住まい方の思想 [読書・ライフスタイル]
「住まい方の思想」 渡辺武信 (中公新書)
「私性」を守るための住まいについて、大事な点をさまざまな視点で論じています。
1983年の刊行です。渡辺は建築家であると同時に、詩人・映画評論家でもあります。
現代人はみな、社会性とは矛盾するいわば「私性」というものを抱えて生きています。
「私性」の実現は、住み手が「ここは私の場所だ」と心底感じる空間を作ることです。
玄関とは本来「玄妙に入る関門」のことであり、心理的なけじめをつける場所です。
エアロック同様、内部の私を漏らさず、外部の公共を持ち込まないための空間です。
居間は、家族がそれぞれ居るだけの部屋であり、それゆえ皆が集まる大事な空間です。
そこには、無為を無為として充実させるという、信仰にも似た哲学が必要となります。
あらゆる行為から解放されて居間に座るとき、我々は遊戯的時間の中にいるのです。
この遊戯は一時のものでなく、時間の中で積分され蓄積されていくべきものなのです。
居間と同じく、家族の成立に重要な役割を果たすのが、会食の空間である食堂です。
ただし、居間が抽象的・精神的であるのに対し、食堂は具体的・生活的だと言えます。
そして、家族そろっての会食は、ひとつの祝祭または儀式としてとらえ直すべきです。
会食は、生きている実感や共生感を感じさせ、祈りたいような気分にさせて・・・
玄関、居間、食堂、厨房、寝室、書斎、子ども部屋、和室、照明、冷暖房、収納など、
住まいにおける要素について、その意味を述べて、どう作るべきかを提案しています。
さすが、プロの建築家です。住まいのさまざまな空間に、深い意味を見出しています。
しかもその文章は、含蓄がありながらとても分かりやすいので、説得力があるのです。
寝室について、「夜の居間」であり「就眠儀式のための聖堂」であると言ったり・・・
和室について、椅子式空間にはない、文化的な根を感じる場所と言ったり・・・
しかしながら、私が最も面白いと思ったのは、書斎について考察している箇所です。
次の文章の、「逃げ場所」としての書斎、という考え方に私はとても共感しました。
「つまり現在における書斎への憧れは、男が戦前、住宅全体に持っていた支配権を放
棄したことを前提としている。男は、この支配権がもはや取りもどしようがないこと
を悟った上で、自分だけのささやかな逃げ場所を求めているのだ。言いかえれば、こ
れは戦後の日本住宅が『女子ども化』したことへの一つの揺り返しである。」(P98)
まったく、わが家と同じです。私も17年前に家を建てたとき、書斎を造りました。
壁一面を書棚にしたかったのですが、費用が無かったので、書棚を手作りしました。
当時「熟年離婚」という言葉が出始めた頃でしたが、妻とある取り決めをしました。
それは、私が書斎を持つ代わりに、定年後はできるだけ書斎で過ごすというものです。
そう、住宅は、ほぼ完全に妻の支配下にあります。
だから私たち亭主は、昼間からリビングでぐだぐだすることは許されません。
妻の支配権が及ばない唯一の場所が、書斎です。亭主は書斎に逃げ込むべし。
逆に、亭主の書斎がないと、夫婦でしょっちゅう顔を合わせて喧嘩ばかり・・・
林望の本同様、家を建てることは生き方の問題だ、ということが伝わってきました。
たとえば、冷房の章にあった次のような文章に、私は膝を打ちました。
「必要悪なのは冷房ではなく、仕事、つまり労働そのものではないかと思えてくる。
つまり、自然にさからっているのは、冷房ではなく、夏にもせっせと働こうとする
人間たちなのだ。」(P172)
ところで、渡辺武信は、中公新書から類書をあと二つ出しています。
「住まい方の演出」と「住まい方の実践」です。すべて良書です。
さいごに。(青春18きっぷ万歳!)
娘と同じ高校の子で、夏休みにイタリア一周旅行に行ってきた子がいるそうです。
うちの得意技は青春18きっぷなので、娘はこんなふうにぼやいていました。
飛行機でイタリア中を飛び回っている人もいるけど、
うちみたいに、東京へ行くのでさえ、ケチって青春18きっぷを使う人もいる、と。
「私性」を守るための住まいについて、大事な点をさまざまな視点で論じています。
1983年の刊行です。渡辺は建築家であると同時に、詩人・映画評論家でもあります。
住まい方の思想―私の場をいかにつくるか (中公新書 (702))
- 作者: 渡辺 武信
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2023/08/24
- メディア: 新書
現代人はみな、社会性とは矛盾するいわば「私性」というものを抱えて生きています。
「私性」の実現は、住み手が「ここは私の場所だ」と心底感じる空間を作ることです。
玄関とは本来「玄妙に入る関門」のことであり、心理的なけじめをつける場所です。
エアロック同様、内部の私を漏らさず、外部の公共を持ち込まないための空間です。
居間は、家族がそれぞれ居るだけの部屋であり、それゆえ皆が集まる大事な空間です。
そこには、無為を無為として充実させるという、信仰にも似た哲学が必要となります。
あらゆる行為から解放されて居間に座るとき、我々は遊戯的時間の中にいるのです。
この遊戯は一時のものでなく、時間の中で積分され蓄積されていくべきものなのです。
居間と同じく、家族の成立に重要な役割を果たすのが、会食の空間である食堂です。
ただし、居間が抽象的・精神的であるのに対し、食堂は具体的・生活的だと言えます。
そして、家族そろっての会食は、ひとつの祝祭または儀式としてとらえ直すべきです。
会食は、生きている実感や共生感を感じさせ、祈りたいような気分にさせて・・・
玄関、居間、食堂、厨房、寝室、書斎、子ども部屋、和室、照明、冷暖房、収納など、
住まいにおける要素について、その意味を述べて、どう作るべきかを提案しています。
さすが、プロの建築家です。住まいのさまざまな空間に、深い意味を見出しています。
しかもその文章は、含蓄がありながらとても分かりやすいので、説得力があるのです。
寝室について、「夜の居間」であり「就眠儀式のための聖堂」であると言ったり・・・
和室について、椅子式空間にはない、文化的な根を感じる場所と言ったり・・・
しかしながら、私が最も面白いと思ったのは、書斎について考察している箇所です。
次の文章の、「逃げ場所」としての書斎、という考え方に私はとても共感しました。
「つまり現在における書斎への憧れは、男が戦前、住宅全体に持っていた支配権を放
棄したことを前提としている。男は、この支配権がもはや取りもどしようがないこと
を悟った上で、自分だけのささやかな逃げ場所を求めているのだ。言いかえれば、こ
れは戦後の日本住宅が『女子ども化』したことへの一つの揺り返しである。」(P98)
まったく、わが家と同じです。私も17年前に家を建てたとき、書斎を造りました。
壁一面を書棚にしたかったのですが、費用が無かったので、書棚を手作りしました。
当時「熟年離婚」という言葉が出始めた頃でしたが、妻とある取り決めをしました。
それは、私が書斎を持つ代わりに、定年後はできるだけ書斎で過ごすというものです。
そう、住宅は、ほぼ完全に妻の支配下にあります。
だから私たち亭主は、昼間からリビングでぐだぐだすることは許されません。
妻の支配権が及ばない唯一の場所が、書斎です。亭主は書斎に逃げ込むべし。
逆に、亭主の書斎がないと、夫婦でしょっちゅう顔を合わせて喧嘩ばかり・・・
林望の本同様、家を建てることは生き方の問題だ、ということが伝わってきました。
たとえば、冷房の章にあった次のような文章に、私は膝を打ちました。
「必要悪なのは冷房ではなく、仕事、つまり労働そのものではないかと思えてくる。
つまり、自然にさからっているのは、冷房ではなく、夏にもせっせと働こうとする
人間たちなのだ。」(P172)
ところで、渡辺武信は、中公新書から類書をあと二つ出しています。
「住まい方の演出」と「住まい方の実践」です。すべて良書です。
さいごに。(青春18きっぷ万歳!)
娘と同じ高校の子で、夏休みにイタリア一周旅行に行ってきた子がいるそうです。
うちの得意技は青春18きっぷなので、娘はこんなふうにぼやいていました。
飛行機でイタリア中を飛び回っている人もいるけど、
うちみたいに、東京へ行くのでさえ、ケチって青春18きっぷを使う人もいる、と。
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