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失われた時を求めて4 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて2」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 岩波文庫版の訳者は吉川(よしかわ)一義です。格調が高く読みやすい新訳です。
 前回に続いて第二部「スワンの恋」と、第三部「土地の名ー名」を紹介します。


失われた時を求めて(2)――スワン家のほうへII (岩波文庫)

失われた時を求めて(2)――スワン家のほうへII (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/05/18
  • メディア: 文庫



 第一篇「スワン家のほうへ」の第二部「スワンの恋」に、印象的な場面があります。
 それは、「ヴァントゥイユのソナタ」の小楽章が、不意に現れる場面です。

 スワンは前年それを聞き、自分を魅了した名もない女のように気になっていました。
 しかし彼はV夫人のサロンで、二度と会えまいと諦めていた小楽章と再会しました。

 そしてこのソナタの小楽章は、スワンとオデットのために、たびたび弾かれました。
 それは、オデットの心が離れていった後も、楽しい思い出とともに生き続けました。

 サン=トゥーヴェルト夫人の夜会で、スワンはふとオデットの気配を感じました。
 しかし、それは彼女ではなく、「ヴァントゥイユのソナタ」の小楽章だったのです。

 聞くともなく聞いていると、オデットとともに過ごした幸福な日々が蘇りました。
 ところが、そこへ至る扉はすべて閉ざされてしまい、二度と戻ることができません。

 「そのときスワンの視界に、こうして追体験された幸福を目の当たりにしてじっとし
 ている不幸な男のすがたがあらわれた。すぐにはだれかわからず同情したスワンは、
 涙をためているのを見られぬよう目を伏せなければならなかった。その男とはスワン
 自身だったのである。」(P352)

 スワンは憐憫と愛情に駆られて、初めて作曲者ヴァントゥイユのことを思いました。
 彼もまた、ひどい辛酸を嘗めた自分の同類なのではないか、と・・・

 この場面は哀切きわまりない。
 ヴァントゥイユが、「コンブレ―」で登場した哀れな老人であると思えばなお更です。 

 ところで、「ヴァントゥイユのソナタ」は最初、物語の筋と関係なく突然現れます。
 だから私は、その場面を単なる一挿話として、ほとんど読み飛ばしてしまいました。

 ところが、それはスワンとオデットの恋を象徴し、物語を味わい深くしています。
 一見関係なさそうな挿話が、いつのまにか物語の重要場面とつながっているのです。

 改めて気づいたことは、この作品は嘗めるようにして読むべきだ、ということです。
 たっぷり時間とお金があるときに、リゾートホテルの揺り椅子で読むべきですよ。

 さて、ここで気になるのは、第二部「スワンの恋」のラストの部分です。
 ここではスワンの夢が醒めて、オデットをふっきったように見えるのです。

 しかし、第一部「コンブレ―」では、ふたりは「不幸な結婚」をしていました。
 いったいこのあと、スワンとオデットの間に何があったのか?

 第三部「土地の名—名」に入ると、「私」とジルベルトとの淡い恋が語られます。
 舞台はパリで、コンブレ―の時代のあとです。スワンとオデットは結婚しています。 

 シャンゼリゼで「私」は、ジルベルトたちと出会い、一緒に遊ぶようになりました。
 「私」はジルベルトと一緒にいることが幸福で、彼女に会うことが楽しみでした。

 やがてふたりはとても親しくなり、「私」はジルベルトを愛するようになりました。
 そして「私」は、ふたりともお互いに恋心を打ち明け合わなければ、と思いました。

 「私」にとって、彼女の父のスワンも特別な存在となり、憧れるようになりました。
 さらに、ジルベルトへの恋心が浸透して、スワン夫人も魅力的な存在となりました。

 しかし今では、ジルベルトやスワンやオデットがいた場所は、消えてしまいました。
 私たちが知っていた場所は、過去の印象が積み重なった薄い層にすぎないから・・・

 さてここに、ジルベルトが「私」にもっと気安く呼び合おうと言う場面があります。
 ところが、「私」に対する呼び方は、この小説のどこを探してもありません。

 つまり、P469の注にあるとおり、主人公「私」には名前が与えられていないのです。
 このことは、「私」が肉体を離れた「魂」であることの証明のように思えるのです。

 「魂」となった「私」は、これまでの肉体に与えられていた名前から解放されます。
 だからもう「私」としか言い表せません。たとえ過去の体験を語る場面であっても。

 ここまででようやく、第一篇「スワン家のほうへ」が終わりました。
 だいぶ時間がかかりましたが、しだいにプルーストの文章に慣れてきました。

 特に、完訳版を読んで初めて、抄訳版では味わえないものがあると気付きました。
 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」(岩波文庫2冊分)も、続けて読んでいきます。

 第二篇についてもフランスコミック版が出ているので、参考にして読んでいきます。
 コミック版といえどもバカにできません。読む上でたいへん大きな助けになります。

 さいごに。(静岡は首都圏だ!)

 徳川家康は駿府城で余生を過ごしたため、その頃江戸と駿府のつながりが深かった。
 駿府は江戸の一部として機能していたと言っても、過言ではありません(?)。

 静岡の人の中には、そのようなプライドを持っている人もいます。
 その一人が言いました。「静岡が首都圏であることは、歴史的に見て明らかだ」と。

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