楽園への道1 [20世紀ラテンアメリカ文学]
「楽園への道」 パルガス=リョサ作 田村さと子訳 (河出文庫)
画家ゴーギャンとその祖母フローラの、各々の活動を異なる次元で描いた物語です。
ふたりの人生がバランスよく交互に描かれているため、とても読みやすかったです。
フローラ・トリスタンは、「スカートをはいた扇動者」と言われた女革命家です。
男中心の社会で女性の権利を訴え、資本家中心の社会で労働者の団結を訴えました。
男女が平等になり、資本家と労働者が対等になる社会を夢見て、必死に活動します。
フランス中を駆け回るフローラは、1844年に最後の旅に出ますが・・・
ポール・ゴーギャンは、ゴッホとともに美術界に大きな革新をもたらした画家です。
家族も社会的地位も捨てて文明に反旗を翻し、原始の生活や信仰を求めました。
フローラの旅から約50年後、ゴーギャンもまたタヒチにわたり、芸術を追求します。
原住民とともに原始的な生活の中で絵筆をとりますが、彼もまた道半ばで・・・
というように、フローラとゴーギャンの半生が、並列的に交互に描かれています。
しかし、私はゴーギャンの絵が好きなので、ゴーギャン中心に読んでしまいました。
彼がタヒチを目指したのは、「芸術が日常と分離していない土地」を夢見たからです。
作者は、ゴーギャンの心の内を、次のように美しく印象的に描いています。
「俺は金銭によって堕落してしまったヨーロッパ文明から逃げ出し、純粋な原始の世
界を探しに行く、その冬空のない土地では、芸術は単なる投機の対象ではなく、神聖
で活力に満ちた楽しい仕事であり、芸術家は腹がすけばただ手を伸ばして、たわわに
実った果物を木からもぎとればよいのだ。まるでエデンの園のアダムとイヴのように。
」(P294)
また、次のような興味深い言葉もありました。
この言葉の中に、作者バルガス=リョサの理想も示されているように感じました。
「西洋美術は原始芸術の中にある生活の総合体から分離することによって衰退してし
まった。原始芸術では、美術は宗教とは切り離すことはできず、食べることや飾るこ
と、歌うこと、セックスをすることと同様に、日常生活の一部を形成している。おま
えは作品の中にこの伝統を復活させたかった。」(P522)
ゴーギャンがゴッホと、アルルの黄色い家で共同生活を送ったことは有名です。
まれにゴッホの記憶が描かれますが、それは美術ファンにはたまらない場面です。
たとえば、ゴッホがゴーギャンの絵の魅力を語る言葉はすばらしい。
バルガス=リョサの創作だと思いますが、実にうまい表現をしています。
「絵筆ではなく、ペニスで描かれたものだね。絵画とは芸術であると同時に罪悪な
のだよ」 「これは人間の血と臓腑から生まれた大作だ。性器から放出される精液の
ようだ」(P98)
ついでながら、ゴッホの次の言葉も忘れられません。
やはりこれも、作者の創作でしょうか?
「自分の絵が人々に精神的な慰めを与えられたら、と俺は思っているんだよ、ポール。
キリストの言葉が人々に慰めを与えたようにな。古典絵画では『光輪』は永遠を意味
していた。その『光輪』とは今、俺が絵の中で色彩の放射と振動とで取り戻そうとし
ているものなんだ」(P407)
そしてゴーギャンは、ゴッホに殉教者のような資質を感じて・・・
のちにゴーギャンは、ゴッホのひまわりの絵に『光輪』を見て・・・
やがてゴーギャンは最高傑作を完成させます。
「われわれはどこから来たのかわれわれは何者かわれわれはどこへ行くのか」です。
この絵の真ん中に描かれている、男性のような女性のような人物は・・・
この絵を完成したあと、ゴーギャンは急に創作意欲を失って・・・
この大作が、2009年に東京国立近代美術館の「ゴーギャン展」に来たのです。
しかし私は行かなかった! ゴーギャンのマイブームは、そのあとだったのです。
さて、「楽園への道」は、ゴーギャンファンにとって、読んでおきたい作品です。
ただし最初は、フローラの物語が邪魔で、読み飛ばしたくなりました。
どうせならゴーギャンの物語を単独で作品にしてほしかった、と思っていました。
しかし今なら、フローラの物語が置かれた意味も分かる気がします。
次回は、私が(勝手に)考えた、この作品の真の意味について書いていきます。
ゴーギャンは、実はフローラの・・・
さいごに。(コロナ、三たび)
またもコロナが流行してきました。第三波は、これまでの最大の波となっています。
出席を予定していた3つの忘年会は、軒並み中止となりました。
それでも、私たちはまだいい。我慢すればよいのだから。ウェブ飲み会もあるし。
飲食店で働いている方や、医療機関で働いている方のことが気にかかります。
画家ゴーギャンとその祖母フローラの、各々の活動を異なる次元で描いた物語です。
ふたりの人生がバランスよく交互に描かれているため、とても読みやすかったです。
フローラ・トリスタンは、「スカートをはいた扇動者」と言われた女革命家です。
男中心の社会で女性の権利を訴え、資本家中心の社会で労働者の団結を訴えました。
男女が平等になり、資本家と労働者が対等になる社会を夢見て、必死に活動します。
フランス中を駆け回るフローラは、1844年に最後の旅に出ますが・・・
ポール・ゴーギャンは、ゴッホとともに美術界に大きな革新をもたらした画家です。
家族も社会的地位も捨てて文明に反旗を翻し、原始の生活や信仰を求めました。
フローラの旅から約50年後、ゴーギャンもまたタヒチにわたり、芸術を追求します。
原住民とともに原始的な生活の中で絵筆をとりますが、彼もまた道半ばで・・・
というように、フローラとゴーギャンの半生が、並列的に交互に描かれています。
しかし、私はゴーギャンの絵が好きなので、ゴーギャン中心に読んでしまいました。
彼がタヒチを目指したのは、「芸術が日常と分離していない土地」を夢見たからです。
作者は、ゴーギャンの心の内を、次のように美しく印象的に描いています。
「俺は金銭によって堕落してしまったヨーロッパ文明から逃げ出し、純粋な原始の世
界を探しに行く、その冬空のない土地では、芸術は単なる投機の対象ではなく、神聖
で活力に満ちた楽しい仕事であり、芸術家は腹がすけばただ手を伸ばして、たわわに
実った果物を木からもぎとればよいのだ。まるでエデンの園のアダムとイヴのように。
」(P294)
また、次のような興味深い言葉もありました。
この言葉の中に、作者バルガス=リョサの理想も示されているように感じました。
「西洋美術は原始芸術の中にある生活の総合体から分離することによって衰退してし
まった。原始芸術では、美術は宗教とは切り離すことはできず、食べることや飾るこ
と、歌うこと、セックスをすることと同様に、日常生活の一部を形成している。おま
えは作品の中にこの伝統を復活させたかった。」(P522)
ゴーギャンがゴッホと、アルルの黄色い家で共同生活を送ったことは有名です。
まれにゴッホの記憶が描かれますが、それは美術ファンにはたまらない場面です。
たとえば、ゴッホがゴーギャンの絵の魅力を語る言葉はすばらしい。
バルガス=リョサの創作だと思いますが、実にうまい表現をしています。
「絵筆ではなく、ペニスで描かれたものだね。絵画とは芸術であると同時に罪悪な
のだよ」 「これは人間の血と臓腑から生まれた大作だ。性器から放出される精液の
ようだ」(P98)
ついでながら、ゴッホの次の言葉も忘れられません。
やはりこれも、作者の創作でしょうか?
「自分の絵が人々に精神的な慰めを与えられたら、と俺は思っているんだよ、ポール。
キリストの言葉が人々に慰めを与えたようにな。古典絵画では『光輪』は永遠を意味
していた。その『光輪』とは今、俺が絵の中で色彩の放射と振動とで取り戻そうとし
ているものなんだ」(P407)
そしてゴーギャンは、ゴッホに殉教者のような資質を感じて・・・
のちにゴーギャンは、ゴッホのひまわりの絵に『光輪』を見て・・・
やがてゴーギャンは最高傑作を完成させます。
「われわれはどこから来たのかわれわれは何者かわれわれはどこへ行くのか」です。
この絵の真ん中に描かれている、男性のような女性のような人物は・・・
この絵を完成したあと、ゴーギャンは急に創作意欲を失って・・・
この大作が、2009年に東京国立近代美術館の「ゴーギャン展」に来たのです。
しかし私は行かなかった! ゴーギャンのマイブームは、そのあとだったのです。
さて、「楽園への道」は、ゴーギャンファンにとって、読んでおきたい作品です。
ただし最初は、フローラの物語が邪魔で、読み飛ばしたくなりました。
どうせならゴーギャンの物語を単独で作品にしてほしかった、と思っていました。
しかし今なら、フローラの物語が置かれた意味も分かる気がします。
次回は、私が(勝手に)考えた、この作品の真の意味について書いていきます。
ゴーギャンは、実はフローラの・・・
さいごに。(コロナ、三たび)
またもコロナが流行してきました。第三波は、これまでの最大の波となっています。
出席を予定していた3つの忘年会は、軒並み中止となりました。
それでも、私たちはまだいい。我慢すればよいのだから。ウェブ飲み会もあるし。
飲食店で働いている方や、医療機関で働いている方のことが気にかかります。
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