芽むしり仔撃ち [日本の現代文学]
「芽むしり仔撃ち」 大江健三郎 (新潮文庫)
戦争中に集団疎開した感化院の少年たちが、自分たちの王国建設を目指す物語です。
1958年に刊行された作者初の長編小説です。「万延元年」と色んな点で似ています。
「人殺しの時代だった。永い洪水のように戦争が集団的な狂気を、人間の情念の襞ひ
だ、躰のあらゆる隅ずみ、森、街路、空に氾濫させていた。」(P14)
戦時中に、感化院の少年たちが、ある村の山奥に集団疎開しました。
村長は言いました。「お前らは厄介者だということを忘れるな」と。
最初の作業は、犬、猫、ネズミなど、数々の動物の死体を埋めるというものでした。
村で疫病が流行り始めていたのです。ある夜、村人たちは隣の村へ逃げて行きました。
村に取り残されて絶望していた少年たちは、自分たちで生きていく覚悟を決めて・・・
同じく見捨てられた少女、朝鮮人の少年、脱走兵らと協力しながら生活を始めて・・・
やがて雪が降りました。その雪は、祝祭の合図だったのか、崩壊の合図だったのか?
突然はやり始めた疫病・・・そして、不意に現れた大人たちは・・・
「出来ぞこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ、悪い芽は始めにむし
りとってしまう」(P218)・・・
「万延元年のフットボール」が思いのほか面白かったので、この作品を読みました。
閉ざされた寒村で自分たちの世界を作ろうとする点で、「万延元年」と似ています。
しかし、「万延元年」と違って、まったく救いがありません。本当に23歳の作品か?
ラストは、もう少し希望が感じられる終わり方をしてほしかったです。
さて、大江健三郎の作品でもう1冊外せないのが、「個人的な体験」だそうです。
機会があったら読んでみたいです。
さいごに。(名古屋ドーム)
以前妻と娘は、ジャニーズのコンサートを見るために、名古屋ドームに行きました。
今度は妻ひとりで、なんと、セパ交流戦の中日対オリックスを見に行くのだそうです。
戦争中に集団疎開した感化院の少年たちが、自分たちの王国建設を目指す物語です。
1958年に刊行された作者初の長編小説です。「万延元年」と色んな点で似ています。
「人殺しの時代だった。永い洪水のように戦争が集団的な狂気を、人間の情念の襞ひ
だ、躰のあらゆる隅ずみ、森、街路、空に氾濫させていた。」(P14)
戦時中に、感化院の少年たちが、ある村の山奥に集団疎開しました。
村長は言いました。「お前らは厄介者だということを忘れるな」と。
最初の作業は、犬、猫、ネズミなど、数々の動物の死体を埋めるというものでした。
村で疫病が流行り始めていたのです。ある夜、村人たちは隣の村へ逃げて行きました。
村に取り残されて絶望していた少年たちは、自分たちで生きていく覚悟を決めて・・・
同じく見捨てられた少女、朝鮮人の少年、脱走兵らと協力しながら生活を始めて・・・
やがて雪が降りました。その雪は、祝祭の合図だったのか、崩壊の合図だったのか?
突然はやり始めた疫病・・・そして、不意に現れた大人たちは・・・
「出来ぞこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ、悪い芽は始めにむし
りとってしまう」(P218)・・・
「万延元年のフットボール」が思いのほか面白かったので、この作品を読みました。
閉ざされた寒村で自分たちの世界を作ろうとする点で、「万延元年」と似ています。
しかし、「万延元年」と違って、まったく救いがありません。本当に23歳の作品か?
ラストは、もう少し希望が感じられる終わり方をしてほしかったです。
さて、大江健三郎の作品でもう1冊外せないのが、「個人的な体験」だそうです。
機会があったら読んでみたいです。
さいごに。(名古屋ドーム)
以前妻と娘は、ジャニーズのコンサートを見るために、名古屋ドームに行きました。
今度は妻ひとりで、なんと、セパ交流戦の中日対オリックスを見に行くのだそうです。
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