ピランデッロ短篇集 [20世紀その他文学]
「月を見つけたチャウラ ピランデッロ短篇集」
ピランデッロ作 関口英子訳 (古典新訳文庫)
おかしいのにどこか悲しく、死と狂気をひしひしと感じさせる短篇集です。
作者はイタリア人劇作家で、1934年にノーベル文学賞を受賞しました。
光文社古典新訳文庫から2012年に出ています。
200篇以上の短編から15編が選ばれています。訳は分かりやすかったです。
主人公の多くは、日常のひとコマで、突然あることに気付き驚愕します。
自分は今まで自分の人生を生きてこなかった、自分は本当の自分ではない!
こういう恐怖が、おそらく世界でいちばん怖い。
では、その中で特に味わい深かった作品について、以下に紹介します。
「手押し車」は、ある著名な弁護士の狂気を描いています。
「わたし」は家の前で気付きます。ここに住んでいる男は自分ではない!
「わたしは、これまでけっして生きたことなどなかった。一度だって人生
に存在したことはなかった。」(P124)そして、ふとよぎる狂気・・・
「自力で」は、3年前に破産して、死んだように生きる男の悲劇です。
「いまの自分は、いったい誰なのか? 何者でもないではないか。」(P199)
そして、ふと思います。自分はもう死んでいる、いるべき場所へ行こう!
彼は、ある場所を目指して、ゆっくりと歩き始めます・・・せつない話です。
ほか、「ひと吹き」(自分のあるしぐさで、次々に人が死んでいく)や、
「フローラ夫人とその娘婿のポンツァ氏」(誰が嘘をついている?)や、
「貼りついた死」(死が貼りついて離れない)など、傑作ぞろいです。
ちょっと異色だったのは「甕」で、この作品だけは笑えました。
親方はいかにして危機に陥り、いかにして危機から脱したのか?
さて、解説によると、ピランデッロ自身、人生にとても翻弄されました。
「人生はとても悲しい道化に似ている」とは、彼自身が放った名言です。
ピランデッロの作品は、日本ではあまりお目にかかれませんでした。
だからこの短篇集は、とても貴重な本だと思います。
さいごに。(妹の話)
熊本で被災した妹が、一時的に帰ってきました。
避難所生活を体験した人でないと分からないような、貴重な話を聞きました。
最も印象的だったのは、やることがないのがつらかったということです。
余震におびえながら、何もできないでいるということが、とても苦痛だった、
むしろ何か仕事を割り振られた方が、精神のバランスを保てたとのことです。
ピランデッロ作 関口英子訳 (古典新訳文庫)
おかしいのにどこか悲しく、死と狂気をひしひしと感じさせる短篇集です。
作者はイタリア人劇作家で、1934年にノーベル文学賞を受賞しました。
光文社古典新訳文庫から2012年に出ています。
200篇以上の短編から15編が選ばれています。訳は分かりやすかったです。
月を見つけたチャウラ―ピランデッロ短篇集 (光文社古典新訳文庫)
- 作者: ルイジ ピランデッロ
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2012/10/11
- メディア: 文庫
主人公の多くは、日常のひとコマで、突然あることに気付き驚愕します。
自分は今まで自分の人生を生きてこなかった、自分は本当の自分ではない!
こういう恐怖が、おそらく世界でいちばん怖い。
では、その中で特に味わい深かった作品について、以下に紹介します。
「手押し車」は、ある著名な弁護士の狂気を描いています。
「わたし」は家の前で気付きます。ここに住んでいる男は自分ではない!
「わたしは、これまでけっして生きたことなどなかった。一度だって人生
に存在したことはなかった。」(P124)そして、ふとよぎる狂気・・・
「自力で」は、3年前に破産して、死んだように生きる男の悲劇です。
「いまの自分は、いったい誰なのか? 何者でもないではないか。」(P199)
そして、ふと思います。自分はもう死んでいる、いるべき場所へ行こう!
彼は、ある場所を目指して、ゆっくりと歩き始めます・・・せつない話です。
ほか、「ひと吹き」(自分のあるしぐさで、次々に人が死んでいく)や、
「フローラ夫人とその娘婿のポンツァ氏」(誰が嘘をついている?)や、
「貼りついた死」(死が貼りついて離れない)など、傑作ぞろいです。
ちょっと異色だったのは「甕」で、この作品だけは笑えました。
親方はいかにして危機に陥り、いかにして危機から脱したのか?
さて、解説によると、ピランデッロ自身、人生にとても翻弄されました。
「人生はとても悲しい道化に似ている」とは、彼自身が放った名言です。
ピランデッロの作品は、日本ではあまりお目にかかれませんでした。
だからこの短篇集は、とても貴重な本だと思います。
さいごに。(妹の話)
熊本で被災した妹が、一時的に帰ってきました。
避難所生活を体験した人でないと分からないような、貴重な話を聞きました。
最も印象的だったのは、やることがないのがつらかったということです。
余震におびえながら、何もできないでいるということが、とても苦痛だった、
むしろ何か仕事を割り振られた方が、精神のバランスを保てたとのことです。
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