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失われた時を求めて2 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて1」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 岩波文庫版の訳者は吉川(よしかわ)一義です。格調が高く読みやすい新訳です。
 今回は第一篇「スワン家のほうへ」から第一部「コンブレ―」を紹介します。


失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/11/17
  • メディア: 文庫



 長年早寝をしてきた私は、眠りにつく前に、さまざまな出来事を思い出すのでした。
 とりとめのない記憶のうち、ふとコンブレ―で過ごした幼少時代を思い出しました。

 夕食には時々、株式仲買人の息子で、近くに住んでいるスワン氏がやってきました。
 彼は社交界の寵児でしたが、大叔母をはじめ皆、なかなかそれを信じませんでした。

 加えてスワンは不幸な結婚したために、「私」の家からの評価は低迷しています。
 また、スワンの妻が、シャルリュスという男と浮気をしていることは有名でした。

 「私」の家族は、スワンの妻とその娘ジルベルトを、避けるように暮らしています。
 ところがかえって「私」は、まだ見ぬ少女ジルベルトが気になってしまうのでした。

 スワンは、いったいどのような結婚をしたのか?
 「私」とジルベルトの運命は、いかにして交差するのか?

 「ジルベルトという名前は、この名前で今しがたひとりの人物として形づくられ、一
 瞬前までは不確かなイメージにすぎなかった少女に、いつの日か再会できるお守りの
 ように思えた。」(P310)

 以上、「私」とスワンとジルベルトを中心に述べましたが、これだけだと味気ない。
 しかし、物語の筋と関係ないような逸話の中に、面白いものがたくさんあるのです。

 たとえば、叔父との絶縁。感謝の気持ちから、叔父の家で見たことを親に話すと・・・
 たとえば、ヴァントゥイユ嬢とその女友達。二人はどんな関係で、何をしたのか・・・

 しかししかし、なんといっても忘れてならないのは、マドレーヌ体験でしょう。
 ハーブティーに浸したマドレーヌを食べたとき、突如コンブレ―を思い出す場面です。 

 これは、意志と関係なく思い出すことから、無意志的記憶として知られています。
 フラッシュバックのことかと思ったら、どうやらもっと深い意味があるようです。

 「このエッセンスは、私のうちにあるのではなく、私自身なのだ。もはや自分が凡庸
 な偶然の産物で、死すべき存在だとは思えなくなった。」(P111)

 つまり、「私」は永遠性を感じているのです。これは神秘体験に近いのではないか?
 やがて「私」が、人生の本質を考察するにあたっての、重要な伏線となっています。

 伏線と言えば、終盤近くに次のような、とても大事な記述がありました。
 「スワン家のほう」と「ゲルマントのほう」にまつわる、象徴的な記述です。

 「コンブレ―のまわりには、散歩用にふたつの『方向』があり、それが正反対の方向
 なので、実際、どちらに出かけようとするかで、家を出る扉が違ったのである。ひと
 つはメゼグリーズ=ラ=ヴィヌーズのほうで、そちらに行くときはスワン氏の屋敷の
 前を通るから、スワン家のほうとも呼んでいた。もうひとつがゲルマントのほうであ
 る。(中略)ふたつの方向はたがいに遠く隔てられ、相手を知らないまま、相異なる
 午後のたがいに交流のない閉ざされた器のなかに閉じ込められたも同然だったのであ
 る。」(P296)

 正反対にある「スワン家」と「ゲルマント家」。
 そこに向かうには、最初から違う扉から出て行く!

 ついでながらぜひここで書いておきたいのが、コミック版のジルベルトの絵について。
 頬を表す線が、ヒゲのように見えて変なのです。もう少しかわいく描いてほしかった。

 さいごに。(恒例のメロン丸ごとひとつ)

 今年も、やや小さめのメロンをひとつ買ってきて、ひとりで丸ごと食べました。
 おいしかった! でも、そのあと何度も何度も小便に行かなければなりませんでした。

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