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世界文学の流れをざっくりとつかむ33 [世界文学の流れをざっくりとつかむ]

≪第七章≫ 近代小説の誕生

4 ロマン主義の誕生

 フランスの啓蒙思想家ルソーの「自然に帰れ」という主張は、当時世界中で大きな反響を呼びました。ルソーは、原始的な自然状態を理想とし、絶対王政を不自然な状態であると考えました。この考えは、体制を打破して自由に生きるべきだという方向に進み、やがてフランス革命がもたらされました。

 フランス革命においてよりどころとなったのは、人間の理性でした。ところが、理性による革命であったはずのフランスが、独裁と恐怖政治を生み出しました。その反省として、理性よりも人間の魂を重視しようという流れが起き、それがやがてロマン主義につながっていきます。ロマン主義においても、ルソーの「自然」は重視されました。ただ、人々はルソーの言う「自然」を「魂の宿る神秘的な自然」ととらえ直して、内面の追求に向かっていったのです。

 1798年に、イギリスの詩人ワーズワースとコールリッジが「抒情民謡集」を出したことで、ロマン主義時代が始まりました。その詩において、自然と人間の魂の合一が描かれていたり、現実と非現実の境界が曖昧だったり、感情に飛躍があったりするところに、ロマン主義文学の特徴が表れています。この流れは、「チャイルド・ハロルドの旅」を書いたバイロンに受け継がれました。彼はギリシャ独立戦争に参加して客死しました。また、「湖上の美人」や「アイヴァンホー」を書いたウォルター・スコットも、ロマン主義文学の作家とされています。

 ナポレオンがヨーロッパを支配すると、民衆の体制打破へ向かう力は失われました。ドイツロマン主義では、内面に向かう傾向がますます顕著となり、精神性のみが追求されていきました。自然との合一など観念的な面が強調され、それはやがて空想的で幻想的なものとなり、さらに中世的で魔術的なものを憧憬するようになりました。

 1802年にノヴァーリスは「青い花」を出しました。夢の重視や自然への合一を特徴とした、童話的な作品です。1814年にシャミッソーは、幻想的な「影を亡くした男」を出しました。1812年にグリム兄弟は「童話集・初版」を出しました。これは、民間の童話を集めたものです。彼らはみなロマン主義作家とされますが、中でもその代表的存在は、E・T・ホフマンです。ホフマンは、裁判官として働きながら、日常に不意に現れる怪奇と幻想を描きました。1814年に「黄金の壷を」、1816年に「悪魔の霊液」を、1821年には「牡猫ムルの人生観」を出しました。ドイツロマン主義は、スタール夫人によってフランスへ伝えられ、フランスロマン主義に大きな影響を与えました。

 次回は、フランスロマン主義について述べたいと思います。

 さいごに。(親子で17位)

 先日の陸上の大会では、私が400Hで17位、娘も走高跳で17位という結果でした。
 16位までが県選手権に出場できます。親子そろって県出場をぎりぎり逃しました。

 これもまた、楽しい思い出です。
 おそらく、いっしょに陸上の競技会に出るなんて、二度と無いでしょう。

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