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ダブリナーズ2(死せるものたち) [20世紀イギリス文学]

 「ダブリナーズ」 ジェイムズ・ジョイス作 柳瀬尚紀訳 (新潮文庫)


 アイルランドの首都ダブリンの人々の、退廃的な様子を描き出した短編集です。
 最後の「死せるものたち」は、1987年に「ザ・デッド」として映画化されました。


ダブリナーズ (新潮文庫)

ダブリナーズ (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/03/02
  • メディア: 文庫



 「ダブリナーズ」のラストを飾るのは、唯一の中編「死せるものたち」です。
 この作品だけは、1914年に出版される際に、改めて付け加えられたものです。

 恒例のダンス・パーティーに、大学教員のコンロイは、妻を伴って参加しました。
 ある女に「なぜ旅行先が外国ばかりなのか」と問われ、彼は思わずこう答えます。

 「僕は自分の国にうんざりなんだ、もううんざりさ!」
 (当時アイルランドは、独立戦争の直前で、まだイギリスの属国だったのです。)

 日付が変わるころ華やかなパーティーも終わり、哀切な歌声が帰る人々を送りました。
 コンロイはふと、妻がその古いアイルランドの歌に聞き入っているのに気付きました。

 帰ってからも、妻は何かを考えているようでした。尋ねると妻は急に泣き出して・・・
 妻には、あの古い歌にまつわるどのような過去があったのか?・・・

 これは70ページほどの小品ですが、そのうち50ページほどがパーティーの場面です。
 妻が歌声を聞いてからラストまでは、わずか20ページほどにすぎません。

 ところがラストまで読むと、ガヤガヤしたパーティーの場面が意味を持ってきます。
 「一人、また一人と、皆が影になっていくのだ。」(P375)

 そう、パーティーに集まった人々は、やがて皆死んで、いなくなってしまいます。
 すべてはこのパーティーのように、いずれは忘れ去られてしまいます・・・

 「彼の魂は、死せるものたちのおびただしい群れの住うあの地域へ近づいていた。彼
 らの気ままなゆらめく存在を意識はしていたが、認知することはできなかった。彼自
 身の本体が、灰色の実体なき世界の中へ消えゆこうとしている。」(P375)

 この文章は抽象的で分かりにくいですが、「超ムーの世界」的に実に興味深いです。
 どうやらコンロイは、死者の世界に触れつつあるように、読み取ることができます。

 映画ではどのように描かれているのでしょうか。
 「ザ・デッド」は1987年に上映され、話題になりました。ちょっと見てみたいです。

 余談ですが、清水義範・西原理恵子の「独断流『読書』必勝法」が面白かったです。 
 その中で、西原理恵子が「ダブリン市民」について、あけすけにこう書いています。

 「生涯読んだなかで一番ダントツにつまんなかった。(中略)あんまり派手につまん
 なくて文学をソンケイしてしまった。なぜあれがお金になるんだ。」(P298)

 その気持ち、とってもよく分かります。
 パーティーに行って、妻が昔を思い出しました。おしまい。だから、なに?

 それでも「死せるものたち」はまだいいです。言いたいことがはっきり分かったので。
 他の14作品は、もっと純粋な「だから、なに?」的作品のオンパレードでした。

 しかし、読み続けているうちに、するめみたいにじわじわと味わいが分かり始めます。
 ちなみに私は、4つ目の「エヴリン」から、ようやくその味わいが分かり始めました。
 (「ダブリナーズ1」で紹介済み)

 ところで清水は、ジョイスの三長編は「ダブリン三部作」と言ってもいいと言います。
 そして「ダブリナーズ」は、三部作の断片を集めた本という位置づけなのだそうです。

 我々は「ダブリナーズ」を読んで、基本設計図を手に入れてから、強敵に挑むのです。
 「若い芸術家の肖像」「ユリシーズ」「フィネガンズ・ウェイク」はいずれも手強い。

 「フィネガンズ・ウェイク」は、わけのわからなさに定評があるので私は読みません。
 あとの二作は、なんとか今年中に読むつもりでいます。

 さいごに。(カフェで読書したい)

 全国での感染者が10万人を突破してから、さすがにカフェに行くのは控えています。
 カフェで1~2時間読書をするというのが、私にとって至福の時間なのですが・・・

 うちには受験生がいて、本命の公立高校の受験は、まだこれからなので気を使います。
 ところで我々の3回目のワクチン接種はまだでしょうか? モデルナでいいので早く!

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