チボー家の人々12 [20世紀フランス文学]
「チボー家の人々12」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)
3人の青年たちが成長してい10年を、世界情勢を交じえながら描いた大河小説です。
今回紹介するのは白水Uブックスの第12巻で、第八部「エピローグⅠ」です。
ジャックが死んでから4年後の1918年、アントワーヌはガス中毒療養所にいました。
毒ガスにやられた唯一の軍医となった彼は、症状の詳細なメモをつけていました。
療養所で、親戚のヴェーズ老嬢が死んだことを知り、葬儀のためパリに帰りました。
アントワーヌは老嬢の埋葬を終えると、翌日メーゾン・ラフィットを訪れました。
そこは、彼らの若き日の「美しい季節」の舞台ですが、変わり果てていました。
別荘は病院に改造されて、今ではフォンタナン夫人が采配をふるっているのです。
ジーゼルとニコルはその病院で働き、ジェンニーはジャックの遺児を育てています。
片足を失ったダニエルは腑抜けのようになり、ジャックの遺児の世話をしています。
アントワーヌは、ジーゼルと話し、ジェンニーと話し、ダニエルと話し・・・
そしてアントワーヌは、久しぶりに穏やかで温かい時間を過ごして・・・
「一九一四年夏」が出たとき、多くの人がこの小説は完結したのだと考えました。
というのも、最後にジャックが死んでしまうからでしょう。
解説によると、作者は慌てて「エピローグ」が続くことを知らせようとしました。
「エピローグ」はアントワーヌの巻であり、真の主人公は彼なのだと言うのです。
確かにこの長大な小説は、アントワーヌに始まってアントワーヌに終わっています。
舞台は変わらず第一次世界大戦下ですが、物語はまたホームドラマに戻りました。
もうひとり、この巻を象徴するのが、ジャックの遺児であるジャン・ポールです。
そしてようやくここで、「チボー家の人々」というタイトルの意味が分かりました。
私は最初、それはジャックとアントワーヌだけを指しているのだと思っていました。
それなのに、なぜダニエルなどフォンタナン家を描くのかと、疑問に思ったのです。
ジャン・ポールを含んで「チボー家の人々」だと理解したとき、疑問が解けました。
フォンタナン家は、この子の母ジェンニーの家だからなのですね。(今さら!)
つまりこの小説は、チボー家とフォンタナン家の血がひとつに交わる物語なのです。
ある意味で、フォンタナン家の人々もまた「チボー家の人々(一員)」なのです。
さて、次回はいよいよ最終回です。
どのような終わり方をするのでしょうか。やはりアントワーヌは死ぬのでしょうか。
さいごに。(奈良に行こう)
娘が修学旅行で奈良に行きながら、東大寺も興福寺も見なかったと言うのです。
ではいったい何をしていたのか? 奈良公園で鹿とずっとたわむれていたとのこと。
怒れました。そこで、2月のどこかで「追修学旅行」を家族で行うことにしました。
今度は、東大寺や興福寺しか見ないという、寺と仏像巡りをしたいと思っています。
3人の青年たちが成長してい10年を、世界情勢を交じえながら描いた大河小説です。
今回紹介するのは白水Uブックスの第12巻で、第八部「エピローグⅠ」です。
ジャックが死んでから4年後の1918年、アントワーヌはガス中毒療養所にいました。
毒ガスにやられた唯一の軍医となった彼は、症状の詳細なメモをつけていました。
療養所で、親戚のヴェーズ老嬢が死んだことを知り、葬儀のためパリに帰りました。
アントワーヌは老嬢の埋葬を終えると、翌日メーゾン・ラフィットを訪れました。
そこは、彼らの若き日の「美しい季節」の舞台ですが、変わり果てていました。
別荘は病院に改造されて、今ではフォンタナン夫人が采配をふるっているのです。
ジーゼルとニコルはその病院で働き、ジェンニーはジャックの遺児を育てています。
片足を失ったダニエルは腑抜けのようになり、ジャックの遺児の世話をしています。
アントワーヌは、ジーゼルと話し、ジェンニーと話し、ダニエルと話し・・・
そしてアントワーヌは、久しぶりに穏やかで温かい時間を過ごして・・・
「一九一四年夏」が出たとき、多くの人がこの小説は完結したのだと考えました。
というのも、最後にジャックが死んでしまうからでしょう。
解説によると、作者は慌てて「エピローグ」が続くことを知らせようとしました。
「エピローグ」はアントワーヌの巻であり、真の主人公は彼なのだと言うのです。
確かにこの長大な小説は、アントワーヌに始まってアントワーヌに終わっています。
舞台は変わらず第一次世界大戦下ですが、物語はまたホームドラマに戻りました。
もうひとり、この巻を象徴するのが、ジャックの遺児であるジャン・ポールです。
そしてようやくここで、「チボー家の人々」というタイトルの意味が分かりました。
私は最初、それはジャックとアントワーヌだけを指しているのだと思っていました。
それなのに、なぜダニエルなどフォンタナン家を描くのかと、疑問に思ったのです。
ジャン・ポールを含んで「チボー家の人々」だと理解したとき、疑問が解けました。
フォンタナン家は、この子の母ジェンニーの家だからなのですね。(今さら!)
つまりこの小説は、チボー家とフォンタナン家の血がひとつに交わる物語なのです。
ある意味で、フォンタナン家の人々もまた「チボー家の人々(一員)」なのです。
さて、次回はいよいよ最終回です。
どのような終わり方をするのでしょうか。やはりアントワーヌは死ぬのでしょうか。
さいごに。(奈良に行こう)
娘が修学旅行で奈良に行きながら、東大寺も興福寺も見なかったと言うのです。
ではいったい何をしていたのか? 奈良公園で鹿とずっとたわむれていたとのこと。
怒れました。そこで、2月のどこかで「追修学旅行」を家族で行うことにしました。
今度は、東大寺や興福寺しか見ないという、寺と仏像巡りをしたいと思っています。
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