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幽霊ーある幼年と青春の物語ー [日本の現代文学]

 「幽霊ーある幼年と青春の物語ー」 北杜夫 (新潮文庫)


 忘れ去られた幼年期の記憶を求めに、自身の心の中を旅する「私」の魂の物語です。
 北杜夫の処女長編小説で、隠れた名作です。北の作品中、私の最も好きな小説です。


幽霊―或る幼年と青春の物語 (新潮文庫)

幽霊―或る幼年と青春の物語 (新潮文庫)

  • 作者: 北 杜夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1965/10/12
  • メディア: 文庫



 この小説は幼年期の記憶から始まります。最初に登場するのは「ぼく」の母です。
 若いころ外国で生活していたという母は、「ぼく」にとって憧れの存在でした。

 二つ違いの姉は美しく、母同様「ぼく」にとって憧憬の対象だったようです。
 そして学者の父親は、持病の狭心症によってぽっくりと亡くなってしまいました。

 母はある朝、ぼくと姉の前から姿を消して、永久に帰って来ることがなく・・・
 そして姉もまた、ある日あっけなく神に召されてしまい・・・

 昔母がいた部屋、ぼくを幻惑するチョウ、ドビュッシーの旋律、見知らぬ少女、
 母の知り合いの夫人、亡き姉の面影、霧の中のアルプス、そこで見たものは・・・

 さて、この小説を初めて読んだのは、大学4年生のときでした。
 冒頭のから完全にやられました。この一節を、何度繰り返し読んだことでしょうか。

 「人はなぜ追憶を語るのだろうか。
  どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話
 は次第にうすれ、やがて時代の深みのなかに姿を失うように見える。—だが、あの
 おぼろな昔に人の心にしのびこみ、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず
 知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。」

 そしてこの小説は、「時代の深みのなかに姿を失」った記憶を訪ねる物語です。
 そういう意味で、プルーストの「失われた時を求めて」と非常に似ています。

 たとえばウラギンシジミを見て、ふいに幼年期の記憶を蘇らせる場面があります。
 あの場面から、プルーストのマドレーヌの有名な場面を連想しました。

 そして最後の、槍ヶ岳の名場面! 濃霧の中で、とうとうあの面影がよみがえる!
 今読み返してみると、第四章全体が、非常に優れた山岳小説のようでした。

 「凍えるような冷気にかじかみながら、ぼくはあたりをみたしているおそろしいま
 での静寂のなかに、ある囁きを、どこからともなく伝わってくる山霊の呼び声を耳
 にしたが、それは人間と自然がまだひとつであった時代の、異常に古い忘れられた
 言葉であるのかもしれなかった。」(P258)

 こういう表現は、本当に山が好きな人だからこそ生み出せるのだと思います。
 こんな言葉に出会いながら、当時登山を始めなかったのはもったいなかった。

 この小説を初めて読んだ大学4年のとき、私は人生について深く考えていました。
 これからどのような人生をたどるのか? 社会でどのような役割を果たせるのか?

 「わけもなく葉に穴をあけている蚕が、ときおり不安げに首をもたげてみる。(中
 略)人は生涯に何度か、それに似た時間をもつもののようだ。」(P100)

 あれから30年たった今、この本を読み返して、あの頃を懐かしく思い出しました。
 そして久しぶりに、自分の人生を考え直してみたくなりました。

 さいごに。(光の屈折)

 娘の理科の宿題を見てやったのですが、私にはまったく分かりませんでした。
 単元は「光の屈折」。入射角がどうの、焦点距離がどうの・・・理解不能です。

 妻と2人で、「こんな問題やったっけ?」と首をかしげています。
 結局「もう一度教科書を読んでおけ」と言っておしまい。役に立ちませんでした。

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