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ラモーの甥 [18世紀文学]

 「ラモーの甥」 ディドロ作 本田喜代治・平岡昇訳 (岩波文庫)


 世の全てを嘲笑し尽くす、ラモーの甥との対話を描いた、風刺文学の傑作です。
 初版は1940年。改版されたが読みにくい。2016年に復刊され、今また絶版です。


ラモーの甥 (岩波文庫)

ラモーの甥 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/08/29
  • メディア: 文庫



 「空が晴れていようと、いやな天気だろうと、夕方の五時頃パレ・ロワイヤルの公園
 へ散歩に出かけるのがわたしの習慣だ。いつもひとりぼっちで、ダルジャンソンのベ
 ンチに腰をかけて、ぼんやり考えこんでいる男がいたら、それはわたしだ。」

 このような魅力的な文章で、「ラモーの甥」は始まります。
 今でもそのベンチに行けば、物思いにふけるディドロに会えるような気がします。

 「わたし」(ディドロ?)は、あるときカフェで、ある男に話しかけられました。
 その男こそラモーの甥。有名な大作曲家ラモーを叔父に持つ男だったのです。

 ところが、彼自身は平凡な音楽家で、旧体制に寄生して生きるちっぽけな存在です。
 そのくせ旧体制についてペラペラと偉そうに論じ、批判し、嘲笑しているのです。

 たとえば彼は、時間が経つごとに、誰でも同じように蓄えがたまるのだと言います。 
 だから、自分も金持ちなのだと言うけど、では、いったい何がたまると言うのか?

 「肝心な点は、たやすく、自由に、愉快に、どっさりと、毎晩御不浄に行くことで
 す。『おお貴重な糞便!』これこそはどんな身分にも起こる生活の偉大な結果です。」
 (P37)

 こういうたわごとを、おもしろいと思うか、アホかと思うかは、微妙なところです。
 ただ、18世紀の革命前の時期、このような小説が珍しかったことだけは事実です。

 こういう平凡な小市民に大いに語らせたところに、この作品の値打ちがあります。
 時代を先取りしたのです。革命で活躍するのが、こういう名もない連中ですから。

 「この世の中にはなに一つ安定したものはありません。今日は車輪の上にいるかと
 思えば、明日は車輪の下にいる。数々のいやな事態にわれわれはひき廻され、あげ
 くはうんと悪いほうへ連れて行かれるんでさ。」(P148)

 「わしはしょっちゅう食う物がないなんてのは、良い世の中じゃないと思いますよ。
 なんといういやな世の中の仕組みでしょう!」(P150)

 ところで私は、この作品を、書かれた時期を考慮して、18世紀文学に入れました。
 しかし、この作品が日の目を見たのは、19世紀に入ってからなのだそうです。

 どうやらディドロはスキャンダルを恐れて、生前この作品を秘密にしていたらしい。
 たまたまこの作品の存在を知ったゲーテが、ドイツで訳出したのだそうです。

 ちなみに、ラモーの甥は実在の人物で、叔父の大作曲家ラモーも実在していました。
 今ではほとんど忘れられた存在ですが、当時は音楽会のスターだったそうです。

 さいごに。(解散総選挙だって?)

 菅内閣発足。と同時に、人々の関心は、解散総選挙に向かっているようですが・・・
 コロナ禍の大事な時期に、政治ごっこをやるほど、浅はかではないと信じています。

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