住まい方の演出 住まい方の実践 [読書・ライフスタイル]
「住まい方の演出」 渡辺武信 (中公新書)
扉、階段、書棚など、住まい方を演出する仕掛けや小道具について解説しています。
1988年刊行です。映画のさまざまなシーンを引用しているところに特徴があります。
玄関扉、上がり框、階段、障子と襖、カーテン、テーブル、椅子、ソファ、ベッド、
家具、屋根、天井、窓と壁、縁側、庭、本棚、鍵、冷蔵庫、食器、テレビ、電話、
風呂、神棚と仏壇・・・と、さまざまな小道具の意味について語られています。
冒頭の玄関扉について。外国では内開きなのに、日本では外開きになっています。
確かに外国映画などでは、刑事がドアに体当たりして侵入するシーンが見られます。
外国式の内開きの方が、客を中に招きやすく、侵入者を外に押し返しやすいです。
ではなぜ日本では外開きなのか? 玄関で靴を脱ぐには、その方が便利だからです。
ところで、日本では伝統的に、ドアではなく引き戸を使っていました。
引き戸を境界として相手と少し距離を取るのは、おじぎをする文化があるから・・・
と、外国と日本を比べて、機能の違いはもちろん、文化の違いまで説明しています。
知的好奇心がくすぐられる文章で、しかもその語り口は、とても歯切れがいいです。
もっとも興味深かったのは、庭について語っている部分です。
山口瞳「庭の砂場」を引用しながら、庭(自然)には治癒効果があると語ります。
「それを見て心が和むのは、自然の営みというものが、いかに断片的であっても、人
間の日常生活の偶発的な喜怒哀楽と独立したリズムを持って動いており、ぼくたちは
そのリズムを感じとることで自分の感情をなにがしか相対化できるからではないのか。
つまりこの場合、視線を受けとめてくれるということは感情を受けとめてくれるとい
うのにほぼ等しい。」(P186)
なるほど、だから自然に癒されるのか。こんなふうに考えたことはありませんでした。
また、渡辺が勧める、山口瞳の短編小説「庭の砂場」を、読んでみたくなりました。
この本でもっとも参考になったのは、実は「あとがき」かもしれません。
渡辺いわく、神を信じられぬ以上、唯一の救いとして「住むこと」を信じる(!)。
「住むことを信じるとは、住まいを、食べて寝るという生理的欲求や労働力の再生産
という社会的機能を満たす施設以上のものと考え、それが内部に『私はあそこではな
くここに居る。そしてそれは正しい』と思えるような時間と空間を抱くようにと望む
ことである。」(P298)
住まいとは人生観の表現であり、住まいを作ることは人生観の再確認だと言います。
「住まい方の演出」から、住まいが人生の演出の場であることを教えられました。
さて、渡辺にはさらに「住まい方の実践」(中公新書)という類書があります。
1997年刊行です。「住まい方の思想」「住まい方の演出」と合わせて三部作です。
「実践」とあるとおり、著者の仕事場と家について、具体的実践が書かれています。
とは言っても単なるハウツーものではなく、渡辺一流の思想が随所に表われています。
「思うに人生はこうしたありふれた行為の積み重ねから成っているので、それが空し
ければ人生は空しく、それが楽しければ人生は楽しいのだ・・・」(P10)
「私は『何かのため』ではないからこそ、かけがいのない人生そのものを、その個々
のありふれた行為の集積を信じているのだ。いわば人生を信じていると言ってもいい
かもしれない。」(P11)
「住まいとは生活の便宜のための道具ではなく、なによりもまず、ありふれた行為を、
つまり人生を包み込む容器なのだと思い、そういうものとしての住まいをつくること
が、私の『信仰』であるようだ。」(P11)
「宇宙とは巨大な無関心であり、それは人類の運命など思い遣ることなく、まして私
たち一人一人のささやかな生には関わりなく存在しつづける。しかしそうであるから
こそ、いわば仮に定まった時の節目にあたって、来し方を思い行く末を生き抜く人生
の連続感を確認することは、実に人間的な営みと言えるのではないだろうか。」(P84)
ついでながら、渡辺には「住まいのつくり方」という本も出ているのだそうです。
副題は「建築家といかに出会い、いかに建てるか」。機会があったら読みたいです。
さいごに。(一昨年の数値に戻る)
人間ドックの結果が送られて来ました。大きな問題はありませんでした。
腎機能は、昨年著しく低下しましたが、今回は一昨年の数値に戻っていました。
特に気を付けたのは、「ハッピーターン パウダー250%」を完全に断ったことです。
昨年病みつきになっていたこのお菓子をやめたら、まさに効果てきめんでした。
扉、階段、書棚など、住まい方を演出する仕掛けや小道具について解説しています。
1988年刊行です。映画のさまざまなシーンを引用しているところに特徴があります。
玄関扉、上がり框、階段、障子と襖、カーテン、テーブル、椅子、ソファ、ベッド、
家具、屋根、天井、窓と壁、縁側、庭、本棚、鍵、冷蔵庫、食器、テレビ、電話、
風呂、神棚と仏壇・・・と、さまざまな小道具の意味について語られています。
冒頭の玄関扉について。外国では内開きなのに、日本では外開きになっています。
確かに外国映画などでは、刑事がドアに体当たりして侵入するシーンが見られます。
外国式の内開きの方が、客を中に招きやすく、侵入者を外に押し返しやすいです。
ではなぜ日本では外開きなのか? 玄関で靴を脱ぐには、その方が便利だからです。
ところで、日本では伝統的に、ドアではなく引き戸を使っていました。
引き戸を境界として相手と少し距離を取るのは、おじぎをする文化があるから・・・
と、外国と日本を比べて、機能の違いはもちろん、文化の違いまで説明しています。
知的好奇心がくすぐられる文章で、しかもその語り口は、とても歯切れがいいです。
もっとも興味深かったのは、庭について語っている部分です。
山口瞳「庭の砂場」を引用しながら、庭(自然)には治癒効果があると語ります。
「それを見て心が和むのは、自然の営みというものが、いかに断片的であっても、人
間の日常生活の偶発的な喜怒哀楽と独立したリズムを持って動いており、ぼくたちは
そのリズムを感じとることで自分の感情をなにがしか相対化できるからではないのか。
つまりこの場合、視線を受けとめてくれるということは感情を受けとめてくれるとい
うのにほぼ等しい。」(P186)
なるほど、だから自然に癒されるのか。こんなふうに考えたことはありませんでした。
また、渡辺が勧める、山口瞳の短編小説「庭の砂場」を、読んでみたくなりました。
この本でもっとも参考になったのは、実は「あとがき」かもしれません。
渡辺いわく、神を信じられぬ以上、唯一の救いとして「住むこと」を信じる(!)。
「住むことを信じるとは、住まいを、食べて寝るという生理的欲求や労働力の再生産
という社会的機能を満たす施設以上のものと考え、それが内部に『私はあそこではな
くここに居る。そしてそれは正しい』と思えるような時間と空間を抱くようにと望む
ことである。」(P298)
住まいとは人生観の表現であり、住まいを作ることは人生観の再確認だと言います。
「住まい方の演出」から、住まいが人生の演出の場であることを教えられました。
さて、渡辺にはさらに「住まい方の実践」(中公新書)という類書があります。
1997年刊行です。「住まい方の思想」「住まい方の演出」と合わせて三部作です。
「実践」とあるとおり、著者の仕事場と家について、具体的実践が書かれています。
とは言っても単なるハウツーものではなく、渡辺一流の思想が随所に表われています。
「思うに人生はこうしたありふれた行為の積み重ねから成っているので、それが空し
ければ人生は空しく、それが楽しければ人生は楽しいのだ・・・」(P10)
「私は『何かのため』ではないからこそ、かけがいのない人生そのものを、その個々
のありふれた行為の集積を信じているのだ。いわば人生を信じていると言ってもいい
かもしれない。」(P11)
「住まいとは生活の便宜のための道具ではなく、なによりもまず、ありふれた行為を、
つまり人生を包み込む容器なのだと思い、そういうものとしての住まいをつくること
が、私の『信仰』であるようだ。」(P11)
「宇宙とは巨大な無関心であり、それは人類の運命など思い遣ることなく、まして私
たち一人一人のささやかな生には関わりなく存在しつづける。しかしそうであるから
こそ、いわば仮に定まった時の節目にあたって、来し方を思い行く末を生き抜く人生
の連続感を確認することは、実に人間的な営みと言えるのではないだろうか。」(P84)
ついでながら、渡辺には「住まいのつくり方」という本も出ているのだそうです。
副題は「建築家といかに出会い、いかに建てるか」。機会があったら読みたいです。
住まいのつくり方―建築家といかに出会い、いかに建てるか (中公新書)
- 作者: 渡辺 武信
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2023/08/26
- メディア: 新書
さいごに。(一昨年の数値に戻る)
人間ドックの結果が送られて来ました。大きな問題はありませんでした。
腎機能は、昨年著しく低下しましたが、今回は一昨年の数値に戻っていました。
特に気を付けたのは、「ハッピーターン パウダー250%」を完全に断ったことです。
昨年病みつきになっていたこのお菓子をやめたら、まさに効果てきめんでした。
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