ブッデンブローク家の人びと2 [20世紀ドイツ文学]
「ブッデンブローク家の人びと」 トーマス・マン作 望月市恵訳 (岩波文庫)
前回の続きです。「ブッデンブローク家の人びと」は、岩波文庫から出ています。
ブッデンブローク商会を経営する一族の没落を、四代にわたって描いた大作です。
私にとってこの作品は、「男の物語」でした。
つまり、ブッデンブローク商会を継いだ、ジャンとトーマスの父子の物語でした。
偉大な父から商会を継いだジャンは、常に冷静に誠実に、商会を運営します。
革命があっても、娘の不幸な結婚があっても、淡々と商会の維持に努めました。
やがて、過労で倒れました。
そのあとを継いだトーマスは、商会に新風を送り、自分流の運営をします。
戦争があっても、取引先の倒産があっても、商会の建て直しに努めました。
やがて、心労で倒れました。
この二人は、それぞれのやり方で、商会の経営に人生を捧げました。
しかし、時代の流れには逆らえません。一族の没落は宿命のようでした。
ジャンとトーマスは、その宿命を感じていたのではないかと思います。
翳りゆく運命を知りながら、それでも全力で、自分の使命を果たしていた。
そこに、「滅びの美」を感じました。
そして、この滅び行く男たちに、私はとても共感したのです。
トーマスがどこかで言っていた言葉が、印象に残っています。
次のような言葉です。
人は上り坂を登っているつもりでも、実はすでに下り坂にさしかかっている。
星は、最も明るく輝いているときに、すでにもう消えかかっている。
本作品執筆時、トーマス・マンはショーペンハウアーに惹かれていたそうです。
ショーペンハウアーの悲観主義が、上記の言葉に表れている気がします。
この長大な物語は、トーマスの死で終わってもよかった。
ラストの第11部で、一族が終焉を迎える様子は、読んでいてつらくてつらくて。
余談ですが、ある意味、ジャンとトーマス以上に存在感があるのがトーニです。
このおてんば娘が出てくると、その場が生き生きとします。
父ジャンの勧める結婚相手に、公然と「ノー」と言うトーニ。
世間体を気にする兄トーマスに、思いのたけをぶつけるトーニ。
しかしそのトーニが、人生の重大事では、男の論理に縛られてしまう。
1回目の結婚も、2回目の結婚も。さらに娘の結婚のときも。
もしトーニが、アンナ・カレーニナのように、家を飛び出していたら?
一族から離れて、勝手気ままに生きたとしたら?
そうしたら、この小説は、「女の物語」になっていたでしょう。
そういうトーニの冒険を、読んでみたい気もします。
さて、北杜夫は、この作品に刺激されて、大作「楡家の人びと」を書きました。
ユーモアがあって、面白い小説だそうです。読んでみたいです。
トーマス・マンの「ベニスに死す」「ファウスト博士」も読んでおきたい。
さいごに。(ビリーブ)
娘の小学校の「今月の歌」は、「ビリーブ」。
我々が小学校の時(40年前)には、無かった歌です。
娘が歌ってくれましたが、とても良い歌ですね。
最近は毎日、お風呂で娘と一緒に歌っています。
前回の続きです。「ブッデンブローク家の人びと」は、岩波文庫から出ています。
ブッデンブローク商会を経営する一族の没落を、四代にわたって描いた大作です。
私にとってこの作品は、「男の物語」でした。
つまり、ブッデンブローク商会を継いだ、ジャンとトーマスの父子の物語でした。
偉大な父から商会を継いだジャンは、常に冷静に誠実に、商会を運営します。
革命があっても、娘の不幸な結婚があっても、淡々と商会の維持に努めました。
やがて、過労で倒れました。
そのあとを継いだトーマスは、商会に新風を送り、自分流の運営をします。
戦争があっても、取引先の倒産があっても、商会の建て直しに努めました。
やがて、心労で倒れました。
この二人は、それぞれのやり方で、商会の経営に人生を捧げました。
しかし、時代の流れには逆らえません。一族の没落は宿命のようでした。
ジャンとトーマスは、その宿命を感じていたのではないかと思います。
翳りゆく運命を知りながら、それでも全力で、自分の使命を果たしていた。
そこに、「滅びの美」を感じました。
そして、この滅び行く男たちに、私はとても共感したのです。
トーマスがどこかで言っていた言葉が、印象に残っています。
次のような言葉です。
人は上り坂を登っているつもりでも、実はすでに下り坂にさしかかっている。
星は、最も明るく輝いているときに、すでにもう消えかかっている。
本作品執筆時、トーマス・マンはショーペンハウアーに惹かれていたそうです。
ショーペンハウアーの悲観主義が、上記の言葉に表れている気がします。
この長大な物語は、トーマスの死で終わってもよかった。
ラストの第11部で、一族が終焉を迎える様子は、読んでいてつらくてつらくて。
余談ですが、ある意味、ジャンとトーマス以上に存在感があるのがトーニです。
このおてんば娘が出てくると、その場が生き生きとします。
父ジャンの勧める結婚相手に、公然と「ノー」と言うトーニ。
世間体を気にする兄トーマスに、思いのたけをぶつけるトーニ。
しかしそのトーニが、人生の重大事では、男の論理に縛られてしまう。
1回目の結婚も、2回目の結婚も。さらに娘の結婚のときも。
もしトーニが、アンナ・カレーニナのように、家を飛び出していたら?
一族から離れて、勝手気ままに生きたとしたら?
そうしたら、この小説は、「女の物語」になっていたでしょう。
そういうトーニの冒険を、読んでみたい気もします。
さて、北杜夫は、この作品に刺激されて、大作「楡家の人びと」を書きました。
ユーモアがあって、面白い小説だそうです。読んでみたいです。
トーマス・マンの「ベニスに死す」「ファウスト博士」も読んでおきたい。
さいごに。(ビリーブ)
娘の小学校の「今月の歌」は、「ビリーブ」。
我々が小学校の時(40年前)には、無かった歌です。
娘が歌ってくれましたが、とても良い歌ですね。
最近は毎日、お風呂で娘と一緒に歌っています。
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