リプリー [20世紀アメリカ文学]
「リプイー」 パトリシア・ハイスミス作 青田勝訳 (角川文庫)
貧しい青年のトム・リプリーが、友達になりすまして大金をせしめる物語です。
1960年のアラン・ドロン主演映画、「太陽がいっぱい」の原作として有名です。
トム・リプリーは、あるときグリーンリーフという紳士からある依頼を受けました。
それは、放蕩息子のディッキーをイタリアから連れ戻してほしいというものでした。
彼は、トムとディッキーを親友だと思っていたようです。トムは承知しました。
トムは、グリーンリーフ氏に旅行代金を出してもらい、イタリアに向かいました。
ディッキーはモンデベロで、マージという女友達と毎日気ままに暮らしていました。
トムはすぐにディッキーに気に入られて、一緒に遊び歩くようになりました。
ところが、トムはやがてディッキーの気まぐれに振り回されるようになりました。
そして、金持ちで磊落なディッキーに対して、複雑な感情が生じてきました。
「トムは、ディッキーの閉じたまぶたを見つめていると、憎悪と、愛情と、あせり
と挫折感との狂おしい気持が胸いっぱいにこみあげてきて、息がはずんだ。ディッ
キーを殺してやりたい。そう思ったのは、いまが初めてではなかった。」(P132)
トムは他人のものまねがうまく、ディッキーに少し似ていることに気付き・・・
サンレモでボートを借りたときに、トムはとうとう・・・
私の脳裏には、以前見た「太陽がいっぱい」のラストシーンが焼き付いています。
だから「リプリー」も、自分の罪から逃げられないだろうと思っていました。
そのため、いつばれるか、いつばれるかと、ヒヤヒヤしながら読みました。
一度読み始めたら止まりません。ハラハラドキドキの連続でした。
ところが、びっくりです。まさか、映画と原作がこれほど違うとは!
私は原作に違和感を覚えました。原作の方が間違っているような気がしました。
ラストの部分に、「これは冗談だろうか?」(P384)とあります。
私には、この物語自体が、ひとつのよくできた冗談のように思えました。
ところで、トムを犯罪に向かわせたのは、上流階級への憧れだけではありません。
ディッキーへの愛情と嫉妬も、大きかったようです。
トムは、どこでも一流の生活をするディッキーという存在に憧れていました。
憧れはいつか愛となり、ディッキー自身になりたいという思いにまで達しました。
マージが見抜いたように、トムには同性愛者的な傾向があったのでしょうか。
マージに対する嫉妬が見え隠れしますが、トムの心理は非常に屈折していました。
さて、「リプリー」はシリーズ化されました。「贋作」など続編があります。
また2016年には、河出文庫から「太陽がいっぱい」として新訳が出ています。
なお、1960年の「太陽がいっぱい」は名画です。アラン・ドロンがいい。
また、1999年の「リプリー」はもう少し原作に忠実だと言う。気になります。
さいごに。(「インターステラー」すごい)
10歳の娘に「必ず帰る」と約束し、その約束を本当に守って・・・
しかし、二人が再会したのは〇〇年後で、すでに娘のマーフは・・・
娘と別れる場面も泣けましたが、再開の場面も泣けました。
重力と時間について、ユーチューブでおさらいしています。
貧しい青年のトム・リプリーが、友達になりすまして大金をせしめる物語です。
1960年のアラン・ドロン主演映画、「太陽がいっぱい」の原作として有名です。
トム・リプリーは、あるときグリーンリーフという紳士からある依頼を受けました。
それは、放蕩息子のディッキーをイタリアから連れ戻してほしいというものでした。
彼は、トムとディッキーを親友だと思っていたようです。トムは承知しました。
トムは、グリーンリーフ氏に旅行代金を出してもらい、イタリアに向かいました。
ディッキーはモンデベロで、マージという女友達と毎日気ままに暮らしていました。
トムはすぐにディッキーに気に入られて、一緒に遊び歩くようになりました。
ところが、トムはやがてディッキーの気まぐれに振り回されるようになりました。
そして、金持ちで磊落なディッキーに対して、複雑な感情が生じてきました。
「トムは、ディッキーの閉じたまぶたを見つめていると、憎悪と、愛情と、あせり
と挫折感との狂おしい気持が胸いっぱいにこみあげてきて、息がはずんだ。ディッ
キーを殺してやりたい。そう思ったのは、いまが初めてではなかった。」(P132)
トムは他人のものまねがうまく、ディッキーに少し似ていることに気付き・・・
サンレモでボートを借りたときに、トムはとうとう・・・
私の脳裏には、以前見た「太陽がいっぱい」のラストシーンが焼き付いています。
だから「リプリー」も、自分の罪から逃げられないだろうと思っていました。
そのため、いつばれるか、いつばれるかと、ヒヤヒヤしながら読みました。
一度読み始めたら止まりません。ハラハラドキドキの連続でした。
ところが、びっくりです。まさか、映画と原作がこれほど違うとは!
私は原作に違和感を覚えました。原作の方が間違っているような気がしました。
ラストの部分に、「これは冗談だろうか?」(P384)とあります。
私には、この物語自体が、ひとつのよくできた冗談のように思えました。
ところで、トムを犯罪に向かわせたのは、上流階級への憧れだけではありません。
ディッキーへの愛情と嫉妬も、大きかったようです。
トムは、どこでも一流の生活をするディッキーという存在に憧れていました。
憧れはいつか愛となり、ディッキー自身になりたいという思いにまで達しました。
マージが見抜いたように、トムには同性愛者的な傾向があったのでしょうか。
マージに対する嫉妬が見え隠れしますが、トムの心理は非常に屈折していました。
さて、「リプリー」はシリーズ化されました。「贋作」など続編があります。
また2016年には、河出文庫から「太陽がいっぱい」として新訳が出ています。
なお、1960年の「太陽がいっぱい」は名画です。アラン・ドロンがいい。
また、1999年の「リプリー」はもう少し原作に忠実だと言う。気になります。
さいごに。(「インターステラー」すごい)
10歳の娘に「必ず帰る」と約束し、その約束を本当に守って・・・
しかし、二人が再会したのは〇〇年後で、すでに娘のマーフは・・・
娘と別れる場面も泣けましたが、再開の場面も泣けました。
重力と時間について、ユーチューブでおさらいしています。
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