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グレート・ギャツビー [20世紀アメリカ文学]

 「グレート・ギャツビー」 フィッツジェラルド作 村上春樹訳 (中央公論社)


 去に失ったものを取り戻すために人生をかけたギャツビーの、悲劇的な物語です。
 フィッツジェラルドの最高傑作であり、アメリカ小説の最高峰です。

 名作で、最近映画化もされたため、多くの出版社から訳が出ています。
 私が最初に読んだのは、新潮文庫の野崎訳です。正直言ってピンときませんでした。


グレート・ギャツビー (新潮文庫)

グレート・ギャツビー (新潮文庫)

  • 作者: フィツジェラルド
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1989/05/20
  • メディア: 文庫



 最も新しくて分かりやすいのは、古典新訳文庫です。
 しかし、その分かりやすさが短所でもある、と言う人もいます。


グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

  • 作者: F.スコット フィッツジェラルド
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2009/09/08
  • メディア: 文庫



 私のオススメは、中央公論社の村上春樹訳。文庫ではありません。新書です。
 文体、言い回し、リズム、いずれも圧倒的に素晴らしい。こだわりの翻訳です。
 思い入れたっぷりの「訳者あとがき」も必読。


グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)

  • 作者: スコット フィッツジェラルド
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2006/11
  • メディア: 単行本



 第一次大戦直後、1922年の夏。
 僕(キャラウェイ)は故郷を離れ、ニューヨーク郊外に移り住みました。

 隣の広大な屋敷に住んでいるのは、ギャツビーという男。謎の多い男です。
 大規模なパーティーを頻繁に催し、あらゆる人間が出入りしています。

 あるとき僕は、パーティーに招待されて、そこでギャツビーを知ります。
 やがて、彼からあることを頼まれますが・・・

 ギャツビーはなぜパーティーを開いていたのか? いったい何を求めていたのか?
 そもそもギャツビーは何者か? どうやって巨万の富を築いたのか?

 村上春樹の訳は独特のリズムを持っているので、どんどん引き込まれていきます。
 フィッツジェラルド特有の、虚しさと悲哀が、うまくかもしだされています。

 ギャツビーの虚しさは、失われた過去を取り戻そうとしたところにあります。
 そして最後まで、過去を取り戻せると信じたところにあります。

 「『過去を再現できないって!』、いったい何を言うんだという風に彼は叫んだ。
 『できないわけがないじゃないか!』」(P202)

 対岸のともし火をつかもうとしたギャツビー。そんなことできるわけがないのに。
 過去は過ぎ去る。だから、過去を追い求めるものもまた、滅びるしかない。

 さて、「ライ麦畑」では、野崎訳も村上訳も、それぞれ持ち味がありました。
 しかし、「ギャツビー」では、村上訳が抜群に素晴らしい。(と思う。)

 以前、「フィッツジェラルド短編集」を、新潮文庫の野崎訳で読みました。
 しかし、今ではいろんな訳が出ているので、読み比べたいです。

 さいごに。 (ナイフとフォーク)

 娘が、「お姫様のようにナイフとフォークを使って食べたい」と言い出しました。
 そこで、珍しく夕食はステーキにしました。牛ではなく、豚ですが。

 ところが、娘はなかなかうまくナイフを使いこなせません。
 最後には、「お姫様なんかになれなくてもいい」と言っていました。


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