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楽園への道2 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「楽園への道」 パルガス=リョサ作 田村さと子訳 (河出文庫)


 画家ゴーギャンとその祖母フローラの、各々の活動を異なる次元で描いた物語です。
 ふたりの人生がバランスよく交互に描かれているため、とても読みやすかったです。


楽園への道 (河出文庫)

楽園への道 (河出文庫)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/05/08
  • メディア: 文庫



 祖母のフローラと孫のゴーギャン。二人には50年ほどの時間的な隔たりがあります。
 ゴーギャンは、フローラの死の4年後に生まれ、祖母には会ったことがありません。

 しかし二人の性格はとても似ています。
 二人とも頑固で信念を曲げず、不屈の精神を持ち、決めたら迷わず突き進みます。

 そして二人の行動もとても似ています。
 二人とも理想の実現を最優先しました。結果、家族を犠牲にして楽園を求めました。

 二人とも反逆者であり、その分野の先駆者であり、たぶん同性愛者でもありました。
 ゴーギャンのあふれんばかりの性欲は、フローラの性嫌悪の反動のように思えます。

 ゴーギャンはフローラの人生をほとんど知りません。
 それにも関わらず、方向性は違えど、彼女の人生をたどっているように見えました。

 つまり、ゴーギャンの人生の中に、フローラの人生が名残が見られます。
 また、フローラの人生の中に、ゴーギャンの人生の兆しが見られます。

 リョサの、過去と現在が混在している文章を読んでいるうちに、こう思いました。
 過去も現在もない、フローラもゴーギャンもない、二人はひとつの魂なのだと。

 つまり、ゴーギャンはフローラの生まれ変わりとして理解するべきではないか。
 フローラとしての前世と、ゴーギャンとしての今生が、重ねられているのだと。

 そして二人を交互に描く手法は、転生を暗示しているのではないか。
 この作品は、「フローラの生まれ変わりとしてのゴーギャン伝」ではないのか。

 この作品の特徴は、彼らを二人称で呼びかける言葉が、時々挿入されるところです。
 あれは作者リョサの呼びかけだと解釈されていますが、違う解釈はないでしょうか?

 私には、ゴーギャンが死んだあとの魂が、呼びかけているように思えるのです。
 同じ魂が、時に死んだゴーギャンに、時に死んだフローラに呼びかけているのでは?

 そうするとこの小説も、マジック・リアリズムの手法ではないかと思えるのです。
 一見、リアリズムで書かれているようだけど、根本的な部分はマジックだと・・・

 転生ということを念頭に置くと、ゴーギャンの最高傑作「われわれはどこから来たの
 か われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」の意味もまた見えてくるようです。

 ここに描かれた人々は皆、ひとつの魂の変化(へんげ)ではないのか?
 ひとつの魂が、前世、今生、来世と続く姿をえがいているのではないか? 

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 一度そう考えてしまうと、そのように思えてきてしまいます。
 ああ、ますますゴーギャンのこの大作が見たくなってきました。

 さいごに。(コロナの影響)

 車の1年点検が延期されました。理由は、依頼していた店舗でコロナが出たため。
 これだけ流行していたら、コロナが出てしまうのはやむを得ないことです。

 職場では、鎌倉へ団体で行く出張が、取りやめとなりました。
 まだまだその勢いが収まる気配がありません。早く終息してほしいものです。

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