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冒険物語百年 [日本の現代文学]

 「冒険物語百年」 武田文男 (朝日文庫)


 マロリー、ヒラリー、アムンゼンから植村直己まで、49名の冒険を描いた物語です。
 1999年刊行。1996年に朝日小学生新聞の連載がもととなっています。現在絶版です。


冒険物語百年 (朝日文庫 た 17-3)

冒険物語百年 (朝日文庫 た 17-3)

  • 作者: 武田 文男
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 1999/09/01
  • メディア: 文庫



 イギリス屈指の登山家ジョージ・リー・マロリーは、誰もが知る名言で有名です。
 「なぜエベレストに登るのか」と聞かれ、「そこに山があるからだ」と答えました。

 1924年6月、山頂まであと250mの地点を、アービンと登る姿が確認されました。
 それを最後に彼らは深い霧の中に消え、9年後にピッケルだけが見つかったのです。

 果たして彼らは、登頂を果たしたのか? 真相は今でも謎のまま残っています。
 マロリーのコダック製カメラが見つかれば、その謎も解けるはずなのですが・・・

 1999年5月、マロリーの遺体が発見されましたが、カメラはありませんでした。
 カメラはアービンが持っていたのか? アービンはどこに眠っているのか・・・

 というような知識を私はこの本で得ました。登山に夢中になり始めた頃のことです。
 のちに、夢枕獏の「神々の山嶺」を読んだとき、この本で得た知識が役立ちました。

 エベレストに初登頂を果たしたのは、ヒラリーとテンジンで、1953年のことでした。
 その知らせがイギリスに届いたのは、エリザベス女王の戴冠式の前夜のことでした。

 ニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリーは、英国隊に特別参加していました。
 そして、シェルパ族のテンジンとともに、人類初のエベレスト登頂を果たしました。

 この頃、それまで使われていた酸素マスクが改良され、高性能になっていました。
 多くの先人の努力の積み重ねとその犠牲のもと、ようやく偉業は達成されたのです。

 酸素マスクはエベレスト登山の必需品ですが、その神話を覆したのがメスナーです。
 1978年、ラインホルト・メスナーとハーベラーは、初めて無酸素で登頂しました。

 それは過酷な試みで、10mごとに仰向けになって休みながら、山頂に到達しました。
 帰りはさらにきつくて、全コースを這うようにして下って来たと言います。

 その後も人類は挑戦を続けます。三浦雄一郎はエベレストをスキーで滑降しました。
 加藤保男は、冬季の単独登頂を果たした後、ビバーク中に33歳で亡くなりました。

 なぜそこまでして、人類は山に登るのでしょうか?
 私は「そこに危険があるからだ」と思います。命がけだからこそ挑むのではないか。

 冒険家の挑戦を読んでいくと、危険を好んでいるかのような錯覚にとらわれます。
 わざわざ登りにくい冬季に、山に登る意味が、本当にあるのでしょうか?

 そんな風に思ってしまうのは、植村直己に生きて帰ってほしかったからです。
 彼は常に「生きて帰らなければダメだ」と言っていたというのに。

 日本が誇る植村直己は、厳冬期のマッキンリーに、単独で初登頂を果たしました。
 しかし、直後に消息を絶ちました。その日は彼の43歳の誕生日でした・・・

 さいごに。(川口浩がヒーローだった)

 小学生のころ、水曜スペシャル「川口浩探検隊」が、もっとも心躍る番組でした。
 あのころ川口浩は我らのヒーローで、私の将来の目標は、探検家になることでした。



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