六号病棟 [19世紀ロシア文学]
「六号病棟・退屈な話」 チェーホフ作 松下裕訳 (岩波文庫)
狂人と語り合ううちに、狂人扱いされるようになる院長の物語です。
実際に医師として活動したチェーホフの、中篇小説の傑作です。
現在、岩波文庫から出ています。
活字は読みやすく、松下訳は比較的新しくて、分かりやすいです。
「六号病棟」とは、ある田舎町の病院の隔離病棟で、狂人たちが収容されています。
その病院の院長ラーギンは、仕事にも人間関係にも飽きて、読書ばかりしています。
ところが院長が、隔離病棟に通い始めたのです。そして人々が驚いたことに、
院長は、発狂した元貴族の青年と、哲学を論じ合っているのでした。
院長は思う、この狂人こそ、世の中で、唯一語るに足る人間だと。
しかし周りの人間は思う、この院長にこそ、治療が必要ではないかと…
院長ラーギンの、「人生は忌々しい罠ですよ。」(P173)という言葉が、象徴的でした。
この言葉の後に展開される彼の運命は、まさに人生の罠にはまったようなもの。
おかしいのは、ラーギンが、罠と知りながら、進んではまっているように見えること。
この悲しい結末を招いた原因が、彼自身の中に存在しているようです。
さて、岩波文庫のこの本には、「退屈な話」も、収録されています。
多くの勲章を持つ老教授が、現在の退屈な日常を、手記に綴った物語です。
また、さらにほかにも、五編が収録されています。
オススメは、ドラマチックな喜劇の「敵」と、怪奇小説とも読める「黒衣の僧」。
二編とも、小品ながら印象に残ります。一読の価値あり、です。
さいごに。(近所のお父さん)
Tさんは数年前まで、お嬢さんと手をつないで、よく町内を散歩していました。
しかし、そのお嬢さんも、今は中学生。
「寂しいもんですよ、もう娘は、私に口もきいてくれない」と、Tさんは言います。
…そうか。娘がうるさくまとわりついてくる今が、人生の華なのかもしれません。
狂人と語り合ううちに、狂人扱いされるようになる院長の物語です。
実際に医師として活動したチェーホフの、中篇小説の傑作です。
現在、岩波文庫から出ています。
活字は読みやすく、松下訳は比較的新しくて、分かりやすいです。
「六号病棟」とは、ある田舎町の病院の隔離病棟で、狂人たちが収容されています。
その病院の院長ラーギンは、仕事にも人間関係にも飽きて、読書ばかりしています。
ところが院長が、隔離病棟に通い始めたのです。そして人々が驚いたことに、
院長は、発狂した元貴族の青年と、哲学を論じ合っているのでした。
院長は思う、この狂人こそ、世の中で、唯一語るに足る人間だと。
しかし周りの人間は思う、この院長にこそ、治療が必要ではないかと…
院長ラーギンの、「人生は忌々しい罠ですよ。」(P173)という言葉が、象徴的でした。
この言葉の後に展開される彼の運命は、まさに人生の罠にはまったようなもの。
おかしいのは、ラーギンが、罠と知りながら、進んではまっているように見えること。
この悲しい結末を招いた原因が、彼自身の中に存在しているようです。
さて、岩波文庫のこの本には、「退屈な話」も、収録されています。
多くの勲章を持つ老教授が、現在の退屈な日常を、手記に綴った物語です。
また、さらにほかにも、五編が収録されています。
オススメは、ドラマチックな喜劇の「敵」と、怪奇小説とも読める「黒衣の僧」。
二編とも、小品ながら印象に残ります。一読の価値あり、です。
さいごに。(近所のお父さん)
Tさんは数年前まで、お嬢さんと手をつないで、よく町内を散歩していました。
しかし、そのお嬢さんも、今は中学生。
「寂しいもんですよ、もう娘は、私に口もきいてくれない」と、Tさんは言います。
…そうか。娘がうるさくまとわりついてくる今が、人生の華なのかもしれません。
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