修禅寺物語 [日本の近代文学]
「修禅寺物語」 岡本綺堂 (長倉書店)
面作り師「夜叉王」の娘「桂」と二代将軍源頼家との、愛と宿命を描いた戯曲です。
作者を代表する戯曲で、上演と同時に大評判になった新歌舞伎の名作です。
長倉書店から文庫版で出ていました。表紙は「頼家の面」です。現在は絶版。
現在、なかなか手に入りにくい本ですが、キンドルではなんと0円です。
面作り師の夜叉王は、修禅寺に幽閉されていた頼家に、面を依頼されていました。
しかし、なぜか頼家を写した面は、なかなか満足のいくものになりませんでした。
ある日、しびれを切らした頼家の怒りを買い、夜叉王は斬られそうになりました。
娘の桂(かつら)が試作品の面を渡すと、頼家は満足してそれを持ち帰りました。
ところが、夜叉王の職人気質は、その処置に納得できません。
一方、桂は頼家のもとに奉公し、頼家に愛されるようになりました。
やがて頼家と桂に襲いかかる、恐ろしい運命。そのとき桂がとった行動は?
のちに分かった、夜叉王が納得できる面を作れなかった理由とは?
この戯曲の魅力は、なんといっても桂の激しい感情と行動力です。
人生をひたすら駆け抜け、一瞬ぱっと輝き、そして燃え尽きてしまう。
「いたずらに、百年千年いきたとて何となろう。たとい半とき一ときでも、
将軍家のおそばに召し出だされ、若狭の局という名をも給わるからは、これ
で出世の望みもかのうた。死んでもわたしは本望じゃ。」(P38)
また、結末がすごいです。父の夜叉王が、桂の最期のときにしたことは?・・・
芥川龍之介の「地獄変」を連想しました。
岡本綺堂は、修禅寺で「伝・頼家の面」を見て、この戯曲を書き上げたそうです。
その面は今も、宝物館で見ることができます。私は1999年に見ました。
この宝物館のショップで、私は「修禅寺物語」を購入しました。1000円でした。
長倉書店という所から出版されていました。地元修善寺の書店らしい。
「修禅寺物語」ほか「頼家の仮面」「修禅寺物語」「秋の修禅寺」「春の修禅寺」
などのエッセイが収録されています。修禅寺ファンにはたまらない編集です。
結婚後まもなく、妻と一緒に修善寺を巡ったのも、とても懐かしい思い出です。
頼家の墓や範頼の墓を、歩いて周りました。あのころは、若かった!
さいごに。(声をかけないで)
昨日の土曜日、娘の小学校では、参観会がおこなわれました。
娘の座席は一番後ろなので、声をかけたくなってしまいました。
しかし、前日に釘を刺されていたのです。「パパ、私に声をかけないでよ」と。
「私が恥ずかしい思いをしたら、1週間話さないからね。」とも言われました。
声をかけたかったけど我慢しました。1週間話してもらえないのはつらいので。
面作り師「夜叉王」の娘「桂」と二代将軍源頼家との、愛と宿命を描いた戯曲です。
作者を代表する戯曲で、上演と同時に大評判になった新歌舞伎の名作です。
長倉書店から文庫版で出ていました。表紙は「頼家の面」です。現在は絶版。
現在、なかなか手に入りにくい本ですが、キンドルではなんと0円です。
面作り師の夜叉王は、修禅寺に幽閉されていた頼家に、面を依頼されていました。
しかし、なぜか頼家を写した面は、なかなか満足のいくものになりませんでした。
ある日、しびれを切らした頼家の怒りを買い、夜叉王は斬られそうになりました。
娘の桂(かつら)が試作品の面を渡すと、頼家は満足してそれを持ち帰りました。
ところが、夜叉王の職人気質は、その処置に納得できません。
一方、桂は頼家のもとに奉公し、頼家に愛されるようになりました。
やがて頼家と桂に襲いかかる、恐ろしい運命。そのとき桂がとった行動は?
のちに分かった、夜叉王が納得できる面を作れなかった理由とは?
この戯曲の魅力は、なんといっても桂の激しい感情と行動力です。
人生をひたすら駆け抜け、一瞬ぱっと輝き、そして燃え尽きてしまう。
「いたずらに、百年千年いきたとて何となろう。たとい半とき一ときでも、
将軍家のおそばに召し出だされ、若狭の局という名をも給わるからは、これ
で出世の望みもかのうた。死んでもわたしは本望じゃ。」(P38)
また、結末がすごいです。父の夜叉王が、桂の最期のときにしたことは?・・・
芥川龍之介の「地獄変」を連想しました。
岡本綺堂は、修禅寺で「伝・頼家の面」を見て、この戯曲を書き上げたそうです。
その面は今も、宝物館で見ることができます。私は1999年に見ました。
この宝物館のショップで、私は「修禅寺物語」を購入しました。1000円でした。
長倉書店という所から出版されていました。地元修善寺の書店らしい。
「修禅寺物語」ほか「頼家の仮面」「修禅寺物語」「秋の修禅寺」「春の修禅寺」
などのエッセイが収録されています。修禅寺ファンにはたまらない編集です。
結婚後まもなく、妻と一緒に修善寺を巡ったのも、とても懐かしい思い出です。
頼家の墓や範頼の墓を、歩いて周りました。あのころは、若かった!
さいごに。(声をかけないで)
昨日の土曜日、娘の小学校では、参観会がおこなわれました。
娘の座席は一番後ろなので、声をかけたくなってしまいました。
しかし、前日に釘を刺されていたのです。「パパ、私に声をかけないでよ」と。
「私が恥ずかしい思いをしたら、1週間話さないからね。」とも言われました。
声をかけたかったけど我慢しました。1週間話してもらえないのはつらいので。
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