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チボー家の人々7 父の死 [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の青年たちが成長していく10年を、世界情勢を交えながら描いた大河小説です。
 全8部(新書で13巻)です。第6部「父の死」は1929年の刊行です。


チボー家の人々 7 父の死 (白水Uブックス 44)

チボー家の人々 7 父の死 (白水Uブックス 44)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/03/01
  • メディア: 新書



 アントワーヌがジャックを迎えに行っているころ、チボー氏は死の床にありました。
 死を前にして恐怖するチボー氏は、ヴェカール司祭に自分の苦しみをぶちまけます。

 「主だと? 何を言う? なんのおたすけだ? ばかげている! ことのおこりは、
 その主にあるんだ! その主がしむけたことなのだ・・・」(P16)

 「あなたのような信者なら、安心して世を去れます」と言う司祭に、断固言います。
 「黙れ! 信者だと? じょうだんじゃない。わしはけっして信者ではない。」と。

 死を目の前にして、チボー氏は自分の一生を素直に振り返り、むせび泣きました。
 司祭が言うことは気休めにしか聞こえず、彼はなりふりかまわず喚き散らしました。

 アントワーヌが着いたとき、チボー氏は腎臓が詰まって、ベッドに倒れていました。
 それを抱き起したのはジャックです。しかし、父にそれが分かったのかどうか。

 チボー氏は苦しみ続けます。ジャックは、なぜモルヒネ注射をやめたのか聞きます。
 アントワーヌは答えます。排泄が止まったから、それをやると殺すことになる、と。

 苦労して父を入浴させましたが、小康状態もつかの間、再び発作が始まりました。
 苦しむ父を前に、ジャックは「なんとかならないのか」とアントワーヌに言います。

 「方法がひとつある」とアントワーヌは答えます。「このおれにはできるんだ」と。
 そして、ふたりがとった行動は・・・「お父さん、楽にしてあげますから」・・・

 第6部「父の死」は、前半の最後を飾る巻であり、前半のクライマックスです。
 父チボー氏の最期を描き、たいへん読み応えのある巻となっています。

 これまで厳粛だった父が、子どものように泣きわめく姿に、親近感を覚えました。
 死を前にしてやっと自分の欺瞞に気付き後悔する場面に、人生の悲哀を感じました。

 「利己主義! 虚栄! 金持ちになりたい、支配してやりたいという渇望! 人から
 尊敬され、何か一役演じたいためのひけらかしの慈善! 不純、見せかけ、虚偽——
 そうだ、虚偽だ・・・ああ、なんとかしてこれらのすべてを消し去りたい」(P21)

 父の死は、ふたりの兄弟にとても大きな衝撃を与えました。
 弟のジャックは虚無の念に襲われ、死の前に生は無意味だと考えました。

 「人はいったい、なんで望んだりするのだろう? いったい何を望むというのだろう!
 人生はすべてはいかにも愚劣だ。何ものも、ぜったいに何ものも——人にして死とい
 うものを知ったが最後——もはや存在の意味がないのだ!」(P212)

 一方、医者である兄のアントワーヌは、ここで大きな決断をしました。
 それは、第4部「診察」において、彼が最後まで賛成できなかったことなのです。

 今やアントワーヌは、罪の意識や神への信仰について、根本から考え直しています。
 最終章における、アントワーヌとヴェカール司祭との対話は、とても味わい深いです。

 「あなたがた、カトリックのかたがたが罪と呼んでおいでのもの、それはぼくにとって
 むしろ反対に、溌溂としたもの、力づよいもの、また本能的な—―ためになるもの、と
 いったように思われるんです!」(P253)

 さて私は、これまでチボー家を支配していた父の死をもって、前半の終了と考えます。
 このあと、第7部「1914年夏」が4巻にわたって続きます。第一次大戦が始まります。

 さいごに。(ああ、恥ずかしや、恥ずかしや)

 そういえば、以前から気になっていたのです。レジでの「ワオーン」という変な音が。
 「あんな音をたてて、よくこの人は恥ずかしくないものだ」と、感心していたのです。

 それなのに、まさかこの私に、あんな恥ずかしい音を出させるなんて!
 おのれ、WAONめ! 絶対に許さん。

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