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ひばり [20世紀フランス文学]

 「ひばり」 ジャン・アヌイ作 岩切正一郎訳 (ハヤカワ演劇文庫)


 裁判にかけられたジャンヌ・ダルクが、自分の生涯を再演するという戯曲です。
 1952年に刊行された、アヌイの代表作です。劇団四季でも時々上演されます。


ジャン・アヌイ (1) ひばり (ハヤカワ演劇文庫 (11))

ジャン・アヌイ (1) ひばり (ハヤカワ演劇文庫 (11))

  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2007/09/21
  • メディア: 文庫



 イギリス軍にとらえられたジャンヌは、異端者として宗教裁判にかけられました。
 法廷において、ジャンヌは神の声を聞いた場面から、自分の一生を演じ始めました。

 大天使ミカエルの声、異端審問の罠、家を出て立ち上がる決意、守備隊長への説得、
 太子のシャルルへの訪問と説得、異端審問、聖絶書への署名、処刑、そして・・・

 15世紀の百年戦争の末期、劣勢のフランス軍に突如現れ、瞬くまに逆転させた少女。
 ジャンヌ・ダルクという存在はまさに奇跡で、いつまでも我々を魅了し続けています。

 舞台は、ジャンヌがイギリス軍によって、宗教裁判にかけられる場面から始まります。
 そこには群衆もいて、おかしなことに、ジャンヌの演じる一生を皆で見ているのです。

 群衆にはなぜか、守備隊長やシャルル七世も混じっていて、自分の役を演じています。
 さらにおかしなことに、守備隊長は出番を間違えそうになります。ドリフのようです。

 また、シャルルはシャルルで、けん玉をしたり、トランプをしたり・・・
 ダメだ、ダメだ! どうしても「志村のバカ殿」とイメージが重なってしまう!

 このような演出は、私には、聖女ジャンヌ・ダルクを茶化しているように思えました。
 また、最後の強引などんでん返しも、私には少しふざけているように感じられました。

 アヌイのファンには申し訳ないのですが、私には「ドリフの演出」と同じでした。
 観劇が苦手な自分は、とにかくもっと普通に、分かりやす演じてほしかったです。

 「自分が自分であるため自らの運命を選び取り、凜々しく気高く生き抜いた人間の姿
 を描く」という紹介文には、違和感を覚えました。

 ところで、タイトルの「ひばり」とは、もちろんジャンヌ・ダルクのことです。
 彼女がイギリス軍に引き渡されたとき、次のような説明文が続いていました。

 「小さなひばりは捕まった。コンビエーニュの罠は閉じられた。輝かしいページは演
 じられた。シャルルとその宮廷は、一顧だにせず、小さなマスコットを捨てることに
 なる。このマスコットは、もう、幸福を運んでくれそうにない。」(P120)

 人々の思惑によって、利用され尽くされたジャンヌの人生! かよわいマスコット!
 その痛々しさを強調するため、わざと軽薄かつコミカルに描いていたのでしょうか。

 そう考えて読み直すと、終盤、実に象徴的な言葉がありました。
 司祭コーションが、ジャンヌの処刑を見に来る市民たちを評した言葉です。

 「彼ら(市民たち)にはなにも起こりはしない。この世の偉人たちの、勝利も死も、
 彼らはスペクタクルとして楽しむ。赦してやらなくてはな。ジャンヌ。あの者たちは
 代償を払っている。この小さな気晴らしを持つために、一生、民衆であるという、安
 くない代償を。」(P162)

 我々読者もまた、そういう市民であって、このスペクタクルを楽しんでいるのです。
 つまり、この言葉は、我々自身に対する批判となっているようです。

 さて、ジャンヌ・ダルクを読むなら、シラーの「オルレアンの少女」がオススメ。
 ロマンチックな味付けがされているので、読んでいてとても楽しいです。
 「オルレアンの少女」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-04-10

 さいごに。(リモート授業)

 先日、娘が少し早く学校から帰ってきました。コロナの濃厚接触となったとのこと。
 授業についていけなくなるんじゃないか、と思ったのですが・・・

 なんと、家でタブレットを開けて、リモートで授業に参加していたのだそうです。
 本当に、良い時代になりました。

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