵をそろえよ。最終期限・二日後」

 これは、もとの世界の長門からのメッセージなのか? 鍵とは何なのか?
 よく分からないまま、進学校の光陽園学院にいるらしいハルヒを探しに行き・・・

 「消失」は「憂鬱」に次ぐ人気作であり、2010年にアニメ映画が公開されました。
 3年前のハルヒが出たり、犯人が意外な人物だったりと、物語自体が非常に面白い。

 しかし、もっとも印象に残るのは、キョンがもとの世界の尊さに気付くところです。
 ハルヒ、宇宙人、未来人、超能力者に振り回され・・・しかしそれが幸せだったと。

 さて、ここからはネタバレですが、私にとって非常に興味深かったのは次の点です。
 事件の原因が長門にエラーが蓄積したこと、エラーとは感情であることの2点です。

 エラーの原因として考えられるのは、夏休みの15日間を15万回以上繰り返したこと。
 同じことを15万回以上繰り返すうちに、疲れないはずのアンドロイドも疲れました。

 疲れたら、ぼやきたくもなるでしょう。愚痴のひとつでも言いたくなるでしょう。
 そうやって、感情を持つはずのない長門に、感情が入り込むようになったようです。

 そしていつしか、この世界を自分が望むものに変えたいと思うようになったのでは?
 そういう感情(=エラー)が積もり積もって、世界の改変が成されたのでしょう。

 また、改変された世界の長門が気弱な少女である点に、彼女の願望を感じました。
 さらに、その世界の長門がキョンに行為を寄せているらしいことも、興味深いです。

 ところで「消失」は物語として完結していませんでした。どう締めくくられるのか?
 アニメは全28話見ましたが、描かれていなかったような気がするのですが・・・

 さいごに。(花に癒されました)

 家族で花博の花を見て、とても癒されました。
 最近、忙しくて、なかなか花をじっくり見るような時間がなかったので。

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銀河英雄伝説2 野望篇 [日本の現代文学]

 「銀河英雄伝説2 野望篇」 田中芳樹 (創元SF文庫)


 遥か未来における、銀河帝国と自由惑星同盟との宇宙戦争を描いたSF叙事詩です。
 1982年から1989年にかけて刊行。アニメ化されています。今回は第2巻の紹介です。


銀河英雄伝説〈2〉野望篇 (創元SF文庫) (創元SF文庫 た 1-2)

銀河英雄伝説〈2〉野望篇 (創元SF文庫) (創元SF文庫 た 1-2)

  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2007/04/25
  • メディア: 文庫



 宇宙歴797年は、銀河帝国と自由惑星同盟が戦火を交えなかった特異な年でした。
 というのも、両国とも内戦が勃発し、その収拾にエネルギーを費やしたからです。

 銀河帝国では皇帝が急死し、5歳の幼帝エルウィン・ヨーゼフが即位しました。
 新帝を擁立した老宰相リヒテンラーデ公は、ローエングラム公と手を組みました。

 これに対抗したのが、ブラウンシュヴァイク公を中心とした、大貴族たちです。
 彼らは盟約を交わし、メルカッツ上級大将を味方につけ、戦いの準備をしました。

 このときラインハルト・フォン・ローエングラムは、若干20歳でした。
 彼らの動きを知ると、ただちに軍務省を占拠し、帝国軍最高司令官となりました。

 こうして、帝国を二分する「リップシュタット戦役」は始まりました。
 ラインハルトは相手を賊軍と呼び、その拠点を次々と落としていきますが・・・

 一方、自由惑星同盟の首都ハイネセンでは、軍部によるクーデターが勃発しました。
 首都を実効支配したのは救国軍事会議であり、その議長はグリーンヒル大将でした。

 ところが、彼らは自分で気づかぬうちに、ラインハルトに操られていたのです。
 ヤン・ウェンリーは、気が進まないまま、彼ら革命軍と戦うことになって・・・

 「ろくでもない戦いだが、それだけに勝たなくては意味がない。勝つための計算はし
 てあるから、無理をせず、気楽にやってくれ。かかっているものは、たかだか国家の
 存亡だ。個人の自由と権利にくらべれば、たいした価値のあるものじゃない」(P176)

 この言葉の中に、ヤン・ウェンリーという軍人の思想と魅力が、凝縮されています。
 ヤンは、敵の第11艦隊を倒すと、アルテミスの首飾りに守られたハイネセンへ・・・

 「アルテミスの首飾り」とは、ハイネセンの周囲にある12個の軍事衛星のことです。
 ヤンは、この12の衛星を一度に、しかもひとりの犠牲者も出さず、攻略するのです。

 この場面こそが、第2巻での最大の読みどころでしょう。
 いったいヤンはいかなる手を使ったのか? 私はうなりました。さすが魔術師です。

 ところで、随所で読み取れるヤンの諦観が、この物語を情緒あるものにしています。
 ヤンは言います。この世に絶対善と絶対悪の戦いなんて、一度もなかったのだと。

 「一方的な侵略戦争の場合ですら、侵略する側は自分こそ正義だと信じているものだ。
 戦争が絶えないのはそれゆえである。人間が神と正義を信じているかぎり、あらそい
 はなくなるはずがない。」(P251)

 現在行われている戦争も同じです。ロシアもウクライナも。イスラエルもガザ地区も。
 どちらも自分の国の正義があり、自分たちの神があります。正義と神はやっかいです。

 「遠い遠い昔、十字軍というものが地球上に存在した。聖地を奪回すると称し、神の名
 のもとに他国を侵略し、都市を破壊し、財宝をうばい、住民を虐殺して、その非道を恥
 じるどころか、異教徒を迫害した功績を誇示すらしたのだ。
  無知と狂信と自己陶酔と非寛容によって生みだされた、歴史上の汚点。神と正義を信
 じてうたがわない者こそが、もっとも残忍に、狂暴になりえるという事実の、それはに
 がい証明だったはずである。」(P35)

 長い引用ですが、作者はこういうところを一番訴えたかったのではないかと思います。
 今も昔も、神とか正義とか言う連中に限って、もっとも残忍で狂暴になりえるのだと。

 さて、この巻でラインハルトは地位を確立し、野望に向かって大きく前進しました。
 しかし、彼の野望が実現するのと引き換えのように、大きな悲劇がもたらされて・・・

 この悲劇は想定外に早くやってきました。この事件で物語をひと区切りとしたいです。
 続きが気になりますが、アニメが出ているので、レンタルして見ようと思っています。

 さいごに。(花博にもう一度)

 連休中に花博に行きました。4月に行った時とは、別の会場です。
 今回は、バラがとてもきれいでした。私は特に、真紅のバラが好きです。

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みんな山が大好きだった [日本の現代文学]

 「みんな山が大好きだった」 山際淳司 (中公文庫)


 死の領域に踏み込んで散っていった、尖鋭的アルピニストたちの姿を描いています。
 1984年の「山男たちの死に方」を改題し、1995年に出ました。山の本の名著です。


みんな山が大好きだった

みんな山が大好きだった

  • 作者: 山際 淳司
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2003/05/23
  • メディア: 文庫



 日本が誇る加藤保男は、エベレストに世界で初めて、春・秋・冬と三度登りました。
 しかしその最期、1982年に冬季の登頂を果たしたあと、下山中に消息を絶ちました。

 命がけのアタックが失敗すると、人は「功名心にはやったのだ」と言いたがります。
 しかし山際は言います。危険の向こう側に「一瞬の生のきらめきがあるのでは」と。

 「その一瞬の、生のきらめき。それを心の深いところで受けとめてしまった人間は、
 いつまでもそれを追い求める。危険を顧みず、果敢にアタックする。」(P49)

 街には、日常的な生があふれています。一方、山では死と隣り合わせになります。
 山では、生はむしろ非日常的なものであって、きらきらときらめいているのです。

 さて、第1章「一瞬の生のきらめき」では、加藤保男の生涯を描いています。
 しかし、私の中で最も印象に残ったのは、引き合いに出されたメスナーの言葉です。

 「私は、頂上まであと六〇〇メートルの地点で引き返すことを決断した。目標は手を
 伸ばせば届きそうなところにあった。だが、われわれはそれに背を向けた。それが敗
 北だということは理解していた。同時に、生きて再び帰れることもわかっていたのだ」
 (P39)

 これはメスナーが、加藤と同じ1982年の冬、チョーオユーを諦めたときの言葉です。
 イタリアの誇る超人メスナーは、加藤保男に言及して、次のようにも言っています。

 「私は危険を熟知している。加藤君もそうだったはずだ。だが、私は断念し、加藤君
 は危険を全面的に受け入れた。彼は死んだ。だが、私はまだ生きている」(P40)

 危険を受け入れ、果敢にアタックする者と、危険を回避し、アタックを断念する者。
 どちらがより勇敢なのか分かりませんが、私は加藤に生きて帰ってほしかったです。
 (多くの登山家が山で死んだ中で、メスナーだけは今もちゃんと生きています!)

 その9年前の1973年、加藤はエベレスト初登頂を果たしたあと、ビバーグしました。
 そして、手足の指を失いながら生還しますが、彼を救出したのが長谷川恒男でした。

 その数日前に加藤は、サポート隊の長谷川に言われました。「気をつけろよ」と。
 長谷川は、加藤の右手の生命線上に、遠征でできた傷があるのを見つけたのです。

 長谷川は、登頂の成功よりも、生きて帰ることの大切さを、伝えたのではないか? 
 「生き抜くことが冒険だよ」。これは、長谷川が父から教えられた言葉です。

 その後、長谷川は世界で最初に、アルプス三大北壁を冬季に単独で登攀しました。
 そして、本書が書かれた1984年当時、彼はまだ現役で活動し続けていたのです。

 長谷川が、ウルタルⅡ峰で雪崩に巻き込まれ亡くなったのは、1991年のことです。
 43歳でした。生き抜くことは難しいことです。まさに、生き抜くことは冒険です。

 この本では随所で、多くの登山家のさまざまな名言に触れることができます。
 中でも私がもっとも感銘を受けたのが、長谷川恒男の次のような言葉です。

 「私のやっている行為は全宇宙から見たらまったくゴミでしかない。しかし、私にと
 ってみると、大きな大きな命の証しなのだ。人間の一生は短い。その中で、たったひ
 とつの生命が、自分自身の心の中で永久に生きていられる表現方法が、私の場合は登
 山だと思う。」(P188)

 登山家が命がけで山に登るのは、「永遠」を求めているからなのかもしれません。
 しかし、だからといって、死なないでほしいです。生還することが一番かっこいい!

 さいごに。(常連さんの仲間入り)

 連休中も、その半分ほどは、職場で仕事三昧でした。
 私もとうとうこの4月から、休日出勤の常連さんになってしまいました。

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冒険物語百年 [日本の現代文学]

 「冒険物語百年」 武田文男 (朝日文庫)


 マロリー、ヒラリー、アムンゼンから植村直己まで、49名の冒険を描いた物語です。
 1999年刊行。1996年に朝日小学生新聞の連載がもととなっています。現在絶版です。


冒険物語百年 (朝日文庫 た 17-3)

冒険物語百年 (朝日文庫 た 17-3)

  • 作者: 武田 文男
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 1999/09/01
  • メディア: 文庫



 イギリス屈指の登山家ジョージ・リー・マロリーは、誰もが知る名言で有名です。
 「なぜエベレストに登るのか」と聞かれ、「そこに山があるからだ」と答えました。

 1924年6月、山頂まであと250mの地点を、アービンと登る姿が確認されました。
 それを最後に彼らは深い霧の中に消え、9年後にピッケルだけが見つかったのです。

 果たして彼らは、登頂を果たしたのか? 真相は今でも謎のまま残っています。
 マロリーのコダック製カメラが見つかれば、その謎も解けるはずなのですが・・・

 1999年5月、マロリーの遺体が発見されましたが、カメラはありませんでした。
 カメラはアービンが持っていたのか? アービンはどこに眠っているのか・・・

 というような知識を私はこの本で得ました。登山に夢中になり始めた頃のことです。
 のちに、夢枕獏の「神々の山嶺」を読んだとき、この本で得た知識が役立ちました。

 エベレストに初登頂を果たしたのは、ヒラリーとテンジンで、1953年のことでした。
 その知らせがイギリスに届いたのは、エリザベス女王の戴冠式の前夜のことでした。

 ニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリーは、英国隊に特別参加していました。
 そして、シェルパ族のテンジンとともに、人類初のエベレスト登頂を果たしました。

 この頃、それまで使われていた酸素マスクが改良され、高性能になっていました。
 多くの先人の努力の積み重ねとその犠牲のもと、ようやく偉業は達成されたのです。

 酸素マスクはエベレスト登山の必需品ですが、その神話を覆したのがメスナーです。
 1978年、ラインホルト・メスナーとハーベラーは、初めて無酸素で登頂しました。

 それは過酷な試みで、10mごとに仰向けになって休みながら、山頂に到達しました。
 帰りはさらにきつくて、全コースを這うようにして下って来たと言います。

 その後も人類は挑戦を続けます。三浦雄一郎はエベレストをスキーで滑降しました。
 加藤保男は、冬季の単独登頂を果たした後、ビバーク中に33歳で亡くなりました。

 なぜそこまでして、人類は山に登るのでしょうか?
 私は「そこに危険があるからだ」と思います。命がけだからこそ挑むのではないか。

 冒険家の挑戦を読んでいくと、危険を好んでいるかのような錯覚にとらわれます。
 わざわざ登りにくい冬季に、山に登る意味が、本当にあるのでしょうか?

 そんな風に思ってしまうのは、植村直己に生きて帰ってほしかったからです。
 彼は常に「生きて帰らなければダメだ」と言っていたというのに。

 日本が誇る植村直己は、厳冬期のマッキンリーに、単独で初登頂を果たしました。
 しかし、直後に消息を絶ちました。その日は彼の43歳の誕生日でした・・・

 さいごに。(川口浩がヒーローだった)

 小学生のころ、水曜スペシャル「川口浩探検隊」が、もっとも心躍る番組でした。
 あのころ川口浩は我らのヒーローで、私の将来の目標は、探検家になることでした。



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