失われた時を求めて1 [20世紀フランス文学]
「失われた時を求めて」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)
記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。
私は岩波文庫版を選びました。全巻刊行されている中で、最も新しい訳だからです。
訳者は吉川(よしかわ)一義です。格調が高いのに読みやすい、実に絶妙な訳です。
岩波文庫版登場以前、鈴木道彦訳の集英社文庫版が定番でした。これも読みやすい。
集英社文庫には、全三冊に圧縮した抄訳版もあって便利。私は2019年に読みました。
現在最も新しいのは、高遠弘美訳の光文社古典新訳文庫版です。これも読みやすい。
ただし2023年7月現在まだ刊行中です。第六巻が出たあと、なかなか次が出ません。
読みやすさの点では岩波文庫版より上なので、最初はこちらを選ぼうと思いました。
しかし、万一私が全巻読もうと思ったとき、刊行途中では困るので考え直しました。
ちなみに私は第一篇と第二篇だけを読もうと思っています。文庫で4巻までです。
全14巻を読もうと思ったら、65歳の定年退職まで待たなければならないので・・・
私は4年ほど前に「失われた時を求めて」の抄訳版を読んでいます。
だから、話は分かっているつもりです。また、この作品の読者を阻む壁についても。
「抄訳版」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2019-11-27
https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2019-12-03
https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2019-12-06
https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2019-12-18
https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2019-12-21
この本の読者を阻む壁は、なんといっても長すぎること。あまりに長すぎることです。
日本語にして原稿用紙1万枚! しかもページはほとんど改行無しでぎっしりです。
加えてあちこち話が飛び、しばしば立ち止まり、いつのまにか迷路に入り込みます。
時には、「どうでもいいだろ」と思うようなことを、延々と論じているし・・・
かつて私はこの作品を、次のように表しました。(抄訳の3回目の紹介で)
「暇を持て余している人が、暇を持て余している人のために書いた小説」であると。
しかし、あのとき否定的に述べた言葉を、今度は肯定的な意味で繰り返したいです。
これは実に味わい深くて贅沢な小説です。リゾートホテルで読むべきですよ。(笑)
無意味とも思われるもやもやした記述の代表的な例が、冒頭の20ページほどです。
語り手の「私」は眠ろうとして、意識朦朧のまま、いろいろなことを思い出します。
この朦朧状態が毒ガスのように効いてきて、多くの読者がやられてしまうのです。
しかし、このもやもや感は、プルースト一流の仕掛けなのではないでしょうか。
私はこの朦朧状態は、時空をさ迷う「魂」を暗示していると、勝手に思っています。
永遠の眠りにつく直前に、体から抜け出た「魂」が、人生を回想しているのだと。
(まるでその根拠を示すかのように、冒頭2ページ目に次のような比喩があります。
「霊魂が転生したあとでは前世で考えたことがわからなくなるのと同じである。」)
(さらにP110には、ケルト信仰における死者の魂の考え方が示されています。
ますますこの物語が、死にゆく「魂」の長大な回想のような気がしてきます。)
もちろん、そのように考えても、冒頭部分の分かりにくさは変わりません。
しかし、その分かりにくさに納得はできて、味わい深く感じることもできるのです。
私の考えと近い解釈をしているのが、フランスコミック版のステファヌ・ウエです。
冒頭の眼だけが宙に浮いている絵は、死んだ「私」の「魂」を暗示しているのでは?
そして「魂」は時空を超えて、幼少の頃のコンブレ―に飛び・・・
死を前にした「魂」は、とりとめもない記憶の世界を追体験して・・・
ところで、初めて読む方に向けて、この小説のオススメの読み方を提案します。
(ちなみに私は「なんちゃって再読者」です。1回目に読んだのは抄訳版なので。)
それは、フランスコミック版の「失われた時を求めて」と並行して読むというもの。
この本は単行本で2500円+税と、少しお高いのですが、それ以上の価値があります。
オールカラーで美しい絵が当時の雰囲気をよく伝え、話は要領よくまとまっています。
絶版だった本が2016年に新版で出ていたのを知り、嬉し涙を流しながら買いました。
最初に10ページほどずつ、きりの良い場面までを、コミック版を読んで予習します。
そのあと、コミック版で読んだ場面まで、文庫本をじっくりと読み進めていきます。
そうやってある程度読んだところで、もう一度コミック版を読んで復習するのです。
こういった使い方ができるのは、コミック版が作品を丁寧に忠実に描いているから。
ただし、現在このコミック版は、第二篇(文庫本第4巻)までしか出ていません。
旧版も第二篇までしか出ませんでした。第三篇以降も出してくれるといいのですが。
「まんがで読破」版は、長大な物語をとりあえずサクッと把握できる点でオススメ。
しかし、フランスコミック版に比べて絵がへぼいし、第一、絶版で手に入りにくい。
さて、次回からこの本の内容について紹介していきたいです。
最後に、「なるほど!」と思った文章を引用します。
「私が新聞に批判的なのは、毎日、くだらないことにわれわれの注意を向けるからで、
それにひきかえ生涯にせいぜい三、四度しか読まない本には、大事なことが詰まって
います。」(P69)
さいごに。(トイレでいつも会う)
私は腎機能障害となってから頻尿で、一時間に1回はトイレに行きます。
ところが、今年度配属されたNさんも腎臓が悪くて、私同様の頻尿です。
そして面白いことに、トイレに行くタイミングがしょっちゅう重なるのです。
トイレで会うことが多いので、軽い打ち合わせは小便をしながら済ませています。
記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。
私は岩波文庫版を選びました。全巻刊行されている中で、最も新しい訳だからです。
訳者は吉川(よしかわ)一義です。格調が高いのに読みやすい、実に絶妙な訳です。
失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/11/17
- メディア: 文庫
岩波文庫版登場以前、鈴木道彦訳の集英社文庫版が定番でした。これも読みやすい。
集英社文庫には、全三冊に圧縮した抄訳版もあって便利。私は2019年に読みました。
失われた時を求めて 文庫版 全13巻完結セット (集英社文庫ヘリテージ)
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/07/02
- メディア: 文庫
抄訳版 失われた時を求めて 文庫版 全3巻完結セット (集英社文庫)
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/02/01
- メディア: 文庫
現在最も新しいのは、高遠弘美訳の光文社古典新訳文庫版です。これも読みやすい。
ただし2023年7月現在まだ刊行中です。第六巻が出たあと、なかなか次が出ません。
読みやすさの点では岩波文庫版より上なので、最初はこちらを選ぼうと思いました。
しかし、万一私が全巻読もうと思ったとき、刊行途中では困るので考え直しました。
ちなみに私は第一篇と第二篇だけを読もうと思っています。文庫で4巻までです。
全14巻を読もうと思ったら、65歳の定年退職まで待たなければならないので・・・
失われた時を求めて 1~第一篇「スワン家のほうへI」~ (光文社古典新訳文庫)
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2013/12/20
- メディア: Kindle版
私は4年ほど前に「失われた時を求めて」の抄訳版を読んでいます。
だから、話は分かっているつもりです。また、この作品の読者を阻む壁についても。
「抄訳版」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2019-11-27
https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2019-12-03
https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2019-12-06
https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2019-12-18
https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2019-12-21
この本の読者を阻む壁は、なんといっても長すぎること。あまりに長すぎることです。
日本語にして原稿用紙1万枚! しかもページはほとんど改行無しでぎっしりです。
加えてあちこち話が飛び、しばしば立ち止まり、いつのまにか迷路に入り込みます。
時には、「どうでもいいだろ」と思うようなことを、延々と論じているし・・・
かつて私はこの作品を、次のように表しました。(抄訳の3回目の紹介で)
「暇を持て余している人が、暇を持て余している人のために書いた小説」であると。
しかし、あのとき否定的に述べた言葉を、今度は肯定的な意味で繰り返したいです。
これは実に味わい深くて贅沢な小説です。リゾートホテルで読むべきですよ。(笑)
無意味とも思われるもやもやした記述の代表的な例が、冒頭の20ページほどです。
語り手の「私」は眠ろうとして、意識朦朧のまま、いろいろなことを思い出します。
この朦朧状態が毒ガスのように効いてきて、多くの読者がやられてしまうのです。
しかし、このもやもや感は、プルースト一流の仕掛けなのではないでしょうか。
私はこの朦朧状態は、時空をさ迷う「魂」を暗示していると、勝手に思っています。
永遠の眠りにつく直前に、体から抜け出た「魂」が、人生を回想しているのだと。
(まるでその根拠を示すかのように、冒頭2ページ目に次のような比喩があります。
「霊魂が転生したあとでは前世で考えたことがわからなくなるのと同じである。」)
(さらにP110には、ケルト信仰における死者の魂の考え方が示されています。
ますますこの物語が、死にゆく「魂」の長大な回想のような気がしてきます。)
もちろん、そのように考えても、冒頭部分の分かりにくさは変わりません。
しかし、その分かりにくさに納得はできて、味わい深く感じることもできるのです。
私の考えと近い解釈をしているのが、フランスコミック版のステファヌ・ウエです。
冒頭の眼だけが宙に浮いている絵は、死んだ「私」の「魂」を暗示しているのでは?
そして「魂」は時空を超えて、幼少の頃のコンブレ―に飛び・・・
死を前にした「魂」は、とりとめもない記憶の世界を追体験して・・・
ところで、初めて読む方に向けて、この小説のオススメの読み方を提案します。
(ちなみに私は「なんちゃって再読者」です。1回目に読んだのは抄訳版なので。)
それは、フランスコミック版の「失われた時を求めて」と並行して読むというもの。
この本は単行本で2500円+税と、少しお高いのですが、それ以上の価値があります。
オールカラーで美しい絵が当時の雰囲気をよく伝え、話は要領よくまとまっています。
絶版だった本が2016年に新版で出ていたのを知り、嬉し涙を流しながら買いました。
最初に10ページほどずつ、きりの良い場面までを、コミック版を読んで予習します。
そのあと、コミック版で読んだ場面まで、文庫本をじっくりと読み進めていきます。
そうやってある程度読んだところで、もう一度コミック版を読んで復習するのです。
こういった使い方ができるのは、コミック版が作品を丁寧に忠実に描いているから。
ただし、現在このコミック版は、第二篇(文庫本第4巻)までしか出ていません。
旧版も第二篇までしか出ませんでした。第三篇以降も出してくれるといいのですが。
「まんがで読破」版は、長大な物語をとりあえずサクッと把握できる点でオススメ。
しかし、フランスコミック版に比べて絵がへぼいし、第一、絶版で手に入りにくい。
さて、次回からこの本の内容について紹介していきたいです。
最後に、「なるほど!」と思った文章を引用します。
「私が新聞に批判的なのは、毎日、くだらないことにわれわれの注意を向けるからで、
それにひきかえ生涯にせいぜい三、四度しか読まない本には、大事なことが詰まって
います。」(P69)
さいごに。(トイレでいつも会う)
私は腎機能障害となってから頻尿で、一時間に1回はトイレに行きます。
ところが、今年度配属されたNさんも腎臓が悪くて、私同様の頻尿です。
そして面白いことに、トイレに行くタイミングがしょっちゅう重なるのです。
トイレで会うことが多いので、軽い打ち合わせは小便をしながら済ませています。
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