「現代の国語」「言語文化」(娘の教科書) [その他・雑感]
「現代の国語」「言語文化」(大修館)
さて、年度初めの冗談みたいな忙しさは、今週の木曜日までがピークでした。
睡眠時間を4時間は取ろうと努力しましたが、水曜日は3時間しか取れませんでした。
まったく本が読めなかったので、高校生になった娘の国語の教科書について書きます。
娘の高校では、大修館の「現代の国語」と「言語文化」を使用しています。
実は、国語がこのような二科目の編成になるのは、今年度の高校1年生からなのです。
昨年までの高校生は「国語総合」という4単位(週4時間)の科目をやっていました。
「国語総合」の中には、現代文と古文と漢文がありました。だから「総合」なのです。
そして、現代文には、実用的な文章もあれば、文学的な文章もありました。
ところが、今年から始まった二科目は、内容が実にアンバランスなのです。
「現代の国語」で扱えるのは現代文だけで、しかも文学的な文章はダメだからです。
実際に娘の「現代の国語」を見てみると、評論文や解説文や実用的な文章ばかりです。
そして、所々に国語表現的取り組みが、ページ数稼ぎのように差し込まれていました。
逆に、「言語文化」では、現代文も古文も漢文も扱うことになっています。
さらに現代文では、小説などの文学的な文章のほか、評論文なども扱えるのです。
実際に娘の「言語文化」を見てみると、以前の「国語総合」の凝縮版のようでした。
現代文は、「羅生門」や「夢十夜」はもちろん、評論も詩も短歌も入っていました。
古文は、今昔物語集、徒然草、枕草子、和歌、伊勢物語、平家物語、土佐日記・・・
漢文は、論語、孟子、故事成語、十八史略、李白、杜甫、韓愈、「人面桃花」・・・
つまり「言語文化」には、これまで日本人が大切にしてきた教養が詰まっています。
日本人特有の情緒や伝統文化の理解は、「言語文化」を通して学ぶことができます。
ということで、思い切って言いましょう。
「現代の国語」は内容が薄い! 「言語文化」は内容が濃すぎ!
これは、実際に教科書のページ数に、露骨に表われています。
「現代の国語」は274ページ。「言語文化」は354ページ。差がありすぎですよ。
しかし、これをどちらも2単位(週2時間)ずつ行うのです。先生は困るでしょう。
きっと、「現代の国語」の時間は余って、「言語文化」の時間は足りなくなります。
ここで思い出すのは、昨年話題になった、第一学習社の国語教科書検定問題です。
第一学習社の「現代の国語」は、5編の文学作品を載せながら検定に合格しました。
文学作品を除くはずの「現代の国語」に、「羅生門」も「夢十夜」も入っています。
これによって第一学習社は教科書採用数でトップとなり、他社は怒っているのです。
「話が違うだろう」と言って、批判は文部科学省と第一学習社に向けられました。
「正直者がバカを見た」ということも言われました。しかし本当にそうでしょうか?
私は、第一学習社は、現場の要望にしっかり応える仕事をしたと思っています。
検定不合格のリスクをとっても、先生や生徒のために挑戦をしたのだと思います。
その結果、多くの現場に受け入れられました。
それは、第一学習社の企業努力の成果だと思います。
そういう努力や挑戦をしなかった出版社が、つべこべ言うべきではありません。
むしろ自分たちの怠慢(と言ったら言い過ぎでしょうか)を反省すべきでしょう。
さて一方、この教科書を検定で合格させた文科省も、えらいと私は思っています。
彼らは、今回の学習指導要領がろくでもない間違いだったと、素直に認めました。
だからこそ罪滅ぼしに、少しでも現場の役に立つことをした、と私は見ています。
つまり、自分たちの過ちにいちはやく向き合い、軌道修正しようとしたのです。
いまだに「ゆとり教育はまちがっていない」と言っている、あの頑固な文科省が。
おそらく、現在の文科省の方々は非常に器の大きな人たちだと、私は思います。
チャレンジした第一学習社もあっぱれ。
それを認めた文科省もあっぱれ。
私もひとりの親として、第一学習社で学ばせたかったと、思ってしまいました。
「現代の国語」で「羅生門」と「夢十夜」をやれば、「言語文化」に余裕が・・・
我々文学愛好家は、「言語文化」の授業をたくさんやってほしいと願うからです。
(やれやれ、つい熱くなってしまった。また寝るのが遅くなった・・・)
さて、年度初めの冗談みたいな忙しさは、今週の木曜日までがピークでした。
睡眠時間を4時間は取ろうと努力しましたが、水曜日は3時間しか取れませんでした。
まったく本が読めなかったので、高校生になった娘の国語の教科書について書きます。
娘の高校では、大修館の「現代の国語」と「言語文化」を使用しています。
実は、国語がこのような二科目の編成になるのは、今年度の高校1年生からなのです。
昨年までの高校生は「国語総合」という4単位(週4時間)の科目をやっていました。
「国語総合」の中には、現代文と古文と漢文がありました。だから「総合」なのです。
そして、現代文には、実用的な文章もあれば、文学的な文章もありました。
ところが、今年から始まった二科目は、内容が実にアンバランスなのです。
「現代の国語」で扱えるのは現代文だけで、しかも文学的な文章はダメだからです。
実際に娘の「現代の国語」を見てみると、評論文や解説文や実用的な文章ばかりです。
そして、所々に国語表現的取り組みが、ページ数稼ぎのように差し込まれていました。
逆に、「言語文化」では、現代文も古文も漢文も扱うことになっています。
さらに現代文では、小説などの文学的な文章のほか、評論文なども扱えるのです。
実際に娘の「言語文化」を見てみると、以前の「国語総合」の凝縮版のようでした。
現代文は、「羅生門」や「夢十夜」はもちろん、評論も詩も短歌も入っていました。
古文は、今昔物語集、徒然草、枕草子、和歌、伊勢物語、平家物語、土佐日記・・・
漢文は、論語、孟子、故事成語、十八史略、李白、杜甫、韓愈、「人面桃花」・・・
つまり「言語文化」には、これまで日本人が大切にしてきた教養が詰まっています。
日本人特有の情緒や伝統文化の理解は、「言語文化」を通して学ぶことができます。
ということで、思い切って言いましょう。
「現代の国語」は内容が薄い! 「言語文化」は内容が濃すぎ!
これは、実際に教科書のページ数に、露骨に表われています。
「現代の国語」は274ページ。「言語文化」は354ページ。差がありすぎですよ。
しかし、これをどちらも2単位(週2時間)ずつ行うのです。先生は困るでしょう。
きっと、「現代の国語」の時間は余って、「言語文化」の時間は足りなくなります。
ここで思い出すのは、昨年話題になった、第一学習社の国語教科書検定問題です。
第一学習社の「現代の国語」は、5編の文学作品を載せながら検定に合格しました。
文学作品を除くはずの「現代の国語」に、「羅生門」も「夢十夜」も入っています。
これによって第一学習社は教科書採用数でトップとなり、他社は怒っているのです。
「話が違うだろう」と言って、批判は文部科学省と第一学習社に向けられました。
「正直者がバカを見た」ということも言われました。しかし本当にそうでしょうか?
私は、第一学習社は、現場の要望にしっかり応える仕事をしたと思っています。
検定不合格のリスクをとっても、先生や生徒のために挑戦をしたのだと思います。
その結果、多くの現場に受け入れられました。
それは、第一学習社の企業努力の成果だと思います。
そういう努力や挑戦をしなかった出版社が、つべこべ言うべきではありません。
むしろ自分たちの怠慢(と言ったら言い過ぎでしょうか)を反省すべきでしょう。
さて一方、この教科書を検定で合格させた文科省も、えらいと私は思っています。
彼らは、今回の学習指導要領がろくでもない間違いだったと、素直に認めました。
だからこそ罪滅ぼしに、少しでも現場の役に立つことをした、と私は見ています。
つまり、自分たちの過ちにいちはやく向き合い、軌道修正しようとしたのです。
いまだに「ゆとり教育はまちがっていない」と言っている、あの頑固な文科省が。
おそらく、現在の文科省の方々は非常に器の大きな人たちだと、私は思います。
チャレンジした第一学習社もあっぱれ。
それを認めた文科省もあっぱれ。
私もひとりの親として、第一学習社で学ばせたかったと、思ってしまいました。
「現代の国語」で「羅生門」と「夢十夜」をやれば、「言語文化」に余裕が・・・
我々文学愛好家は、「言語文化」の授業をたくさんやってほしいと願うからです。
(やれやれ、つい熱くなってしまった。また寝るのが遅くなった・・・)
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