宵山万華鏡 新釈走れメロス [日本の現代文学]
「宵山万華鏡」 森見登美彦 (集英社文庫)
祇園祭宵山におけるさまざまな非日常的出来事を描いた、幻想的な連作短編集です。
2009年の刊行です。6編から成り、「きつねのはなし」に通じるものがあります。
「宵山姉妹」「宵山金魚」「宵山劇場」「宵山回廊」「宵山迷宮」「宵山万華鏡」
「姉妹」と「万華鏡」、「金魚」と「劇場」、「回廊」と「迷宮」がセットです。
もっとも面白かったのは、「宵山金魚」でした。これは、ドタバタ劇でした。
祇園祭のしきたりを守らなかった青年が、宵山様のもとに連れ出される話です。
藤田は、高校時代の同級生の乙川に、宵山を案内してもらうことになりました。
ところが藤田は乙川とはぐれてしまい、立ち入り禁止区域に入ってしまいました。
たちまちやってきた祇園祭司令部。「くそたわけ! 宵山様に申し訳ないと思え!」
御輿でかつがれ、宵山様のもとにしょっぴかれます。その、宵山様とは・・・
「意味はない。意味のないところに意義がある。」(P98)
無意味でバカバカしい展開です。そういう点で、もっとも森見らしさを感じました。
続く「宵山劇場」は、その舞台裏を明かした作品で、ワンセットで味わいたいです。
小長井と山田川がナイスコンビです。ほのぼのとした味わいがあってオススメです。
「宵山回廊」と「宵山迷宮」は、一転してちょっと怖い感じのする物語です。
千鶴が会いに行くと、叔父は言いました。「明日からはもう、会えなくなる」と。
叔父は15年前の宵山で娘の京子を失いました。京子はその日から行方不明なのです。
ところが、露店で買った万華鏡で宵山をのぞくと、そこに娘の京子が映って・・・
「あの子はずっと宵山にいたんだ。だから俺もずっと宵山にいる」(P161)
「おれはこの一日から出ることはない」という叔父の言葉は、どういうことなのか?
続く「宵山迷宮」は、画廊の柳さんの話です。彼もまた宵山を繰り返していて・・・
骨董屋の乙川が言う「水晶玉」とは何か? なぜ彼らはみな宵山を繰り返すのか?
最後に、さまざまなエピソードが、種明かし的に語られるのが「宵山万華鏡」です。
しかしすべての謎が解けるわけではありません。いったい宵山様とは何だったのか?
もう一度全6編を読み直したくなりました。そういう意味で、魅力的な短編集です。
また、京都の祇園祭宵山を、実際に見に行きたくなります。
「祇園祭というからには八坂神社が本拠地なのだと理屈では分かっても、縦横無尽に
祭りが蔓延して、どちらの方角に八坂神社があるのかさえあやふやである。祭りがぼ
んやりと輝く液体のようにひたひたと広がって、街を吞みこんでしまっている。」
(P64)
さて、森見の連作短編集にはほかに「新釈 走れメロス」(角川文庫)があります。
「走れメロス」「山月記」「藪の中」など名作が、森見流にアレンジされています。
「走れメロス」は、自分を信じる友のため命をかけて走り続ける男の物語です。
太宰治の傑作ですが、森見流にアレンジされるとこんなふうになってしまう!
大学の詭弁論部所属の芽野と芹名は親友で、「阿呆の双璧」と言われています。
ふたりは「パンツ番長戦」で引き分けとなって以来、お互いを認め合う仲です。
あるとき芽野が、悪名高き図書館警察長官に談判に行って捕まりました。
長官に、ブリーフ一丁で踊って学園祭のフィナーレを飾れ、と命令されました。
芽野は、姉の結婚式に出るため猶予を請い、身代わりに芹名を差し出しました。
しかし、芹名には分かっていたのです。芽野には戻る気がないということが。
「これは信頼しないという形をとった信頼、友情に見えない友情だ」(P135)
そして、フィナーレのブリーフ一丁踊りは・・・
タイトル作は面白いです。あまりにもくだらなくて涙が出そうになります。
ただし、ほかの4編はぱっとしません。原作を読んだ方が良いと思います。
さいごに。(バウンドケーキ?)
「パウンドケーキ」のことを、これまで「バウンドケーキ」だと思っていました。
うちではそれをネタにして、妻も娘もわざと「バウンドケーキ」と言っています。
祇園祭宵山におけるさまざまな非日常的出来事を描いた、幻想的な連作短編集です。
2009年の刊行です。6編から成り、「きつねのはなし」に通じるものがあります。
「宵山姉妹」「宵山金魚」「宵山劇場」「宵山回廊」「宵山迷宮」「宵山万華鏡」
「姉妹」と「万華鏡」、「金魚」と「劇場」、「回廊」と「迷宮」がセットです。
もっとも面白かったのは、「宵山金魚」でした。これは、ドタバタ劇でした。
祇園祭のしきたりを守らなかった青年が、宵山様のもとに連れ出される話です。
藤田は、高校時代の同級生の乙川に、宵山を案内してもらうことになりました。
ところが藤田は乙川とはぐれてしまい、立ち入り禁止区域に入ってしまいました。
たちまちやってきた祇園祭司令部。「くそたわけ! 宵山様に申し訳ないと思え!」
御輿でかつがれ、宵山様のもとにしょっぴかれます。その、宵山様とは・・・
「意味はない。意味のないところに意義がある。」(P98)
無意味でバカバカしい展開です。そういう点で、もっとも森見らしさを感じました。
続く「宵山劇場」は、その舞台裏を明かした作品で、ワンセットで味わいたいです。
小長井と山田川がナイスコンビです。ほのぼのとした味わいがあってオススメです。
「宵山回廊」と「宵山迷宮」は、一転してちょっと怖い感じのする物語です。
千鶴が会いに行くと、叔父は言いました。「明日からはもう、会えなくなる」と。
叔父は15年前の宵山で娘の京子を失いました。京子はその日から行方不明なのです。
ところが、露店で買った万華鏡で宵山をのぞくと、そこに娘の京子が映って・・・
「あの子はずっと宵山にいたんだ。だから俺もずっと宵山にいる」(P161)
「おれはこの一日から出ることはない」という叔父の言葉は、どういうことなのか?
続く「宵山迷宮」は、画廊の柳さんの話です。彼もまた宵山を繰り返していて・・・
骨董屋の乙川が言う「水晶玉」とは何か? なぜ彼らはみな宵山を繰り返すのか?
最後に、さまざまなエピソードが、種明かし的に語られるのが「宵山万華鏡」です。
しかしすべての謎が解けるわけではありません。いったい宵山様とは何だったのか?
もう一度全6編を読み直したくなりました。そういう意味で、魅力的な短編集です。
また、京都の祇園祭宵山を、実際に見に行きたくなります。
「祇園祭というからには八坂神社が本拠地なのだと理屈では分かっても、縦横無尽に
祭りが蔓延して、どちらの方角に八坂神社があるのかさえあやふやである。祭りがぼ
んやりと輝く液体のようにひたひたと広がって、街を吞みこんでしまっている。」
(P64)
さて、森見の連作短編集にはほかに「新釈 走れメロス」(角川文庫)があります。
「走れメロス」「山月記」「藪の中」など名作が、森見流にアレンジされています。
「走れメロス」は、自分を信じる友のため命をかけて走り続ける男の物語です。
太宰治の傑作ですが、森見流にアレンジされるとこんなふうになってしまう!
大学の詭弁論部所属の芽野と芹名は親友で、「阿呆の双璧」と言われています。
ふたりは「パンツ番長戦」で引き分けとなって以来、お互いを認め合う仲です。
あるとき芽野が、悪名高き図書館警察長官に談判に行って捕まりました。
長官に、ブリーフ一丁で踊って学園祭のフィナーレを飾れ、と命令されました。
芽野は、姉の結婚式に出るため猶予を請い、身代わりに芹名を差し出しました。
しかし、芹名には分かっていたのです。芽野には戻る気がないということが。
「これは信頼しないという形をとった信頼、友情に見えない友情だ」(P135)
そして、フィナーレのブリーフ一丁踊りは・・・
タイトル作は面白いです。あまりにもくだらなくて涙が出そうになります。
ただし、ほかの4編はぱっとしません。原作を読んだ方が良いと思います。
さいごに。(バウンドケーキ?)
「パウンドケーキ」のことを、これまで「バウンドケーキ」だと思っていました。
うちではそれをネタにして、妻も娘もわざと「バウンドケーキ」と言っています。
2024-01-29 04:00
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