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青い麦 [20世紀フランス文学]

 「青い麦」 コレット作 手塚伸一訳 (集英社文庫)


 ブルターニュ海岸を舞台にした、少年少女のみずみずしい恋の物語です。

 愛し合う二人は、自分たちが大人でないことを、もどかしく思っています。
 「まだ十六歳だっていうことが悲しいんだ!」(P27)と言う少年フィル。
 「青春なんて嫌いだ」(P44)と言って泣き崩れる少女ヴァンカ。

 そんな二人の前に現れたのは、大人の魅力を持つダルレイ夫人でした・・・

 少女と夫人の間をさまようフィルに、自分を投影して、私は何度も読みました。
 特に、フィルと夫人の関係に疑惑を持ったヴァンカの態度が良いです。
 乱暴な言葉を吐くフィルに向かって、静かにこう言い放ちます。

 「あんたがわたしをいじめているあいだは」彼女は言った、
 「あんたがそばにいてくれるということなんだもの・・・」(P128)

 なんて、いじらしい! それでも夫人を訪れるフィルは、悪い奴です。

 「青い麦」は現在、新潮文庫と集英社文庫で読むことができます。

青い麦 (新潮文庫)
 若いころ何度も読み返したのは、新潮文庫版です。
 しかし今では、堀口大學の訳は古く感じます。
 特に、「ここにいたのかい、小僧?」とか、
 「なあ、小僧」とかいう父の言葉がおかしい。
 しかも、小僧小僧と立て続けに出てくるので、
 16章の初めは、吹き出しそうになります。


青い麦 (集英社文庫)
 今では、集英社文庫版を、本棚に並べています。
 堀口訳よりもずっと分かりやすいです。
 表紙も、海岸の別荘地っぽくて良いです。
 口絵ページの若いコレットの写真も良い。
 パントマイムでの写真は貴重です。



 ところで、「青い麦」とツルゲーネフ「はつ恋」は、私の中で表裏一体です。
 どちらも舞台は別荘地、少年は16歳で、テーマは初恋です。
 しかし、暗く不健康な「初恋」に対して、「青い麦」は明るく健康的です。

 その差は、大人たちの存在です。
 「はつ恋」の大人は、夫婦喧嘩や悪口で、少年に暗い影を落とします。
 しかし「青い麦」での大人は、どうでもいい影のような存在です。

 フィルとヴァンカは、大人から離れ、自分たちの世界で生きています。
 やがて二人は、大人たちから自立して、愛を成就していくのです。

 さて、作者コレットは、20世紀前半にフランスで活躍した女流作家です。
 恋多き才女で、生涯に二度離婚し三度結婚しました。

 最初の離婚の後、生活のためになりふり構わず、パントマイムに出ます。
 するとこれが大成功します。彼女の肉体美が評判を呼んだのです。

 劇中、胸をさらしたり、女同士のキスをしたりと、何かと世間を騒がせます。
 (そういう写真を見たかった。口絵にあるのは、猫ちゃんに扮した写真。)
 でも、こういう体験が、ヴァンカや夫人の肉感的な表現に生きているのです。

 少年少女の恋を描いた、「青い麦」の出版は、なんと50の時です。
 また、三度目の結婚は、なんと62歳の時なのです!

 1954年、81歳で生涯を閉じます。
 同じ年、サガンが「悲しみよこんにちは」でデビューしました。
 私にとって、サガンは、コレットの後継者のような印象があります。
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コメント 2

あきえもん

こんばんは。
「青い麦」初めて知りました。
確かに立て続けに「小僧」が出てきたら、吹き出しそうですね。
by あきえもん (2010-06-19 02:27) 

ike-pyon

コメントありがとうございます。
その部分は傑作です。
私は、仕事中突然、「なあ小僧」とか頭に浮かんで、
笑いをこらえるのに苦労しました。
by ike-pyon (2010-06-19 06:10) 

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