復活の日2 [日本の現代文学]
「復活の日」 小松左京 (ハルキ文庫)
未知のウィルスによって滅亡に瀕した人類と、その復活の日を描いたSF小説です。
第一部「災厄の年」と第二部「復活の日」の二部構成。前回第一部を紹介しました。
疫病の流行からわずかな期間で、人類はほとんど滅亡状態に追いやられていました。
しかし中には、最後まで矜持を持って、自分の責務を果たそうとする人もいました。
力が尽きるまで病人を救おうと、必死でがんばり続けた医師。
死の間際にありながら、ラジオ講座で自分の考えを伝え続けた学者。
死の瞬間までひたすら、ウィルスの情報を無線で発信し続けた研究者。
自国のARS(全自動報復装置)を破壊しようとした、アメリカ大統領。
しかし、その夏の終わりには、南極の1万人を除いて、人類は滅んでしまいました。
祖国を失った今、その1万人はもはやなに人でもなく、ひとつの南極人でした。
4年後、地震予知研究者の吉住は、アラスカで大規模地震が発生すると予知しました。
しかし、それは南極と無縁の話。ところが、南極政府のトップたちはおののきました。
「北米大陸は無人ではあろうが―まだ生きのこっているものがある・・・」
「なんです?」吉住は思わずのりだした。「なにが生きのこっているんです?」
「人間の憎悪だ・・・」(P367)
ARSとは何か? それが連鎖したときに、起こりうることは?
それを止めることはできるのか? では、誰が止めに行くのか?・・・
手に汗握る展開で、結末までまっしぐらに突き進んでいきます。
原作も映画も、まったく目が離せません。そしてラストは・・・
さて、私が面白いと思ったのは、この小説で描かれた「人類の性(サガ)」です。
人類はかつて棍棒を使い、銃を使い、戦車を使い、そして核さえも使用しました。
なぜそのような武器や兵器を使い、お互いに殺し合い、奪い合うのでしょうか?
それは一見すると、「生きのこること」を求める人類のサガのように思われます。
しかし、それらの武器や兵器が、やがて自分たちにも向けられることは明白です。
実際に核軍事体制は、スイッチ一つで自国も敵国も滅亡させてしまうシステムです。
つまり、人類は長い歴史を通して、自滅するためのシステムを構築してきたのです。
もしかしたら、人類のサガは「自滅すること」を求めているのではないでしょうか?
人類はあまりにも破壊してきました。
人類だけでなく、他の生物、自然、地球そのものを、あまりにも破壊してきました。
我々はどこかで、地球のためにも「人類は自滅するべきだ」と、思っているのでは?
「復活の日」を読みながら、そんなことを考えました。
「いったい、いかなる凶暴で不吉な存在が、かかる災厄を、このうるわしい星の上に
もたらしたのか?」(P20)
これは、プロローグに書かれていた言葉です。私は、言いたい!
「人類が災厄をもたらしたのだ、人類はまさに自滅したのだ」と。
さいごに。(復活の日)
ところで、今さらながらですが、1980年映画「復活の日」を見ました。
小学校のころ見たくて見れなかった映画です。ツタヤで110円でレンタルしました。
とても面白かったです。
ARSの停止がぎりぎり間に合わなかったところなど、タイミングが良すぎですが。
未知のウィルスによって滅亡に瀕した人類と、その復活の日を描いたSF小説です。
第一部「災厄の年」と第二部「復活の日」の二部構成。前回第一部を紹介しました。
疫病の流行からわずかな期間で、人類はほとんど滅亡状態に追いやられていました。
しかし中には、最後まで矜持を持って、自分の責務を果たそうとする人もいました。
力が尽きるまで病人を救おうと、必死でがんばり続けた医師。
死の間際にありながら、ラジオ講座で自分の考えを伝え続けた学者。
死の瞬間までひたすら、ウィルスの情報を無線で発信し続けた研究者。
自国のARS(全自動報復装置)を破壊しようとした、アメリカ大統領。
しかし、その夏の終わりには、南極の1万人を除いて、人類は滅んでしまいました。
祖国を失った今、その1万人はもはやなに人でもなく、ひとつの南極人でした。
4年後、地震予知研究者の吉住は、アラスカで大規模地震が発生すると予知しました。
しかし、それは南極と無縁の話。ところが、南極政府のトップたちはおののきました。
「北米大陸は無人ではあろうが―まだ生きのこっているものがある・・・」
「なんです?」吉住は思わずのりだした。「なにが生きのこっているんです?」
「人間の憎悪だ・・・」(P367)
ARSとは何か? それが連鎖したときに、起こりうることは?
それを止めることはできるのか? では、誰が止めに行くのか?・・・
手に汗握る展開で、結末までまっしぐらに突き進んでいきます。
原作も映画も、まったく目が離せません。そしてラストは・・・
さて、私が面白いと思ったのは、この小説で描かれた「人類の性(サガ)」です。
人類はかつて棍棒を使い、銃を使い、戦車を使い、そして核さえも使用しました。
なぜそのような武器や兵器を使い、お互いに殺し合い、奪い合うのでしょうか?
それは一見すると、「生きのこること」を求める人類のサガのように思われます。
しかし、それらの武器や兵器が、やがて自分たちにも向けられることは明白です。
実際に核軍事体制は、スイッチ一つで自国も敵国も滅亡させてしまうシステムです。
つまり、人類は長い歴史を通して、自滅するためのシステムを構築してきたのです。
もしかしたら、人類のサガは「自滅すること」を求めているのではないでしょうか?
人類はあまりにも破壊してきました。
人類だけでなく、他の生物、自然、地球そのものを、あまりにも破壊してきました。
我々はどこかで、地球のためにも「人類は自滅するべきだ」と、思っているのでは?
「復活の日」を読みながら、そんなことを考えました。
「いったい、いかなる凶暴で不吉な存在が、かかる災厄を、このうるわしい星の上に
もたらしたのか?」(P20)
これは、プロローグに書かれていた言葉です。私は、言いたい!
「人類が災厄をもたらしたのだ、人類はまさに自滅したのだ」と。
さいごに。(復活の日)
ところで、今さらながらですが、1980年映画「復活の日」を見ました。
小学校のころ見たくて見れなかった映画です。ツタヤで110円でレンタルしました。
とても面白かったです。
ARSの停止がぎりぎり間に合わなかったところなど、タイミングが良すぎですが。
コメント 0