冒険物語百年 [日本の現代文学]
「冒険物語百年」 武田文男 (朝日文庫)
マロリー、ヒラリー、アムンゼンから植村直己まで、49名の冒険を描いた物語です。
1999年刊行。1996年に朝日小学生新聞の連載がもととなっています。現在絶版です。
イギリス屈指の登山家ジョージ・リー・マロリーは、誰もが知る名言で有名です。
「なぜエベレストに登るのか」と聞かれ、「そこに山があるからだ」と答えました。
1924年6月、山頂まであと250mの地点を、アービンと登る姿が確認されました。
それを最後に彼らは深い霧の中に消え、9年後にピッケルだけが見つかったのです。
果たして彼らは、登頂を果たしたのか? 真相は今でも謎のまま残っています。
マロリーのコダック製カメラが見つかれば、その謎も解けるはずなのですが・・・
1999年5月、マロリーの遺体が発見されましたが、カメラはありませんでした。
カメラはアービンが持っていたのか? アービンはどこに眠っているのか・・・
というような知識を私はこの本で得ました。登山に夢中になり始めた頃のことです。
のちに、夢枕獏の「神々の山嶺」を読んだとき、この本で得た知識が役立ちました。
エベレストに初登頂を果たしたのは、ヒラリーとテンジンで、1953年のことでした。
その知らせがイギリスに届いたのは、エリザベス女王の戴冠式の前夜のことでした。
ニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリーは、英国隊に特別参加していました。
そして、シェルパ族のテンジンとともに、人類初のエベレスト登頂を果たしました。
この頃、それまで使われていた酸素マスクが改良され、高性能になっていました。
多くの先人の努力の積み重ねとその犠牲のもと、ようやく偉業は達成されたのです。
酸素マスクはエベレスト登山の必需品ですが、その神話を覆したのがメスナーです。
1978年、ラインホルト・メスナーとハーベラーは、初めて無酸素で登頂しました。
それは過酷な試みで、10mごとに仰向けになって休みながら、山頂に到達しました。
帰りはさらにきつくて、全コースを這うようにして下って来たと言います。
その後も人類は挑戦を続けます。三浦雄一郎はエベレストをスキーで滑降しました。
加藤保男は、冬季の単独登頂を果たした後、ビバーク中に33歳で亡くなりました。
なぜそこまでして、人類は山に登るのでしょうか?
私は「そこに危険があるからだ」と思います。命がけだからこそ挑むのではないか。
冒険家の挑戦を読んでいくと、危険を好んでいるかのような錯覚にとらわれます。
わざわざ登りにくい冬季に、山に登る意味が、本当にあるのでしょうか?
そんな風に思ってしまうのは、植村直己に生きて帰ってほしかったからです。
彼は常に「生きて帰らなければダメだ」と言っていたというのに。
日本が誇る植村直己は、厳冬期のマッキンリーに、単独で初登頂を果たしました。
しかし、直後に消息を絶ちました。その日は彼の43歳の誕生日でした・・・
さいごに。(川口浩がヒーローだった)
小学生のころ、水曜スペシャル「川口浩探検隊」が、もっとも心躍る番組でした。
あのころ川口浩は我らのヒーローで、私の将来の目標は、探検家になることでした。
マロリー、ヒラリー、アムンゼンから植村直己まで、49名の冒険を描いた物語です。
1999年刊行。1996年に朝日小学生新聞の連載がもととなっています。現在絶版です。
イギリス屈指の登山家ジョージ・リー・マロリーは、誰もが知る名言で有名です。
「なぜエベレストに登るのか」と聞かれ、「そこに山があるからだ」と答えました。
1924年6月、山頂まであと250mの地点を、アービンと登る姿が確認されました。
それを最後に彼らは深い霧の中に消え、9年後にピッケルだけが見つかったのです。
果たして彼らは、登頂を果たしたのか? 真相は今でも謎のまま残っています。
マロリーのコダック製カメラが見つかれば、その謎も解けるはずなのですが・・・
1999年5月、マロリーの遺体が発見されましたが、カメラはありませんでした。
カメラはアービンが持っていたのか? アービンはどこに眠っているのか・・・
というような知識を私はこの本で得ました。登山に夢中になり始めた頃のことです。
のちに、夢枕獏の「神々の山嶺」を読んだとき、この本で得た知識が役立ちました。
エベレストに初登頂を果たしたのは、ヒラリーとテンジンで、1953年のことでした。
その知らせがイギリスに届いたのは、エリザベス女王の戴冠式の前夜のことでした。
ニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリーは、英国隊に特別参加していました。
そして、シェルパ族のテンジンとともに、人類初のエベレスト登頂を果たしました。
この頃、それまで使われていた酸素マスクが改良され、高性能になっていました。
多くの先人の努力の積み重ねとその犠牲のもと、ようやく偉業は達成されたのです。
酸素マスクはエベレスト登山の必需品ですが、その神話を覆したのがメスナーです。
1978年、ラインホルト・メスナーとハーベラーは、初めて無酸素で登頂しました。
それは過酷な試みで、10mごとに仰向けになって休みながら、山頂に到達しました。
帰りはさらにきつくて、全コースを這うようにして下って来たと言います。
その後も人類は挑戦を続けます。三浦雄一郎はエベレストをスキーで滑降しました。
加藤保男は、冬季の単独登頂を果たした後、ビバーク中に33歳で亡くなりました。
なぜそこまでして、人類は山に登るのでしょうか?
私は「そこに危険があるからだ」と思います。命がけだからこそ挑むのではないか。
冒険家の挑戦を読んでいくと、危険を好んでいるかのような錯覚にとらわれます。
わざわざ登りにくい冬季に、山に登る意味が、本当にあるのでしょうか?
そんな風に思ってしまうのは、植村直己に生きて帰ってほしかったからです。
彼は常に「生きて帰らなければダメだ」と言っていたというのに。
日本が誇る植村直己は、厳冬期のマッキンリーに、単独で初登頂を果たしました。
しかし、直後に消息を絶ちました。その日は彼の43歳の誕生日でした・・・
さいごに。(川口浩がヒーローだった)
小学生のころ、水曜スペシャル「川口浩探検隊」が、もっとも心躍る番組でした。
あのころ川口浩は我らのヒーローで、私の将来の目標は、探検家になることでした。
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