凍 [日本の現代文学]
「凍」 沢木耕太郎 (新潮文庫)
山野井夫妻によるギャチュンカンへの挑戦と、奇跡の生還を描いた作品です。
2006年講談社ノンフィクション賞受賞作です。
2008年に新潮文庫から出ました。
カバーがなかなか秀逸です。
「垂直の記憶」同様、「凍」もまた、妻に勧められました。
「垂直の記憶」 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2013-11-06
この二作を比べてみると・・・
「垂直の記憶」は、山野井のエッセンスが抽出されている文章でした。
「凍」では、もっと細かい部分まで、詳細に説明してくれています。
妻は、「垂直の記憶」の方が感動が大きかったと言っています。
私は逆に、本書「凍」の方が感動が大きかったです。
それで、妻とよく話し合いました。
どうやら読んだ順序が、その作品の感動に、影響を与えているようなのです。
妻は、最初に「凍」を読みました。
「凍」を読んで、山野井夫妻について、あらかじめ予備知識を持っていました。
「凍」で興味を持った妻は、次に、山野井の生の声を聞きたいと思ったようです。
「垂直の記憶」は、妻のそういう欲求にこたえる本として完璧でした。
だから妻は「垂直の記憶」に、より大きく感動したようです。
そして、私に本を勧めるとき、先に「垂直の記憶」を勧めてくれたのです。
こういう事情で私は、最初に「垂直の記憶」を読みました。
「垂直の記憶」を読んで感動しながらも、夫妻についての知識は不充分でした。
「垂直の記憶」で興味を持った私は、夫妻の挑戦を詳しく知りたくなりました。
「凍」は、私のそういう欲求にこたえる本として完璧でした。
だから私は「凍」に、より大きく感動したのです。
さすが沢木耕太郎、と思いました。実にうまくまとめています。
ただ、人によっては「沢木は書きすぎだ」と言います。
「沢木は演出のしすぎだ」と。
たとえそういう面があっても、「凍」の面白さを否定することにはなりません。
天候、体調、食事、装備、そしてふたりの内面。目に見えるように描かれています。
特に第七章からラストまでの叙述!
なかなか本を手から放すことができません。
まとめると・・・
山野井本人の、飾らない素朴な声が直接心に響いてくる「垂直の記憶」。
やや説明的だが、かゆいところまで手が届くような解説を施す「凍」。
この二作は、お互いに補いながら、支えあって存在している作品です。
どういう順序でもいいので、二作セットで読むことをオススメします。
さて、ギャチュンカンのあとで読むべき小説は、マンの「魔の山」でしょう。(笑)
実際、私はこの作品を、ずっと山岳小説だとばかり思っていました。
さいごに。(いくらあったら、小学校に行かなくていいか)
年末ジャンボの最高額は7億円。
「それだけあったら、仕事に行かなくていいね」と冗談で言ったら、
「それだけあったら、小学校に行かなくていい?」と娘。
「行かなくてはいけない」と私が言うと、
「じゃあ、いくらあったら、小学校に行かなくていいの?」と聞かれました。
山野井夫妻によるギャチュンカンへの挑戦と、奇跡の生還を描いた作品です。
2006年講談社ノンフィクション賞受賞作です。
2008年に新潮文庫から出ました。
カバーがなかなか秀逸です。
「垂直の記憶」同様、「凍」もまた、妻に勧められました。
「垂直の記憶」 → http://ike-pyon.blog.so-net.ne.jp/2013-11-06
この二作を比べてみると・・・
「垂直の記憶」は、山野井のエッセンスが抽出されている文章でした。
「凍」では、もっと細かい部分まで、詳細に説明してくれています。
妻は、「垂直の記憶」の方が感動が大きかったと言っています。
私は逆に、本書「凍」の方が感動が大きかったです。
それで、妻とよく話し合いました。
どうやら読んだ順序が、その作品の感動に、影響を与えているようなのです。
妻は、最初に「凍」を読みました。
「凍」を読んで、山野井夫妻について、あらかじめ予備知識を持っていました。
「凍」で興味を持った妻は、次に、山野井の生の声を聞きたいと思ったようです。
「垂直の記憶」は、妻のそういう欲求にこたえる本として完璧でした。
だから妻は「垂直の記憶」に、より大きく感動したようです。
そして、私に本を勧めるとき、先に「垂直の記憶」を勧めてくれたのです。
こういう事情で私は、最初に「垂直の記憶」を読みました。
「垂直の記憶」を読んで感動しながらも、夫妻についての知識は不充分でした。
「垂直の記憶」で興味を持った私は、夫妻の挑戦を詳しく知りたくなりました。
「凍」は、私のそういう欲求にこたえる本として完璧でした。
だから私は「凍」に、より大きく感動したのです。
さすが沢木耕太郎、と思いました。実にうまくまとめています。
ただ、人によっては「沢木は書きすぎだ」と言います。
「沢木は演出のしすぎだ」と。
たとえそういう面があっても、「凍」の面白さを否定することにはなりません。
天候、体調、食事、装備、そしてふたりの内面。目に見えるように描かれています。
特に第七章からラストまでの叙述!
なかなか本を手から放すことができません。
まとめると・・・
山野井本人の、飾らない素朴な声が直接心に響いてくる「垂直の記憶」。
やや説明的だが、かゆいところまで手が届くような解説を施す「凍」。
この二作は、お互いに補いながら、支えあって存在している作品です。
どういう順序でもいいので、二作セットで読むことをオススメします。
さて、ギャチュンカンのあとで読むべき小説は、マンの「魔の山」でしょう。(笑)
実際、私はこの作品を、ずっと山岳小説だとばかり思っていました。
さいごに。(いくらあったら、小学校に行かなくていいか)
年末ジャンボの最高額は7億円。
「それだけあったら、仕事に行かなくていいね」と冗談で言ったら、
「それだけあったら、小学校に行かなくていい?」と娘。
「行かなくてはいけない」と私が言うと、
「じゃあ、いくらあったら、小学校に行かなくていいの?」と聞かれました。
コメント 0