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真夜中の子供たち3 [20世紀イギリス文学]

 「真夜中の子供たち(下)」 サルマン・ラシュディ作 寺門泰彦訳 (岩波文庫)


 インド独立の夜中0時に生まれた子供たちを中心に、当時のインドを描いた小説です。
 1981年発表。全3巻。岩波文庫では上下二分冊。今回は下巻の内容を紹介します。


真夜中の子供たち(下) (岩波文庫 赤 N 206-2)

真夜中の子供たち(下) (岩波文庫 赤 N 206-2)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2020/06/17
  • メディア: 文庫



 1962年11月、サリーム・シナイが15歳(?)のとき、中印国境紛争が休戦しました。
 「お祝いに遠足に行きましょう」と言われ、サリームが連れて行かれた場所は・・・

 なんと病院でした。手術で鼻から膿を出したら、テレパシー能力まで奪われました。
 しかし、その代わりにサリームには、すべてを嗅ぎ分ける嗅覚が備わりました。

 その嗅覚のおかげか、印パ戦争で爆撃された際、サリームだけが助かりました。
 ところが飛んできた短壺が頭に当たり、その衝撃ですべての記憶が失われたのです。

 6年後のパキスタンでは、3人の兵士と1匹の犬の小隊が活動していました。
 しかし、ある小隊では、追跡犬の代わりを嗅覚の鋭い「犬男」が務めていて・・・

 という具合で、第三巻は最初から笑える展開です。
 相変わらずバカバカしくも楽しいエピソードがあり、物語の味付けとなっています。

 ある兵士は「犬男」にいたずらをしようとして、彼の使う便器に電流を流しました。
 彼はまるで気づかず、放尿しながらそのモノから電気を吸収し、鼻で蓄電して・・・

 しかし、もっとも面白かったのは、サリームが自分の 〇 に求愛する場面でした。
 人から奪った呪文の羊皮紙を使って・・・この行為によって彼は清浄さを失い・・・

 サリームは記憶を一掃したことでリセットされたのか、ようやく浄化されました。
 名も無いただの「犬男」として生きることで、彼は罪滅ぼしをしたのでしょうか。

 さて、サリームは犬になったり、籠の中に隠れて透明人間となったりしましたが、
 自分を「無」にした結果、逆に「自分はすべてである」と悟ることになりました。

 「あるがままの自分とは? 私の答えはこうだ。私は私の前に過ぎ去ったすべてのも
 の、私が在り、見て、行なったすべてのもの、私に対してなされたすべてのものの総
 計である。この世に在ることによって私に影響を与え、かつ私から影響をうけた、す
 べての人、すべての物、それがすなわち私である。私は私が去ったあとに起こる、し
 かも私が来なかったら起こらなかったであろうすべてのものである。」(P335)

 なるほど。だから、時としてどうでもいいようなことが、細かく描かれているのか。
 この小説は、サリームを描きながら、同時にインドそのものを描いています。

 余談ですが、この物語についての感想を付け加えるなら「とにかく長い」に尽きます。
 しかも、ぐじゃぐじゃしているために、何度も迷子になりました。

 結末にたどり着いたころには、頭も体も疲れてしまい、うまく理解できませんでした。
 直前で15インチのうんこを出す男が出て来たりして、翻弄されてしまいました。

 この小説は、決して読みやすくはありません。また、決して万人向けではありません。
 しかし、それでも購入しておくことを勧めます。そのうちまた絶版になると思うので。

 さいごに。(あなたはスタバで恥ずかしげもなくほうじ茶を注文できるか)

 私はスタバが好きです。あの空間がたまらない。時々、文庫本を持って行きます。
 ところが、私はコーヒーが好きではない。では、どうするか?

 「ほうじ茶のホット、ストレートで!」
 コーヒーの名店ではありますが、私は恥ずかしげもなくこういう注文ができます。

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