失われた時を求めて13 [20世紀フランス文学]
「失われた時を求めて7」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)
記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。
第三篇「ゲルマントのほう」は、1920年から21年にかけて刊行されました。
岩波文庫版の第7巻には、「ゲルマントのほう」の後半が収められています。
祖母の死から数か月後、「私」のパリの住居にアルベルチーヌが不意に訪れました。
バルベックの頃より豊満で大人びていました。それ以来彼女は時々訪ねてきました。
そして、バルベックでは許してくれなかったキスを、あっさり許してくれたのです。
その後関係を持つようになりますが、「私」はもう彼女を愛していなかったのです。
ある日母から、ゲルマント公爵夫人を追い回すのはやめるように、と言われました。
そこで「私」は、公爵夫人を待ち伏せするのをやめて、夫人をすっかり諦めました。
ところが、ヴィルパリジ侯爵夫人の晩餐会で、公爵夫人から声をかけてきたのです。
「どうして一度も私に会いに来てくださらないの?」と。まるで夢のようでした。
「美しい夜の沈黙にも似た孤独の静寂(しじま)のなかで、われわれが空の無限のか
なたでおのが軌道をたどる社交界の大貴婦人を想い描いているとき、そんな虚空から、
金星やカシオペア座では知られているはずもない自分の名を刻んだ隕石よろしく、晩
餐への招待とか意地の悪い陰口とかが落ちてくると、こちらは仰天して小躍りしたり
不愉快になったりせざるをえないのだ。」(P88)
ゲルマント公爵夫人が「私」を晩餐に招待したのは、サン=ルーの親友だからです。
一方、「私」がシャルリュス男爵と面識があると言うと、夫人はとても驚きました。
というのも、男爵は「私」と一度も会ったことがないように振舞っていたからです。
公爵夫人は言います。「あの人、ときどきちょっと頭が変じゃありませんこと?」
そこで「私」は、シャルリュス男爵にブロックを紹介したときを思い出しました。
男爵はブロックを見ると一瞬驚いて、その後なぜか彼にむかって激怒したのでした。
その後サン=ルーから、男爵が自分に話があると言っていたことを聞きました。
そこで、ゲルマント公爵夫人の晩餐会に出たあと、男爵を訪問することにして・・・
なぜシャルリュス男爵は、「私」のことを知らないと言っていたのか?
なぜシャルリュス男爵は、ブロックにたいして激怒して見せたのか?
ここでも、シャルリュス男爵の謎めいた行動が、物語を面白くしています。
いったい、シャルリュス男爵は「私」にどんな話があるというのでしょうか?
さて、この巻の前半では、サン=ルーとの友情が印象的に描かれていました。
彼との再会は、今まで忘れていたドンシエールでの時間を、思い出させました。
「われわれは自分の人生を十全に活用することがなく、夏のたそがれや冬の早く訪れ
る夜のなかにいくばくかの安らぎや楽しみを含むかに見えたそんな時間を、未完のま
ま放置している。だがそんな時間は、完全に失われたわけではない。新たな楽しい時
間がそれなりの調べを奏でるとき、その瞬間も同じくか細い筋を引いて消えてゆくの
だが、以前の時間はこのあらたな瞬間のもとに駆けつけ、オーケストラの奏でる豊饒
な音楽の基礎、堅固な支えとなってくれるのだ。かくして失われた時は、たまにしか
見出されなくとも存在し続けている典型的な幸福のなかに伸び広がっている。」(P125)
それにしても分かりづらいです。表現が凝りすぎています。
かつてはこういう文章が苦痛でしたが、今ではこういう文章こそが楽しみです。
さて、この部分を端的に言えば、こういうことになるでしょうか。
以前の幸福な時間は失われたように見えるが、ふとした瞬間に見出されるのだ、と。
サン=ルーとの食事のあと、いよいよゲルマント公爵邸での晩餐会となります。
「私」はようやく憧れの舞台に上がります。いったいどのような展開になるのか?
さいごに。(スナック菓子禁止)
今年は陸上競技で結果を出したいので、スナック菓子をやめることにしました。
しかし、そう宣言した矢先、無意識にお菓子を食べていました。習慣って恐ろしい。
記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。
第三篇「ゲルマントのほう」は、1920年から21年にかけて刊行されました。
岩波文庫版の第7巻には、「ゲルマントのほう」の後半が収められています。
失われた時を求めて(7)――ゲルマントのほうIII (岩波文庫)
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2014/06/18
- メディア: 文庫
祖母の死から数か月後、「私」のパリの住居にアルベルチーヌが不意に訪れました。
バルベックの頃より豊満で大人びていました。それ以来彼女は時々訪ねてきました。
そして、バルベックでは許してくれなかったキスを、あっさり許してくれたのです。
その後関係を持つようになりますが、「私」はもう彼女を愛していなかったのです。
ある日母から、ゲルマント公爵夫人を追い回すのはやめるように、と言われました。
そこで「私」は、公爵夫人を待ち伏せするのをやめて、夫人をすっかり諦めました。
ところが、ヴィルパリジ侯爵夫人の晩餐会で、公爵夫人から声をかけてきたのです。
「どうして一度も私に会いに来てくださらないの?」と。まるで夢のようでした。
「美しい夜の沈黙にも似た孤独の静寂(しじま)のなかで、われわれが空の無限のか
なたでおのが軌道をたどる社交界の大貴婦人を想い描いているとき、そんな虚空から、
金星やカシオペア座では知られているはずもない自分の名を刻んだ隕石よろしく、晩
餐への招待とか意地の悪い陰口とかが落ちてくると、こちらは仰天して小躍りしたり
不愉快になったりせざるをえないのだ。」(P88)
ゲルマント公爵夫人が「私」を晩餐に招待したのは、サン=ルーの親友だからです。
一方、「私」がシャルリュス男爵と面識があると言うと、夫人はとても驚きました。
というのも、男爵は「私」と一度も会ったことがないように振舞っていたからです。
公爵夫人は言います。「あの人、ときどきちょっと頭が変じゃありませんこと?」
そこで「私」は、シャルリュス男爵にブロックを紹介したときを思い出しました。
男爵はブロックを見ると一瞬驚いて、その後なぜか彼にむかって激怒したのでした。
その後サン=ルーから、男爵が自分に話があると言っていたことを聞きました。
そこで、ゲルマント公爵夫人の晩餐会に出たあと、男爵を訪問することにして・・・
なぜシャルリュス男爵は、「私」のことを知らないと言っていたのか?
なぜシャルリュス男爵は、ブロックにたいして激怒して見せたのか?
ここでも、シャルリュス男爵の謎めいた行動が、物語を面白くしています。
いったい、シャルリュス男爵は「私」にどんな話があるというのでしょうか?
さて、この巻の前半では、サン=ルーとの友情が印象的に描かれていました。
彼との再会は、今まで忘れていたドンシエールでの時間を、思い出させました。
「われわれは自分の人生を十全に活用することがなく、夏のたそがれや冬の早く訪れ
る夜のなかにいくばくかの安らぎや楽しみを含むかに見えたそんな時間を、未完のま
ま放置している。だがそんな時間は、完全に失われたわけではない。新たな楽しい時
間がそれなりの調べを奏でるとき、その瞬間も同じくか細い筋を引いて消えてゆくの
だが、以前の時間はこのあらたな瞬間のもとに駆けつけ、オーケストラの奏でる豊饒
な音楽の基礎、堅固な支えとなってくれるのだ。かくして失われた時は、たまにしか
見出されなくとも存在し続けている典型的な幸福のなかに伸び広がっている。」(P125)
それにしても分かりづらいです。表現が凝りすぎています。
かつてはこういう文章が苦痛でしたが、今ではこういう文章こそが楽しみです。
さて、この部分を端的に言えば、こういうことになるでしょうか。
以前の幸福な時間は失われたように見えるが、ふとした瞬間に見出されるのだ、と。
サン=ルーとの食事のあと、いよいよゲルマント公爵邸での晩餐会となります。
「私」はようやく憧れの舞台に上がります。いったいどのような展開になるのか?
さいごに。(スナック菓子禁止)
今年は陸上競技で結果を出したいので、スナック菓子をやめることにしました。
しかし、そう宣言した矢先、無意識にお菓子を食べていました。習慣って恐ろしい。
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