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ゴドーを待ちながら [20世紀イギリス文学]

 「ゴドーを待ちながら」 ベケット作 安堂信也・高橋康也訳 (白水Uブックス)


 二人の浮浪者がゴトーという人物を待ちながら、ただ時間をつぶすだけの戯曲です。
 1953年の初演と同時に賛否両論が巻き起こりました。不条理演劇の代表作です。

 ハヤカワ演劇文庫に入ったら購入しようと思っていましたが、なかなか入りません。
 白水Uブックスは新書です。1200円と比較的手ごろなので購入して読んでみました。


ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)

  • 作者: サミュエル ベケット
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2013/06/18
  • メディア: 新書



 夕暮れどき田舎道の木の下で、浮浪者のエストラゴンとウラジーミルが出会いました。
 二人はゴドーを待つ間、たわいもないおしゃべりをして過ごしますが・・・

 ゴドーとは何者か? 気になりますが、ゴドーはいつまでたっても現れません。
 それどころかエストラゴンもウラジーミルも、ゴトーが何者か知らないようなのです。

 「もう行こう。」
 「だめだよ。」
 「なぜさ?」
 「ゴドーを待つんだ。」

 こうしてただただ無駄な時間が過ぎていき、最後までゴドーは現れないのです。
 そこが、「不条理演劇の最高傑作」と言われるゆえんです。

 さて、「ゴドー」は「ゴッド」のもじりだろうという有力な説があります。
 「神の死のあとの時代に神もどきを待ち続ける現代人」という寓意があるのだとか。

 ならば、木の前で待っているうちに、首を吊りたくなるという場面もイミシンです。
 首吊りして死んで初めて彼らはゴドー(神?)に会える、ということでしょうか。

 逆に言うと、我々は生きている以上、ゴドーに会えないということなのでしょうか。
 「ツァラトゥストラ」同様、「神は死んだ」というメッセージが聞こえてきます。

 「そうだ、この広大なる混沌の中で明らかなことはただ一つ、すなわち、われわれは
 ゴドーの来るのを待っているということだ。」(P158)

 しかし、ゴドーは本当にゴッドなのでしょうか。本当はいったい何者なのでしょうか。
 ところが、ゴドーが何者なのかは、ベケット自身も知らなかったとも言われています。

 「ゴドーは誰か」と聞かれた時、ベケットは次のように答えたのだそうです。
 「知っていたら作品の中に書いたでしょう」(解題より)

 「それより、あした首をつろう。(間)ゴドーが来れば別だが。」
 「もし来たら?」
 「わたしたちは救われる。」(P195)

 やっぱりゴドーは、神か救世主を象徴しているのでしょうか。
 いや、意味がありそうで、実は何の意味もない、ということも充分考えられます。

 さいごに。(アイスの御褒美)

 先日娘は、陸上教室に参加するため、11キロ離れた競技場まで自転車で往復しました。
 1時間以上かかって競技場に到着したら、すでに暑さと疲労でフラフラだったと言う。

 しかしそれから3時間以上の練習に耐え、また1時間以上かけて帰ってきました。
 その日は特別に、サーティワンに娘を連れて行って、アイスを食べさせました。

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