楽園への道2 [20世紀ラテンアメリカ文学]
「楽園への道」 パルガス=リョサ作 田村さと子訳 (河出文庫)
画家ゴーギャンとその祖母フローラの、各々の活動を異なる次元で描いた物語です。
ふたりの人生がバランスよく交互に描かれているため、とても読みやすかったです。
祖母のフローラと孫のゴーギャン。二人には50年ほどの時間的な隔たりがあります。
ゴーギャンは、フローラの死の4年後に生まれ、祖母には会ったことがありません。
しかし二人の性格はとても似ています。
二人とも頑固で信念を曲げず、不屈の精神を持ち、決めたら迷わず突き進みます。
そして二人の行動もとても似ています。
二人とも理想の実現を最優先しました。結果、家族を犠牲にして楽園を求めました。
二人とも反逆者であり、その分野の先駆者であり、たぶん同性愛者でもありました。
ゴーギャンのあふれんばかりの性欲は、フローラの性嫌悪の反動のように思えます。
ゴーギャンはフローラの人生をほとんど知りません。
それにも関わらず、方向性は違えど、彼女の人生をたどっているように見えました。
つまり、ゴーギャンの人生の中に、フローラの人生が名残が見られます。
また、フローラの人生の中に、ゴーギャンの人生の兆しが見られます。
リョサの、過去と現在が混在している文章を読んでいるうちに、こう思いました。
過去も現在もない、フローラもゴーギャンもない、二人はひとつの魂なのだと。
つまり、ゴーギャンはフローラの生まれ変わりとして理解するべきではないか。
フローラとしての前世と、ゴーギャンとしての今生が、重ねられているのだと。
そして二人を交互に描く手法は、転生を暗示しているのではないか。
この作品は、「フローラの生まれ変わりとしてのゴーギャン伝」ではないのか。
この作品の特徴は、彼らを二人称で呼びかける言葉が、時々挿入されるところです。
あれは作者リョサの呼びかけだと解釈されていますが、違う解釈はないでしょうか?
私には、ゴーギャンが死んだあとの魂が、呼びかけているように思えるのです。
同じ魂が、時に死んだゴーギャンに、時に死んだフローラに呼びかけているのでは?
そうするとこの小説も、マジック・リアリズムの手法ではないかと思えるのです。
一見、リアリズムで書かれているようだけど、根本的な部分はマジックだと・・・
転生ということを念頭に置くと、ゴーギャンの最高傑作「われわれはどこから来たの
か われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」の意味もまた見えてくるようです。
ここに描かれた人々は皆、ひとつの魂の変化(へんげ)ではないのか?
ひとつの魂が、前世、今生、来世と続く姿をえがいているのではないか?
一度そう考えてしまうと、そのように思えてきてしまいます。
ああ、ますますゴーギャンのこの大作が見たくなってきました。
さいごに。(コロナの影響)
車の1年点検が延期されました。理由は、依頼していた店舗でコロナが出たため。
これだけ流行していたら、コロナが出てしまうのはやむを得ないことです。
職場では、鎌倉へ団体で行く出張が、取りやめとなりました。
まだまだその勢いが収まる気配がありません。早く終息してほしいものです。
画家ゴーギャンとその祖母フローラの、各々の活動を異なる次元で描いた物語です。
ふたりの人生がバランスよく交互に描かれているため、とても読みやすかったです。
祖母のフローラと孫のゴーギャン。二人には50年ほどの時間的な隔たりがあります。
ゴーギャンは、フローラの死の4年後に生まれ、祖母には会ったことがありません。
しかし二人の性格はとても似ています。
二人とも頑固で信念を曲げず、不屈の精神を持ち、決めたら迷わず突き進みます。
そして二人の行動もとても似ています。
二人とも理想の実現を最優先しました。結果、家族を犠牲にして楽園を求めました。
二人とも反逆者であり、その分野の先駆者であり、たぶん同性愛者でもありました。
ゴーギャンのあふれんばかりの性欲は、フローラの性嫌悪の反動のように思えます。
ゴーギャンはフローラの人生をほとんど知りません。
それにも関わらず、方向性は違えど、彼女の人生をたどっているように見えました。
つまり、ゴーギャンの人生の中に、フローラの人生が名残が見られます。
また、フローラの人生の中に、ゴーギャンの人生の兆しが見られます。
リョサの、過去と現在が混在している文章を読んでいるうちに、こう思いました。
過去も現在もない、フローラもゴーギャンもない、二人はひとつの魂なのだと。
つまり、ゴーギャンはフローラの生まれ変わりとして理解するべきではないか。
フローラとしての前世と、ゴーギャンとしての今生が、重ねられているのだと。
そして二人を交互に描く手法は、転生を暗示しているのではないか。
この作品は、「フローラの生まれ変わりとしてのゴーギャン伝」ではないのか。
この作品の特徴は、彼らを二人称で呼びかける言葉が、時々挿入されるところです。
あれは作者リョサの呼びかけだと解釈されていますが、違う解釈はないでしょうか?
私には、ゴーギャンが死んだあとの魂が、呼びかけているように思えるのです。
同じ魂が、時に死んだゴーギャンに、時に死んだフローラに呼びかけているのでは?
そうするとこの小説も、マジック・リアリズムの手法ではないかと思えるのです。
一見、リアリズムで書かれているようだけど、根本的な部分はマジックだと・・・
転生ということを念頭に置くと、ゴーギャンの最高傑作「われわれはどこから来たの
か われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」の意味もまた見えてくるようです。
ここに描かれた人々は皆、ひとつの魂の変化(へんげ)ではないのか?
ひとつの魂が、前世、今生、来世と続く姿をえがいているのではないか?
一度そう考えてしまうと、そのように思えてきてしまいます。
ああ、ますますゴーギャンのこの大作が見たくなってきました。
さいごに。(コロナの影響)
車の1年点検が延期されました。理由は、依頼していた店舗でコロナが出たため。
これだけ流行していたら、コロナが出てしまうのはやむを得ないことです。
職場では、鎌倉へ団体で行く出張が、取りやめとなりました。
まだまだその勢いが収まる気配がありません。早く終息してほしいものです。
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