死海のほとり [日本の現代文学]
「死海のほとり」 遠藤周作 (新潮文庫)
イエスの足跡をたどる「私」が、次第に無力なイエスの姿を見出していく物語です。
現代の物語「巡礼」と、イエスの物語「群像の一人」が、交錯しながら進みます。
新潮文庫から出ています。カバーの写真に味わいがあります。
本作と「イエスの生涯」と「キリストの誕生」は、3点でワンセットです。
主人公は、40歳を過ぎて、信仰を失いかけた作家の「私」です。
エルサレムを訪れた「私」は、旧友戸田の案内で、イエスの足跡をたどります。
戸田は、学生時代の友人で、聖書を追求するうちに、イエスを見失った男です。
彼は、「私」にこんなことを言いました。
「エルサレムを探しても、イエスの足跡は、瓦礫に埋もれて見つからない。
聖書の中を探しても、イエスの姿は、後人の装飾に隠されて見つからない。」
しかし、エルサレム、ユダの荒野、死海のほとり、ガリラヤ湖と巡るうちに、
「私」なりのイエスが見出されていきます。それは、無力でみじめな男でした。
無力でみじめな男だからこそ、イエスは「同伴者」としての意味を持ちます。
最終章で、死に向かう修道士の傍らに、かいま見えた男は・・・
この本も、旅をしたくなる本です。
「深い河」ではインドを旅したくなりました。この本ではエルサレムです。
といっても、もちろん行くことはできないので、本を買って我慢しよう。
岩波現代文庫の「聖書時代史」(旧約篇・新約篇)が、今気になっています。
さいごに。(リレーは1位)
土曜日は、町内の運動会でした。
町内対抗リレーのアンカーを走り、3人抜いて1位になりました。
ただし、最後はもう必死で、ゴールの後はへろへろな状態でした。
娘が6年生になるまで出たいのですが、あと4年はちょっと微妙です。
イエスの足跡をたどる「私」が、次第に無力なイエスの姿を見出していく物語です。
現代の物語「巡礼」と、イエスの物語「群像の一人」が、交錯しながら進みます。
新潮文庫から出ています。カバーの写真に味わいがあります。
本作と「イエスの生涯」と「キリストの誕生」は、3点でワンセットです。
主人公は、40歳を過ぎて、信仰を失いかけた作家の「私」です。
エルサレムを訪れた「私」は、旧友戸田の案内で、イエスの足跡をたどります。
戸田は、学生時代の友人で、聖書を追求するうちに、イエスを見失った男です。
彼は、「私」にこんなことを言いました。
「エルサレムを探しても、イエスの足跡は、瓦礫に埋もれて見つからない。
聖書の中を探しても、イエスの姿は、後人の装飾に隠されて見つからない。」
しかし、エルサレム、ユダの荒野、死海のほとり、ガリラヤ湖と巡るうちに、
「私」なりのイエスが見出されていきます。それは、無力でみじめな男でした。
無力でみじめな男だからこそ、イエスは「同伴者」としての意味を持ちます。
最終章で、死に向かう修道士の傍らに、かいま見えた男は・・・
この本も、旅をしたくなる本です。
「深い河」ではインドを旅したくなりました。この本ではエルサレムです。
といっても、もちろん行くことはできないので、本を買って我慢しよう。
岩波現代文庫の「聖書時代史」(旧約篇・新約篇)が、今気になっています。
さいごに。(リレーは1位)
土曜日は、町内の運動会でした。
町内対抗リレーのアンカーを走り、3人抜いて1位になりました。
ただし、最後はもう必死で、ゴールの後はへろへろな状態でした。
娘が6年生になるまで出たいのですが、あと4年はちょっと微妙です。
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