アルテミオ・クルスの死1 [20世紀ラテンアメリカ文学]
「アルテミオ・クルスの死」 フエンテス作 木村榮一訳 (岩波文庫)
一代で成り上がったアルテミオ・クルスの生涯と、その時代背景を描いた物語です。
1962年に出て、ラテンアメリカ文学ブームの口火を切ることとなった作品です。
メキシコの経済界の大立者であるアルテミオ・クルスは、ある日突然倒れました。
病の床にあって、時々朦朧としながらも、自分の生涯を少しずつ振り返ります。
娘の結婚準備、妻への求婚、メキシコ革命、最愛の女とその死、妻とのすれ違い、
富の獲得、地主との取引、敵軍の牢で出会った学士、九死に一生を得る・・・
10~20ページの断章が集まってできているので、比較的読みやすいです。
ただし、断章の語り口が次々に変わっていくので、最初は戸惑いました。
1人称→2人称→3人称→1人称→2人称→3人称というように続いていきます。
そして、この語り口の変化こそが、本作品を唯一無二のものとしている特徴です。
1番目の断章は1人称の「わし」を使い、現在形で語られています。
「わしは何々している」と語られ、死を目前にした男の内的独白となっています。
2番目の断章は2人称の「お前」を使い、未来形で語られています。
「お前は何々するだろう」と語られ、男の過去の行為を、予言的に表しています。
3番目の断章は3人称の「彼」を使い、過去形で語られています。
「彼は何々した」と語られ、男の人生を、神の視点から客観的に記しています。
しかも、3人称の断章にだけ、冒頭に日付がきちんと記されています。
まるで、この断章だけは正確に記した客観的事実なのだ、と言っているようです。
これら「わし」「お前」「彼」は、すべてアルテミオ・クルスを指しています。
アルテミオ・クルスのことが、さまざまな語り手によって、描かれているのです。
では、語り手は誰なのか?
矛盾するようですが、これまたすべて、アルテミオ・クルスのようなのです。
「わし」と言ったときはもちろん、「お前」と呼びかけるときも、距離を置いて
「彼」と語るときも、主体は同じアルテミオ・クルスのような気がするのです。
「お前」と言うのは、混濁した意識から生じる、アルテミオの分身ではないのか?
「彼」と言うのは、死後の世界から一生を振り返っている、自分ではないのか?
さて、3人称の断章に記された日付は、時間軸にそっていません。
それは、朦朧とした意識が、過去と現在を、あっちこっちに飛ぶからでしょう。
この記憶の扱い方が、プルーストの「失われた時を求めて」に似ています。
日付順にたどれば、分かりやすくなりますが、魅力は半減しそうです。
ちなみに私は、1人称→2人称→3人称と続く3断章を、1セットと考えました。
毎日3つの断章ずつ(1日約30ページ)読んだら、ちょうどよいペースでした。
現在、ちょうど物語の半ばくらいまで読みました。
読み慣れてくると、非常に面白いです。独特の語りに、ぐいぐい引き込まれます。
特に引き込まれた部分は、若いころ革命軍に身を投じていたときのことです。
強引にものにしたレヒーナを愛し、そして失ってしまう場面は、少し泣けました。
所々で「レヒーナ」という呼びかけがあるたびに、読んでいて胸がうたれました。
心にいつまでも存在する永遠のレヒーナ。しかし、それは誰にも明かせず・・・
後半、ますます面白くなりそうです。このあとも物語から目が離せません。
なお、フエンテス短編集が岩波文庫から出ていることを、今更ながら知りました。
さいごに。(ムーTシャツは?)
ファッションセンターしまむらでは、時々月間ムーとのコラボ商品を出しています。
今年も「ムーTシャツ」は、出るのでしょうか? 出たら絶対手に入れたい。
一代で成り上がったアルテミオ・クルスの生涯と、その時代背景を描いた物語です。
1962年に出て、ラテンアメリカ文学ブームの口火を切ることとなった作品です。
メキシコの経済界の大立者であるアルテミオ・クルスは、ある日突然倒れました。
病の床にあって、時々朦朧としながらも、自分の生涯を少しずつ振り返ります。
娘の結婚準備、妻への求婚、メキシコ革命、最愛の女とその死、妻とのすれ違い、
富の獲得、地主との取引、敵軍の牢で出会った学士、九死に一生を得る・・・
10~20ページの断章が集まってできているので、比較的読みやすいです。
ただし、断章の語り口が次々に変わっていくので、最初は戸惑いました。
1人称→2人称→3人称→1人称→2人称→3人称というように続いていきます。
そして、この語り口の変化こそが、本作品を唯一無二のものとしている特徴です。
1番目の断章は1人称の「わし」を使い、現在形で語られています。
「わしは何々している」と語られ、死を目前にした男の内的独白となっています。
2番目の断章は2人称の「お前」を使い、未来形で語られています。
「お前は何々するだろう」と語られ、男の過去の行為を、予言的に表しています。
3番目の断章は3人称の「彼」を使い、過去形で語られています。
「彼は何々した」と語られ、男の人生を、神の視点から客観的に記しています。
しかも、3人称の断章にだけ、冒頭に日付がきちんと記されています。
まるで、この断章だけは正確に記した客観的事実なのだ、と言っているようです。
これら「わし」「お前」「彼」は、すべてアルテミオ・クルスを指しています。
アルテミオ・クルスのことが、さまざまな語り手によって、描かれているのです。
では、語り手は誰なのか?
矛盾するようですが、これまたすべて、アルテミオ・クルスのようなのです。
「わし」と言ったときはもちろん、「お前」と呼びかけるときも、距離を置いて
「彼」と語るときも、主体は同じアルテミオ・クルスのような気がするのです。
「お前」と言うのは、混濁した意識から生じる、アルテミオの分身ではないのか?
「彼」と言うのは、死後の世界から一生を振り返っている、自分ではないのか?
さて、3人称の断章に記された日付は、時間軸にそっていません。
それは、朦朧とした意識が、過去と現在を、あっちこっちに飛ぶからでしょう。
この記憶の扱い方が、プルーストの「失われた時を求めて」に似ています。
日付順にたどれば、分かりやすくなりますが、魅力は半減しそうです。
ちなみに私は、1人称→2人称→3人称と続く3断章を、1セットと考えました。
毎日3つの断章ずつ(1日約30ページ)読んだら、ちょうどよいペースでした。
現在、ちょうど物語の半ばくらいまで読みました。
読み慣れてくると、非常に面白いです。独特の語りに、ぐいぐい引き込まれます。
特に引き込まれた部分は、若いころ革命軍に身を投じていたときのことです。
強引にものにしたレヒーナを愛し、そして失ってしまう場面は、少し泣けました。
所々で「レヒーナ」という呼びかけがあるたびに、読んでいて胸がうたれました。
心にいつまでも存在する永遠のレヒーナ。しかし、それは誰にも明かせず・・・
後半、ますます面白くなりそうです。このあとも物語から目が離せません。
なお、フエンテス短編集が岩波文庫から出ていることを、今更ながら知りました。
さいごに。(ムーTシャツは?)
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今年も「ムーTシャツ」は、出るのでしょうか? 出たら絶対手に入れたい。
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