失われた時を求めて7 [20世紀フランス文学]
「失われた時を求めて4」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)
記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。
第二篇「花咲く乙女たちのかげに」は、1919年のゴンクール賞を獲得しました。
今回は、その第二部「土地の名ー土地」の前半部分を紹介します。
ジルベルトとの恋が終わって2年が経ちました。「私」は16歳ぐらいになっています。
「私」は今まで憧れていたバルベックへ、母と離れて、祖母とともに旅立ちました。
バルベックの教会へひとりで立ち寄りましたが、期待したほどではありませんでした。
教会の彫刻群についても、これまで見てきた写真や複製ほどの感動が無かったのです。
「私」と祖母は、宮殿のように豪華なバルベック・グランド・ホテルに入りました。
そこでたまたま、祖母の学友であるヴィルパリジ侯爵夫人と、鉢合わせをしました。
それから侯爵夫人と交流し始めました。彼女はゲルマント侯爵の叔母だったのです。
時にはヴィルパリジ侯爵夫人の馬車で、バルベックの郊外へ出ることもありました。
やがて「私」は、侯爵夫人の甥ロベール・ド・サン=ルー侯爵と親しくなり・・・
また、その従兄のシャルリュス男爵の奇妙な振る舞いに困惑するようになり・・・
「土地の名ー土地」は、だいたいP323ぐらいのところで、前後半に分けられます。
今回はその前半部分で、バルベックでゲルマント家の人々とつながる場面です。
その中で印象に残ったのは、なんといっても、謎めいた男シャルリュス男爵です。
男爵は、ヴィルパリジ侯爵夫人の甥であり、ゲルマント公爵の弟だったのです。
初めて出会ったとき、シャルリュス男爵が「私」に放った流し目は何だったのか?
男爵が、「私」と祖母をお茶に招待しておきながら、知らんぷりをしたのはなぜか?
お茶会で冷淡だった男爵が、急に親切になって「私」の部屋を訪れたのはなぜか?
翌日男爵が、浜にいる「私」を呼び止めて、冷ややかに説教を始めたのはなぜか?
またコンブレ―では、スワン夫人はシャルリュス男爵の愛人だと言われていました。
サン=ルー侯爵は、男爵はスワンの親友なので、それはありえないと断言しました。
ではなぜ男爵は、スワンが留守のときに、スワンの屋敷で夫人とともにいたのか?
シャルリュス男爵とスワン夫人は、いったいどのような関係だったのか?
シャルリュス男爵は、この巻での登場は少ないものの、とても気になる人物です。
彼の奇妙な振る舞いや謎めいた行動の意味は、読み進めるうちに分かってきます。
なお、シャルリュス男爵のモデルは、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵です。
ジョバンニ・ボルディーニの描いた肖像画は、ダンディの典型として有名です。
私はこの肖像画を、中野京子の「名画に見る男のファッション」で知りました。
以下の本のカバー・イラストが、まさにその絵です。(変なヒゲですが・・・)
さて、その他印象に残った場面は、ヴィルパリジ侯爵夫人の馬車での遠乗りです。
三本の立木を見たとき、コンブレ―において経験した幸福感で満たされたのです。
その幸福感の理由が分からないまま、やがて馬車は三本の木から遠ざかりました。
そのとき三本の木は、「私」に向かって次のように言っているような気がしました。
「きみは今日ぼくらから学ばなければ、このことは永久に知らずじまいになるんだ
よ。(中略)せっかく届けてやろうとしたきみ自身の一部は永久に無に帰してしま
うよ。」(P182)
木々から遠ざかってゆく馬車の歩みは、まるでわが人生のようだと思いました・・・
というこの場面は、おそらくこの小説のテーマに関わる重要な場面だと思います。
ところで、プルーストのえんえんと続く文章は、最初私をとても眠たくしました。
しかし今では文体に慣れたためか、そのリズムが心地よくてクセになりそうです。
次回は「土地の名—土地」の後半部分を紹介します。
いよいよ第二の恋人アルベルチーヌが登場します。楽しみです。
さいごに。(1550円のジュース)
先日、娘のオープンキャンパスに付き合って、日帰りで東京へ行きました。
交通費を節約するため、青春18きっぷを使って、片道3時間半かけて行きました。
それなのに、渋谷のカフェで1550円もするジュースを2人で飲んでしまいました。
おなかが一杯になったため、夕食(富士そばを予定)が食べられなくなりました。
記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。
第二篇「花咲く乙女たちのかげに」は、1919年のゴンクール賞を獲得しました。
今回は、その第二部「土地の名ー土地」の前半部分を紹介します。
失われた時を求めて(4)――花咲く乙女たちのかげにII (岩波文庫)
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2012/06/16
- メディア: 文庫
ジルベルトとの恋が終わって2年が経ちました。「私」は16歳ぐらいになっています。
「私」は今まで憧れていたバルベックへ、母と離れて、祖母とともに旅立ちました。
バルベックの教会へひとりで立ち寄りましたが、期待したほどではありませんでした。
教会の彫刻群についても、これまで見てきた写真や複製ほどの感動が無かったのです。
「私」と祖母は、宮殿のように豪華なバルベック・グランド・ホテルに入りました。
そこでたまたま、祖母の学友であるヴィルパリジ侯爵夫人と、鉢合わせをしました。
それから侯爵夫人と交流し始めました。彼女はゲルマント侯爵の叔母だったのです。
時にはヴィルパリジ侯爵夫人の馬車で、バルベックの郊外へ出ることもありました。
やがて「私」は、侯爵夫人の甥ロベール・ド・サン=ルー侯爵と親しくなり・・・
また、その従兄のシャルリュス男爵の奇妙な振る舞いに困惑するようになり・・・
「土地の名ー土地」は、だいたいP323ぐらいのところで、前後半に分けられます。
今回はその前半部分で、バルベックでゲルマント家の人々とつながる場面です。
その中で印象に残ったのは、なんといっても、謎めいた男シャルリュス男爵です。
男爵は、ヴィルパリジ侯爵夫人の甥であり、ゲルマント公爵の弟だったのです。
初めて出会ったとき、シャルリュス男爵が「私」に放った流し目は何だったのか?
男爵が、「私」と祖母をお茶に招待しておきながら、知らんぷりをしたのはなぜか?
お茶会で冷淡だった男爵が、急に親切になって「私」の部屋を訪れたのはなぜか?
翌日男爵が、浜にいる「私」を呼び止めて、冷ややかに説教を始めたのはなぜか?
またコンブレ―では、スワン夫人はシャルリュス男爵の愛人だと言われていました。
サン=ルー侯爵は、男爵はスワンの親友なので、それはありえないと断言しました。
ではなぜ男爵は、スワンが留守のときに、スワンの屋敷で夫人とともにいたのか?
シャルリュス男爵とスワン夫人は、いったいどのような関係だったのか?
シャルリュス男爵は、この巻での登場は少ないものの、とても気になる人物です。
彼の奇妙な振る舞いや謎めいた行動の意味は、読み進めるうちに分かってきます。
なお、シャルリュス男爵のモデルは、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵です。
ジョバンニ・ボルディーニの描いた肖像画は、ダンディの典型として有名です。
私はこの肖像画を、中野京子の「名画に見る男のファッション」で知りました。
以下の本のカバー・イラストが、まさにその絵です。(変なヒゲですが・・・)
さて、その他印象に残った場面は、ヴィルパリジ侯爵夫人の馬車での遠乗りです。
三本の立木を見たとき、コンブレ―において経験した幸福感で満たされたのです。
その幸福感の理由が分からないまま、やがて馬車は三本の木から遠ざかりました。
そのとき三本の木は、「私」に向かって次のように言っているような気がしました。
「きみは今日ぼくらから学ばなければ、このことは永久に知らずじまいになるんだ
よ。(中略)せっかく届けてやろうとしたきみ自身の一部は永久に無に帰してしま
うよ。」(P182)
木々から遠ざかってゆく馬車の歩みは、まるでわが人生のようだと思いました・・・
というこの場面は、おそらくこの小説のテーマに関わる重要な場面だと思います。
ところで、プルーストのえんえんと続く文章は、最初私をとても眠たくしました。
しかし今では文体に慣れたためか、そのリズムが心地よくてクセになりそうです。
次回は「土地の名—土地」の後半部分を紹介します。
いよいよ第二の恋人アルベルチーヌが登場します。楽しみです。
さいごに。(1550円のジュース)
先日、娘のオープンキャンパスに付き合って、日帰りで東京へ行きました。
交通費を節約するため、青春18きっぷを使って、片道3時間半かけて行きました。
それなのに、渋谷のカフェで1550円もするジュースを2人で飲んでしまいました。
おなかが一杯になったため、夕食(富士そばを予定)が食べられなくなりました。
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