平家物語2 [日本の古典文学]
「平家物語(下)」 尾崎士郎訳 (岩波現代文庫)
繁栄の極みにあった平家が没落し、合戦によって滅亡するまでを描いた物語です。
幼い頃より琵琶に親しんだ尾崎士郎の訳は、読みやすい名調子で貫かれています。
下巻には、第7巻から第12巻まで、平家物語の後半が収められています。
都落ちした平家が、院宣を受けた源氏に追討され、滅亡するまでを描いています。
義仲の登場、平家一門の都落ち、頼朝が征夷大将軍に、義仲の最期、一ノ谷の戦い、
維盛の入水、屋島の戦い、壇ノ浦の戦い、平家滅亡、義経の都落ち、建礼門院の死。
下巻の前半では、都に義仲、西に平家、東に頼朝と、勢力は三分されていました。
義仲が味方である源氏に追い詰められる場面が、最初のクライマックスです。
義仲の前で、最後に強敵を討ち取って見せ、名残惜しみながら落ちていった巴御前。
義仲に自害させるため命がけで敵を防ぎ、最後は太刀を口に含んで果てた今井兼平。
倶利伽羅峠で平家の大軍を破り、旭将軍と呼ばれながら、同じ源氏に討たれた義仲。
「木曽の最後」における、義仲と兼平の悲しい結末は、涙無しには読めません。
そして、下巻の後半に入ると、滅びゆく平家一門の人々が主役となります。
動かしがたい時代の流れに吞まれた彼らは、いかに生き、いかに死んでいったか?
都落ちから俊成の家に戻り、一ノ谷での死後千載集によみ人しらずで歌を残した忠度。
仁和寺に駆けつけ、下賜されていた琵琶の名器青山を返上し、一ノ谷で果てた経正。
都に置いてきた妻子を思いきれず、高野山で出家し、熊野で入水する道を選んだ維盛。
南都焼き討ちの罪を一身に被り、鎌倉で生き恥をさらした上で、無残に斬られた重衡。
平家一の武勇を誇り、壇ノ浦で義経を追い詰め、最後まで戦い抜いて入水した教経。
平家の滅亡を宿命として受け入れ、一門の最後を全て見届けた上で、入水した知盛。
平家の総帥でありながら勇断を下せず、一門を滅亡に導き、生き恥までさらした宗盛。
平家の面々それぞれに、それぞれの人間模様があり、読んでいて面白かったです。
わずか八歳で分けも分からず、平家一門と運命をともにし、壇ノ浦で入水した安徳帝。
入水したところを捕えられ、大原で寂しく暮らし、人知れず世を去った建礼門院・・・
灌頂巻の女院の姿が印象的です。「この世のことはすべて、車輪の廻るようなもので、
いかなる快楽も、全く束の間の夢まぼろし、流転きわまりないものです。」(P358)
壇ノ浦で最後の戦いに挑んだ平家も、同じように考えていたのではないでしょうか。
彼らは自分たちの時代が終わったことを察して、華々しく死のうとしたのではないか?
「平家物語」には、武士の生き様があらわれています。武士の美学が詰まっています。
貴族の世から武士の世へ。その移り変わりを象徴するのが「平家物語」です。
「平家物語」は、ある意味、武士たちの建国神話です。まさに武士たちの叙事詩です。
琵琶法師に語られながら、内容が増補されていったという形成過程も、叙事詩的です。
世界文学史的に見ても、中世文学を代表する作品の一つだと、私は考えています。
もっともっと世界で訳され、知られてもいい作品だと思います。
ところで、下巻を読み終わったあと、以前読んだ「平家物語」の原文を見てみました。
そして改めて、文章の味わい深さは、原文にはかなわないと思いました。
時間が許したら、ぜひ原文をもう一度、ゆっくり音読してみたいです。
なお、「すらすら読める平家物語」もオススメですが、現在は絶版です。
さいごに。(今年もよろしくお願いします。)
明けましておめどうございます。このブログは今、ちょうど10年目に入っています。
今年も、みなさまよろしくお願いいたします。
10年前、娘はまだ3歳でした。今年、娘は中学生になります。半分は大人です。
娘が独り立ちできるよう、昨年一年、少しずつ子離れしてきたつもりですが・・・
繁栄の極みにあった平家が没落し、合戦によって滅亡するまでを描いた物語です。
幼い頃より琵琶に親しんだ尾崎士郎の訳は、読みやすい名調子で貫かれています。
下巻には、第7巻から第12巻まで、平家物語の後半が収められています。
都落ちした平家が、院宣を受けた源氏に追討され、滅亡するまでを描いています。
義仲の登場、平家一門の都落ち、頼朝が征夷大将軍に、義仲の最期、一ノ谷の戦い、
維盛の入水、屋島の戦い、壇ノ浦の戦い、平家滅亡、義経の都落ち、建礼門院の死。
下巻の前半では、都に義仲、西に平家、東に頼朝と、勢力は三分されていました。
義仲が味方である源氏に追い詰められる場面が、最初のクライマックスです。
義仲の前で、最後に強敵を討ち取って見せ、名残惜しみながら落ちていった巴御前。
義仲に自害させるため命がけで敵を防ぎ、最後は太刀を口に含んで果てた今井兼平。
倶利伽羅峠で平家の大軍を破り、旭将軍と呼ばれながら、同じ源氏に討たれた義仲。
「木曽の最後」における、義仲と兼平の悲しい結末は、涙無しには読めません。
そして、下巻の後半に入ると、滅びゆく平家一門の人々が主役となります。
動かしがたい時代の流れに吞まれた彼らは、いかに生き、いかに死んでいったか?
都落ちから俊成の家に戻り、一ノ谷での死後千載集によみ人しらずで歌を残した忠度。
仁和寺に駆けつけ、下賜されていた琵琶の名器青山を返上し、一ノ谷で果てた経正。
都に置いてきた妻子を思いきれず、高野山で出家し、熊野で入水する道を選んだ維盛。
南都焼き討ちの罪を一身に被り、鎌倉で生き恥をさらした上で、無残に斬られた重衡。
平家一の武勇を誇り、壇ノ浦で義経を追い詰め、最後まで戦い抜いて入水した教経。
平家の滅亡を宿命として受け入れ、一門の最後を全て見届けた上で、入水した知盛。
平家の総帥でありながら勇断を下せず、一門を滅亡に導き、生き恥までさらした宗盛。
平家の面々それぞれに、それぞれの人間模様があり、読んでいて面白かったです。
わずか八歳で分けも分からず、平家一門と運命をともにし、壇ノ浦で入水した安徳帝。
入水したところを捕えられ、大原で寂しく暮らし、人知れず世を去った建礼門院・・・
灌頂巻の女院の姿が印象的です。「この世のことはすべて、車輪の廻るようなもので、
いかなる快楽も、全く束の間の夢まぼろし、流転きわまりないものです。」(P358)
壇ノ浦で最後の戦いに挑んだ平家も、同じように考えていたのではないでしょうか。
彼らは自分たちの時代が終わったことを察して、華々しく死のうとしたのではないか?
「平家物語」には、武士の生き様があらわれています。武士の美学が詰まっています。
貴族の世から武士の世へ。その移り変わりを象徴するのが「平家物語」です。
「平家物語」は、ある意味、武士たちの建国神話です。まさに武士たちの叙事詩です。
琵琶法師に語られながら、内容が増補されていったという形成過程も、叙事詩的です。
世界文学史的に見ても、中世文学を代表する作品の一つだと、私は考えています。
もっともっと世界で訳され、知られてもいい作品だと思います。
ところで、下巻を読み終わったあと、以前読んだ「平家物語」の原文を見てみました。
そして改めて、文章の味わい深さは、原文にはかなわないと思いました。
時間が許したら、ぜひ原文をもう一度、ゆっくり音読してみたいです。
なお、「すらすら読める平家物語」もオススメですが、現在は絶版です。
さいごに。(今年もよろしくお願いします。)
明けましておめどうございます。このブログは今、ちょうど10年目に入っています。
今年も、みなさまよろしくお願いいたします。
10年前、娘はまだ3歳でした。今年、娘は中学生になります。半分は大人です。
娘が独り立ちできるよう、昨年一年、少しずつ子離れしてきたつもりですが・・・
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