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失われた時を求めて8 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて4」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」は、1919年のゴンクール賞を獲得しました。
 今回は、その第二部「土地の名ー土地」の後半部分を紹介します。


失われた時を求めて(4)――花咲く乙女たちのかげにII (岩波文庫)

失われた時を求めて(4)――花咲く乙女たちのかげにII (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2012/06/16
  • メディア: 文庫



 バルベック滞在中の「私」は、浜辺で5~6人の少女たちの集団を見かけました。
 彼女たちは皆美しく、服装も物腰もバルベックで見慣れた人たちと違っていました。

 「シモネのお嬢さんのお友だち」と耳にした「私」は、そのことが忘れられません。
 まだ会ったこともない「シモネ」という名前の少女に、思いを馳せるのでした。

 また「私」は、サン=ルー侯爵に連れられて、リヴベルに夕食に出かけました。
 リヴベルで「私」は、サン=ルーの知り合いの女たちに会い、心ひかれました。

 こうして「私」の興味は、しだいに女たちへ向かっていきました。
 と同時に、祖母との閉じられた世界から脱して、自分の世界を切り開いていきます。

 あるとき「私」は、リヴベルの食堂で、エルスチールという画家と知り合いました。
 彼はリヴベルにアトリエを持ち、地域では大画家として名を成していました。

 「私」は彼のアトリエで、ブルジョワの少女アルベルチーヌ・シモネと出会い・・・
 エルスチールが開いた集いで、「私」はようやくアルベルチーヌに紹介されて・・・

 というように、第二部後半は、「私」とアルベルチーヌの恋の物語です。
 しかし、どうしても印象に残るのは、謎多き画家のエルスチールです。

 彼は、かつてヴェルデュラン夫人のサロンにいたという、滑稽な人ではないのか?
 しかし、現在はすっかり雰囲気が変わり、「私」にまっとうなアドバイスをします。

 どんな賢明な人でも、若いころには失敗をするが、それは後悔すべきことではない、
 なぜなら賢人は、ありとあらゆる滑稽なことをしたあとでないとなれないから、と。

 「駆け出しのころの自分のすがたなど、もはや見わけがつかなくなっていますが、い
 ずれにせよ不愉快なものであるのは、私にはよくわかります。だからといってそれを
 否認してはいけません。それはわれわれがほんとうに生きてきた証なのです。」(P478)

 またエルスチールは、ある女の肖像画を持っていて、それを見せたがりませんでした。
 それは、スワン夫人の若かりし頃の姿なのではないか? 彼はなぜそれを描いたのか?

 エルスチールのおかげで、「私」はアルベルチーヌとその仲間たちと知り合いました。
 そして、ジルベルトの時と同じように、「私」は彼女たちと頻繁に会って遊びました。

 あるときアルベルチーヌが、「あなたのこと、好きよ」とメモに書いてよこして・・・
 アルベルチーヌと手と手が触れ合ったとき、彼女の自分に対する愛を確信して・・・

 そして、アルベルチーヌがグランド・ホテルに泊まる夜、「私」を部屋に招きました。
 「私」が接吻をしようとすると・・・アルベルチーヌはどんな行動に出たのか?

 「花咲く乙女たち」とせっかく知り合ったのに、肝心なことはまだ何も起こりません。
 ある夏のリゾート地で、彼らは出会ってそして去って行った、というだけなのです。

 アルベルチーヌも突如いなくなってしまいますし。この先、どうなるのでしょうか?
 当初、ここまで読んだら終わりにしようと思っていましたが、これでは終われません。

 さて、この先「失われた時を求めて」は、第三篇「ゲルマントのほう」に続きます。
 第三篇に進むのが正攻法ですが、岩波文庫全14巻を読み通す気力はありません。


失われた時を求めて(5)――ゲルマントのほうI (岩波文庫)

失われた時を求めて(5)――ゲルマントのほうI (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/05/17
  • メディア: 文庫



 ところでここに、第一篇→第二篇→第六篇→第七篇という読み方を勧める人がいます。
 「りきぞう」さんという方です。邪道ですが、私はこれもひとつの方法だと思います。
 → https://rikizoamaya.com/proust-timessummary/

 さいごに。(見殺しにした者の罪は重い)

 ジャニーズ問題については、さまざまに論じられています。
 ジャニー氏がいなくなった今、テレビ局は急に正義の味方を演じ始めたみたいです。

 しかし今のテレビ局は、自分たちの罪を覆い隠すために報道しているように見えます。
 ジャニー氏が生きていたとき、見て見ぬふりをしてきたテレビ局の罪は非常に重い。

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