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ドン・キホーテ4 [17世紀文学]

 「ドン・キホーテ(後篇一)」 セルバンテス作 牛島信明訳 (岩波文庫)


 自分を偉大な騎士だと妄想するドン・キホーテと、従者サンチョの物語の後篇です。
 前篇が好評だったため、その10年ほど後に書かれました。前篇以上の面白さです。

 岩波文庫から全六冊で出ています。分かりやすくて、とても味わいのある名訳です。
 後篇最初となる「後篇(一)」には、第1章から第24章までが収められています。


ドン・キホーテ〈後篇1〉 (岩波文庫)

ドン・キホーテ〈後篇1〉 (岩波文庫)

  • 作者: セルバンテス
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2001/02/16
  • メディア: 文庫



 前篇でドン・キホーテを連れ戻した司祭と床屋が、1か月ぶりに彼を訪ねました。
 正気に見えたドン・キホーテですが、騎士の話になるとヘンなことを言い出します。

 「わしは遍歴の騎士として死すべき運命にあるのじゃ。トルコにはいつでも好きな時
 に、好きなだけの強大な軍勢を整えて、攻め寄せるなり退却するなり好きなようにさ
 せればよいわ。重ねて言うが、神はわしの意味するところをご存じだからな。」(P28)

 サンチョがやって来たので、ドン・キホーテが世間での自分の評判を尋ねると・・・
 「お前様を大変な狂人で、おいらをそれに輪をかけたばか者だと思ってます。」(P52)

 ドン・キホーテは自分の伝記が出ていると知り、カラスコにその内容を尋ねると・・・
 やって来たカラスコは、ひざまずいて彼をおだてあげながら、愚弄し始めました。

 ドン・キホーテの出発を止めてくれと頼まれて、カラスコが言うことには・・・
 「貴殿は明日ともいわず今日すぐにでも雄途につかれるがよい。」

 ドン・キホーテは出発の際、思い姫のドゥルシネーアに挨拶に行き・・・
 鏡の騎士と出会い、決闘することになって・・・

 狂人とみなされたドン・キホーテは、前篇同様、後編でも周囲から嘲弄されます。
 しかし、皆からばかにされる彼の方が、ずっと純粋で誠実で、高潔のように思えます。

 そういえばドン・キホーテは、第3章で、ちょっと気の利いたことを言っていました。
 この言葉は、彼が本当は馬鹿でも狂人でもないことを、暗示しているのではないか。

 「芝居においていちばん才能のいる役柄は道化であるが、それというのも、観客にば
 かに思われようとする者が本当にばか者であっては具合が悪いからですよ。」(P69)

 ドン・キホーテに劣らず、従者のサンチョも、含蓄に富んだことを言っています。
 彼の言葉は、バカと天才が紙一重である、ということを思い出させます。

 「島の領主にならなくっても、毎日食うパンは領主になって食うパンと同じ味がする
 だろうし、いやおそらくは、もっと旨いだろうからね。」(P83)

 そして、サンチョの妻もまた、なかなか面白いことを言っています。
 島の領主にこだわるサンチョに、次のように言い放ちます。

 「お前さんは領地なんぞなしでおっかさんの腹から出てきて、今日までそんなものな
 しで生きてきなさった。だから、神様に召されたときにゃ、領地なんぞ持たずに墓に
 行くのが、いや運ばれていくのが一番さね。」(P90)

 狂人・バカ・田舎者と言われる人々から、含蓄に富むセリフがポンポン飛び出します。
 後篇は前篇以上の名文の宝庫。「人生の書」と呼ばれる理由がここにあります。

 「よいか、ただ富を手にすること、それ自体が富の所有者を幸福にするのではないぞ。
 そうではなく富を使うこと、それも好き勝手ではなく、その正しい使い途を心得ている
 ことが所有者を幸福にするのじゃ。」(P110)

 「ところが、実は、舞台の上と同じことが、この世の実生活においても起こっているの
 じゃ。現実の世界でも、ある者は皇帝を演じ、またある者は教皇になっている。(中略
 )そして終末が来ると、人は皆墓のなかで平等になるのよ」(P191)

 さいごに。(イライラ気味)

 娘は最近イライラ気味です。妻によると、思春期の女の子特有の現象らしい。
 なんでもないことでイライラするので、ちょっとからかってみることもできません。

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