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仮面の告白 [日本の近代文学]

 「仮面の告白」 三島由紀夫 (新潮文庫)


 同性愛の傾向を持つ「私」が半生を振り返り、その苦悩を表した自伝的小説です。
 1949年刊行。当時、同性愛のテーマは珍しかったため、大きな反響を呼びました。


仮面の告白 (新潮文庫)

仮面の告白 (新潮文庫)

  • 作者: 三島 由紀夫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2020/10/28
  • メディア: 文庫



 「私」は子供の頃、グイド・レーニの「聖セバスチャン」の絵に衝撃を受けました。
 美しい青年が裸で縛られ殉教する姿に美を見て、初めて性的な興奮を覚えたのです。

 「その絵を見た刹那、私の全存在は、或る異教的な歓喜に押しゆるがされた。私の血
 液は奔騰し、私の器官は色をたたえた。この巨大な・張り裂けるばかりになった私の
 一部は、今までになく激しく私の行使を待って、私の無知をなじり、憤ろしく息づい
 ていた。」(P40)

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 中学2年生のとき、近江という年上の粗暴な生徒と知り合い、初めて恋をしました。
 「私」は近江の腋毛に憧れ、その裸を見たいと感じ、この頃から悪習を始めました。

 その頃、同級生が女性の裸に興奮するのに、自分はそうならないことに気付きます。
 相変わらず、年上のたくましい青年や年下の美しい青年に、情欲を感じるのでした。

 高等学校では草野という親友ができ、その妹の園子を愛しく思うようになりました。
 と同時に自分の性癖を顧みて、自分に園子を愛する資格があるだろうかと考えます。

 遠縁の娘である千枝子と接吻したとき、「私」はまったく快感を覚えませんでした。
 後に21歳の「私」と19歳の「園子」は相思相愛となり、園子に接吻しますが・・・

 「私」は愛する女に対して、情欲を感じることができるか?
 情欲の無い愛は成立するのか? 「私」と園子の愛はどうなるのか?

 「仮面の告白」は高校時代の読書会の選択図書の一冊で、非常に人気がありました。
 「ヘンタイ小説」という間違った噂が広まっていて、多くの男子が選んだのです。

 当時(1980年代前半)においても、こういう方面の理解は進んでいませんでした。
 逆に言うと、刊行された1949年当時、三島のこの作品がいかに進んでいたことか!

 さて、私は「ヘンタイ小説」という噂ゆえに、読書会でこの本を選びませんでした。
 ある意味正解でした。ヘンタイ的にうまい文章ゆえ、理解できなかったと思うので。

 たとえば、上記で引用したP40などは、非常に繊細に遠回しに表現されています。
 当時の私には、「私の一部」「私の行使」が何なのか、分からなかったでしょう。

 また、三島は「近江の腋毛(わきげ)」などとあからさまな書き方はしていません。
 「腋窩(えきか)に見られる豊穣な毛」です。腋毛さえ優雅に見せてしまうのです。

 ところで、私的にはこの小説は、園子が出てきてからいっきに面白くなりました。
 「私」に多く共感しました。特に、義務観念から娼婦のもとへ行く場面などは・・・ 

 そして、結末に至るラストの緊張感! 胸を締め付けられるような、切ない余韻!
 テーマに対する興味を別にしても、非常にすばらしい文学作品だと断言できます。

 財務省を辞めてまでして小説を書こうとした三島の、命のほとばしりを感じます。
 三島が生涯こだわり続ける「男と死と美」が、すでに前面に押し出されています。

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 さいごに。(野球場へ)

 娘は高校では放送部に入り、地元の高校生の野球大会のアナウンスを時々やります。
 先日久々に野球場に行きました。球場の外で、娘のアナウンスを聞くために。(笑)

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