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チボー家の人々8 [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々8」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の青年たちが成長してい10年を、世界情勢を交じえながら描いた大河小説です。
 第7部「一九一四年夏」は1936年刊行。翌1937年にノーベル文学賞を受賞しました。


チボー家の人々 8 1914年夏 1 (白水Uブックス 45)

チボー家の人々 8 1914年夏 1 (白水Uブックス 45)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/01/01
  • メディア: 新書



 この巻では、第一次世界大戦の勃発する、1914年の6月から7月が描かれています。
 ジャックはジュネーブで作家として活動しながら、革命家たちと交流をしています。

 6月28日、サラエヴォでオーストリア=ハンガリー皇太子の暗殺の報が届きました。
 この暗殺事件がきっかけとなり、ヨーロッパは世界大戦の危機に見舞われました。

 7月にジャックは本部の命でパリに赴いた際、久々にアントワーヌを訪れました。
 アントワーヌは戦争の危機など気づかずに、小児病理学の研究に没頭していました。

 ジャックは、そんな兄との間に「越ゆべからざるみぞがある!」と痛感しました。
 そこで必死で訴えます。「今度こそヨーロッパ全部が一路戦争に突進するのだ」と。

 「こうした危険をまえにしながら、何もできない、背をかがめて自分の小さな仕事を
 つづけ、ただいたずらに悲劇の到来を待つというのか! 言語道断だ!」(P233)

 しかし、自分の仕事を第一とするアントワーヌには、ジャックの言葉が響きません。
 兄には弟が、仕事もしないであちこち動き回り、喚き散らしているだけに見えます。

 「ねえ兄さん、唯一の悪というのは、人間が人間を搾取するというところにあるんだ。
 そうした搾取が、もはやぜったい不可能であるような社会を打ち立てなければならな
 いんだ。」(P259)という弟の言葉も、兄には空論に聞こえて・・・

 というように、この巻での読みどころは、兄弟でのかみ合わない会話の場面です。
 若いころの私なら、おそらくジャックに共感し、兄のふがいなさを嘆いたでしょう。

 しかし、56歳の私はむしろ、自分自身を大切にするアントワーヌに共感しました。
 大事なのは、目の前にいる患者であり、彼らは今日も明日も自分を待っている・・・

 アントワーヌは、ただの平和主義者ではなく、小さいながらも信念を持っています。
 それでも彼は、心のどこかで自分の生き方を疑います。この部分が心に響きました。

 「おれの職業的生活、それがほんとの人生全部といえるだろうか? このおれ自身の
 一生でさえありうるのだろうか?・・・そのへんどうもおぼつかない・・・ドクトル
 ・チボーというもののかげに、ほかの何者かがいることがはっきり感じられる。つま
 りこのおれ自身なのだ・・・ところが、その何者かが押しころされている・・・ずい
 ぶんまえから・・・おそらくおれが第一回の試験をパスしたときから・・・その日、
 ぱたりとねずみ取りの口がしまったんだ!」(P236)・・・

 「ドクトル・チボー」の陰に隠れて、本当の「おれ自身」がいるのではないか?
 医者になって以来、自分は「ねずみ取り」の中に閉じ込められているのではないか?

 そうしている間にも、戦争の影はどんどん忍び寄ります。
 そして戦争は、彼らの人生をどのように変えてしまうのでしょうか?

 さて、この巻の終盤で、ダニエルの父ジェロームはホテルで自殺をはかりました。
 そこでまた、ジェロームの愛すべきクズ男ぶりが見られます。ジェローム最高!

 ジェロームはオーストリアで、自分をフォンタナン伯爵と呼ばせて・・・
 某会社の会長として受け取ったかなりの金額で、乱痴気騒ぎをやって・・・

 「嘘でかためたその陽気さ! そうだ、彼はまるで原素の中にでもいるかのように、
 そうした嘘の中に生きていた。おもしろずくの、平気の閉座の、そして、なんとし
 てもなおせなかった嘘・・・」(P317)

 こういうどうしようもないクズ野郎は、物語においてとても貴重な存在です。
 亡くなってしまうのは、あまりにも惜しいです。

 さいごに。(間に合わない!)

 今年の読書のテーマは、「20世紀フランス文学」ですが、あと1か月を切りました。
 ところが、「失われた時を求めて」も「チボー家の人々」もまだ半分ほどなのです。

 間に合いません。しかしせめて「チボー家の人々」だけでも最後まで読みたいです。
 「失われた時を求めて」読破の覚悟が決まるまで、時間がかかったのが失敗だった!

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